アジカンが巻き起こす リバイバル現象!
ASIAN KUNG-FU GENERATIONことアジカンは、ずっと活躍を続けているロックバンドです。つい昨年も、何年も前に発表した楽曲『Re:Re』がアニメ『僕だけがいない街』主題歌に採用されるという「リバイバル」現象が起きました。音にも作品力にも特徴あり。
彼らが生み出す楽曲の音を聴けば、「あっ、これアジカンだ!」と気づける方も多いでしょう。そして、作品の魅力を引き立てるタイアップ作品を生み出す事が非常に上手いバンドと言えます。今回は彼らの数あるタイアップ曲の中から『荒野を歩け』を紹介します。
それぞれがリンクしていく…
2017年3月発表の『荒野を歩け』は、映画『夜は短し歩けよ乙女』の主題歌。アジカンはアニソン主題歌が多いですが、今作もアニメ映画です。湯浅監督作は『四畳半神話大系』に続いて再び採用。キャラクター原案は、アジカンのCDジャケットイラストでおなじみの中村佑介です。----------------
あの娘がスケートボード蹴って
表通り飛ばす
雨樋するっと滑って
ゆるい闇が光る
背伸びでは足りないボーイズが
世界を揺らす
「君らしくあれ」とか
千切ってどこか放す
≪荒野を歩け 歌詞より抜粋≫
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「あの娘がスケートボード蹴って 表通り飛ばす」この歌いだしどおりのイメージがジャケットイラストにも描かれてますね。
続いて「背伸びでは足りないボーイズ」の歌詞が登場。いずれも映画のイメージとはやや離れています。映画内のヒロイン「黒髪の乙女」は、スケートボードに乗りませんし、主人公の男「先輩」は背伸びというよりは、姑息な作戦で黒髪の乙女に近づきます。
映画の核が常に真ん中にある
しかしこの曲は、この歌詞は、しっかりと映画にハマっているのです。それは映画の核をしっかりととらえているから。そしてこれは、映画の主題歌としての役割だけでなく、一つの曲として成り立つように作られていることの表れでもあります。「ゆるい闇が光る」で夜を連想させるのも良いですね。その夜がわりと「ゆるい」ものであるとも想像できます。
人が歩くには理由がある
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理由のない悲しみを
両膝に詰め込んで
荒野に独りで立って
あっちへふらふらまた
ゆらゆらと歩むんだ
どこまでもどこまでも
≪荒野を歩け 歌詞より抜粋≫
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「理由のない悲しみを 両膝に詰め込んで」というフレーズが登場。だから人は「歩く」んですね。人が歩くのは、理由のない悲しみを抱えているから。かなり深いところで映画の核をとらえている歌詞。
だから、この曲は映画の雰囲気にぴったりと合っているのです。映画『夜は短し歩けよ乙女』は、京都が舞台です。その映画に対しあえて「荒野」という単語を持ってくるアジカン。
あとに「町中のかがり火」と「町」の単語が出てきますが、あえて「荒野」を前面に出してきます。なぜ「荒野」なのでしょうか。
「荒野」は「独り」の象徴。街に住む人も孤独を抱えており、映画ではそんな孤独な思いを持つ人物も登場します。これは映画をしっかり観ていなければ気付きにくいポイント。
人は孤独を抱えながら、どこまでも歩く。「どこまでもどこまでも」のフレーズにかなり肯定感を込めています。歌詞をより際立たせているドラムのリズム。
このフレーズが繰り替えされることで、映画を観る者が、映画が終わった後も物語が続いていく感じを味わうことができます。そして、この映画を知らない人が曲を聴くだけでも「ゆらゆらと歩む」肯定感を味わうことができるんですね。
孤独に寄り添う
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町中のかがり火を
胸の奥に灯して
この世のエッジに立って
こっちへふらふらまた
ゆらゆらと歩むんだ
どこまでもどこまでも
≪荒野を歩け 歌詞より抜粋≫
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「この世のエッジ」というフレーズが登場。長い一晩の夜を表現する映画の不思議な内容にそっています。
後藤は映画のインタビューでも不思議な世界観に合わせたことを語っています。「町中のかがり火」を「胸の奥に灯して」という表現も良いですね。町の明かりとは、あくまでも心象風景に過ぎない。
この世の端に立つような、ふらふらゆらゆらするような感覚で、人は歩いている。人がどういう気持ちで歩いているのかの本質をついているのです。私達は、常に目的意識を持って、目的地に向かって歩いていると錯覚しがち。
しかし、その実態は寂しい荒野をふらふら歩いているようなもの。そして、そんな孤独を含む感覚をこの曲は否定しない。だから聴いていて心地よい。
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あの娘がスケートボード蹴って
表通り飛ばす
いつしか僕らの距離が狭まって
ゆめゆめ思わぬ未来が呼んでる
≪荒野を歩け 歌詞より抜粋≫
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「いつしか僕らの距離が狭まって」と後半で展開が変わるのもポイント。ゆらゆらふらふらしつつも「思わぬ未来」を肯定しているのです。
いつも“らしさ”を忘れないアジカン
アジカンはタイアップしつつも、毎回自分達らしさを忘れません。
文字通り、ずっと音楽という名の果てない荒野を歩き続けてきたからこそ、こういう曲を生み出すことができるんですね。
TEXT 改訂木魚(じゃぶけん東京本部)
1996年結成。後藤正文(vo.g)、喜多建介(g.vo)、山田貴洋(b.vo)、伊地知 潔(dr)による4人組ロックバンド。 03年メジャーデビュー。同年より新宿LOFTにてNANO-MUGEN FES.を立ち上げ、2004年からは海外アーティストも加わり会場も日本武道館、横浜アリーナと規模を拡大。 2016年にはバンド結成20···