木島ユタカについて
──それでは、まずは民謡をしていてよかったなというエピソードを教えていただけますか?
木島ユタカ(以下ユタカ):そうですね。
……ぶっちゃけ、良かったことの記憶がなくて!(笑)
やりはじめたのは僕が言い始めたのがきっかけなんですけど。
父親が全国大会で負けたのをテレビで見て、それが悔しくてやり始めたのがきっかけでした。
──お父さんの敵を取ろうとした訳ですね?
ユタカ:そうですね!ただ、やってみると思った以上に父親が厳しくて……。(笑)
まずは朝5時に叩き起こされて走るっていうところから始まって、帰って来ても腹筋とか背筋とか身体作りをして……。
当時サッカーをやってたんですけど、クラブ活動をしてから民謡教室に行くっていう、週7日間民謡漬けでしたね
──お休みなしですね!舞台もやってらっしゃったんですよね?
ユタカ:はい、土日はずっと舞台だったので、ゲストで呼んでいただいたりとか、発表会だったりとか、当時は民謡会自体が結構豊富にあったので、そういうところに呼んでいただいて、結構こう……辛かったなって思いの方が多いです。
唯一、大会で賞とかをいただいた瞬間、周りの人が喜んでくれたので、自分の歌を聴いて、客席から拍手をもらえたりしたのが、歌を続けて来た理由だったりするのかなって思います。
──そういう経験が今も続ける理由な訳ですね!ありがとうございます。
ユタカ:まあ当時は辛かったなってだけですよ?今振り返れば先輩方と接する機会もたくさんあって、いい環境だったとは思います。
──ちなみに、当時はモテたんですか?(笑)
ユタカ:モテたのは小6、中1がピークでそこからは右肩下がりでしたね。(笑)
普通に音楽やってたりするとモテたりするんでしょうけど、やってた事が民謡だったので、おじいちゃんおばあちゃんがやってるものだっていう印象が強くて、そういう声も同級生から飛んで来たりして、当時はコンプレックスが凄くありましたね。
──でもそんな周りの目を気にしながらも続けて来たからこそ今がある。今周りの目を気にしている人に、是非その事が伝わってほしいですね