「ゆったりとした優しいバラードを作りたい」
――最新シングルの表題歌『顔』は、自分の顔にコンプレックスを抱く私が主人公。私は、自分の顔のコンプレックスを嘆きながらも、誕生日当日に祝ってくれる人たちのもとへ向かいます。そして…という内容ですが、まずは、この楽曲が生まれた背景から教えてください。コヤマヒデカズ(以下、コヤマ):『顔』は、僕らが前バンド名から現在のCIVILIANと改名をした時期に作った歌でした。それまでの僕らの楽曲は、激しくエモーショナルさを魅力にしていれば、たとえバラードだとしても、サビになるとギターの音が歪んだり、歌では感情的に叫んでゆくように、 優しいバラードはありませんでした。だからこそ、「ゆったりとした優しいバラードを作りたい」と思ったのが最初のきっかけです。しかもこの曲に関しては、打ち込んだデモ音源を作るのではなく、アコギで弾き語った音源を2人に聴かせる形から制作が始まりました。
――言われたように『顔』は優しい表情を持った楽曲ですが、内なる熱い感情がジワッと滲み出てくるところへも心地好いエモーショナルさを覚えました。
コヤマ:サビでは相変わらずガーッと歌いあげてる面もありますからね。ただ、全体のサウンド感や、ここまでアコギをメインにした楽曲はこれまでなかったのも事実。しかも今回は、12弦のアコギを使って繊細で優しく美しい空気も出したかったんです。
有田清幸(以下、有田):これまでの楽曲と明らかに違うのが、作品の中へ温もりがあること。最初にコヤマからデモ音源を受け取り聴いた瞬間、最初の「褒めてもらえて嬉しいけど、私、この顔が嫌いなんだ」とパンチの聴いたひと言に「うわっ!!」と思ったんですよ。そんな主人公の気持ちが、歌が進むにつれて開けていく様に温かみを覚えたからこそ、音作りの面でも温もりを失くさずに出来ればなという気持ちで臨みました。
実際にレコーディングでは、ドラムも含めビンテージサウンド寄りな楽器を用いて演奏。結果、温かみを抱いたうえで楽曲に膨らみを持たせることが出来たなと思っています。
――サウンドの質感は、『顔』を具現化するうえで大切にしていたこと?
有田:コヤマからデモ音源というバトンを手渡されたときから、僕も純市も、デモ音源のイメージをどれだけ膨らませられるかへ一番気持ちを注ぐように心がけました。音に関してもそうとうこだわりを持ってレコーディングしているように、そこにもぜひ耳を傾け聞いてもらいたいなと思っています。『顔』に関してはデモ音源の時点で楽曲の軸が成立していたから、余計な演出や装飾はせず、ナチュラルさを活かして演奏しています。
純市:そこなんだよね。無駄のない完成された形だからこそ、そこへ無理やり自分の色を加えようとすると、逆に楽曲の持つ世界観を壊してしまう。なので、『顔』に関してはデモ音源へ素直に寄り添う形で演奏していきました。
「好きだ」と言ってくれる人たちはいるんだよ
――CIVILIAN最初期に出来上がっていた『顔』を、何故、この時期にリリースしたのかも気になりました。
コヤマ:『顔』を作り上げた頃から、メンバーやスタッフ内でも「いい曲だね」という話は出ていました。ただ、ありがたいお話ですが、CIVILIANがデビューするに辺り、1stシングルの『愛./憎』がドラマ「黒い十人の女」の主題歌に、2ndシングル『生者ノ行進』がアニメ「ALL OUT!!」のオープニングテーマへ起用になったことから、それぞれの作品に寄り添う形での楽曲を作る機会をいただけました。その2枚の経験を重ねつつ、今回はノンタイアップということもあって、「CIVILIANらしさを持ったシングルを出すなら、やはり『顔』じゃないか」という話になり、今回のタイミングでのリリースになったわけなんです。
――『顔』の特色が、主人公である私は自分の顔に強いコンプレックスを抱いてるけど、まわりの人たちは誰も、主人公の抱えているコンプレックスなんてまったく気にしてないこと。
コヤマ:そうなんですよ。歌詞にも記しましたが、主人公を取り巻くのはみんな優しい人たち。でも、肝心の本人が自分のコンプレックスをまったく許容しない。そこから『顔』の物語は始まりますからね。
――これは一般論にもなりますが、自分が抱えてるコンプレックスって、まわりの人たちはまったく気にしてないことが多い。たとえそれをわかってても、コンプレックスを抱えている本人はその呪縛から逃れられなかったりもしますからね。
コヤマ:その通りです。僕自身が、もともと自分の顔や身体にコンプレックスを持っていました。そのコンプレックスのせいで、自分にまったく自信を持つことが出来なかった。
今でこそ、いろんな人たちが自分の歌や音楽を「好き」と言ってくれるから、昔に比べれば「自分にも良いところはあるのかな!?」と思えるようになりましたけど。僕が10代だった頃や二十歳そこそこの時期は、本当に自分に対してまったく自信を持つことが出来なかった。その頃の自分の経験も、この歌には反映されています。
――自分のコンプレックスのみを歌うのではなく、気にしてないまわりの人たちの視線も歌詞に加えたのは、コヤマさん自身の中でコンプレックスのとらえ方が変わってきたからでしょうか?
コヤマ:そこは大きいと思います。10代の頃に、今回と同じように容姿に対するコンプレックスを歌にしていたら、こういう内容にはなっていなかった。あれからいろんな経験を重ねたからこそ、『顔』の最後に記した結末を導きだせるようにもなれた。その気持ちを、みずから歌を通して確認している面もあったなと思います。
――活動を重ねていく中、実際にいろんな人たちがコヤマさんの歌の存在を認めてくれていますからね。
コヤマ:そこなんですよね。誰でもそうだと思うんですけど、自分のことが好きであれ嫌いだろうと、他人が自分のことを好きになる感情に自分が自分をどう思っているかは関係のないこと。自分がどんなに自分のことが嫌いでも、僕を好きと言ってくれる人にとっては、僕は僕のことが嫌いなんだという気持ちはまったく眼中にない。他人の気持ちって、自分がどうこう言うことではない。他人が僕のことを好きになるならないや認める認めないは、その人自身の感情が動いてのことだから、僕がどうこう出来ることでもない。
この『顔』は、たとえ自分は一生自分の顔が好きになれなくても、そんな自分を認めてくれたり、「好きだ」と言ってくれる人たちはいるんだよということを伝えたくて書きました。