遊び心あふれるアーティスト岡崎体育
岡崎体育といえば、自身のTwitterでの投稿「冷蔵庫に貼ってあったメモ書きを英語風に読んでみた」など、アーティスト活動以外でも何かと注目されている人物。楽曲は全て自身で作詞作曲を手掛け、『ヤバイTシャツ屋さん』や『関ジャニ∞』などジャンルを問わず幅広く楽曲提供もしている。
また、『MUSIC VIDEO』ではミュージックビデオあるあるを歌いこれもまた大きな話題をよんだ。あるあるを歌っているだけなのにこれがまた中毒性の高い音楽になっている。この『MUSIC VIDEO』の面白いところは、あるあるを歌いながらもあるあるのMVになっているという逆説になっている点だ。
彼の音楽は遊び心に溢れている。
人生をテーマにしている楽曲『式』
今回紹介するのは、先に述べた『MUSIC VIDEO』とは打って変わって、人生をテーマに掲げた『式』だ。人には必ず死が待っている。人間は言ってしまえばそのゴールに向かっていく間に多くの出来事に触れ、成長していく。
『式』は保育園から年老いて死ぬまでのある人の一生を描いた楽曲だ。彼は緩急のつけ方が非常にうまい。
ふざけたと思ったら重いテーマの曲を作るためよりこの曲が活きてくる。
MVは岡崎体育がアパートの一室での何気ない日常に焦点が当てられている。固定カメラで撮影されているので、他人の私生活を盗撮しているかのような雰囲気になっている。
『式』にこめられた三つの意味
このタイトル『式』には、三つの意味があると推測する。1つ目は式。文字通り結婚式や葬式などの人生の区切りに行われる行事のこと。2つ目は、式=色(しき)。これは人生における様々な経験を表す。3つ目は、死期である。死について触れたのはこのような理由からだ。以上を踏まえ、岡崎体育が考える『式』とは何なのか?歌詞を追ってみてみたい。
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相槌もでたらめ 鈍色の朝 わがままに
迷惑かけたいわけじゃないのに
≪式 歌詞より抜粋≫
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先ほど、人生を描いた作品だと言ったがそれを踏まえると、Aメロのこのフレーズは「相槌もでたらめ」、「迷惑かけたいわけじゃない」と老後の介護状態を思い浮かべる。「鈍色」と形容されているようにどんよりした空気感が漂う。
それもそのはずで、鈍色は平安時代には喪服として使用されていたとのことである。
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保育園で汚い言葉を覚えて帰ってくるように
いろんな色の絵の具を脳みそに塗っていくみたいだ
≪式 歌詞より抜粋≫
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初めて保育園という小さな社会に踏み入れる、人生における一つ目のステージだ。これまでは家庭内での限られた人の言葉しか耳にしないが、保育園ともなると環境が全く異なった人と交流する機会も増える。
ここでの「汚い言葉」は、家庭内では話されることのない本人にとっては未知の言葉と考えられる。それが次の歌詞で「いろんな色の絵の具を脳みそに塗っていくみたいだ」と置き換えられている。
多くの新しいものに触れ合い、色々な経験を積んでいく。この人生における経験を色と表現している。
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鉄棒の香り冷たく 美しい名前は遠く
薄暮れに木霊して 約束を破って
ひとり洟垂る僕を叱って
≪式 歌詞より抜粋≫
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次は小学生へとステージが上がる。ここに出てくる「美しい名前」の意味するものは何だろうか。ここでは、好きな人を表していると考える。
僕は夕暮れになるまでずっと待っていたが意中のあの人が来ることは永遠となかった。これが小学生の段階で経験した人生における恋愛の苦い思い出という位置づけになるだろう。
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年老う指輪は弛み 填めなおしてはまた緩み
瞳に黴が生えても 言葉に血の通った話がしたい
先に呆けてしまえば 寂しくないかな
飯を口から零して テイブルを汚して
にたついてる私を赦さないで
≪式 歌詞より抜粋≫
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一気に老後へと場面が移る。あれ?と思った人もいるかもしれない。段階を踏んで語っていくのかと思いきや小学生で終了してしまったのだ。
ここでもしっかりとした理由がある。詳しくは後述するが、この曲は死期が迫った僕が過去を振り返っている場面を歌にしていた。この場面の飛躍は、死に備えこれまでの人生を振り返っていたが、死期が来てしまったことを暗示している。
「飯を口から零してテイブルを汚してにたついてる私を赦さないで」という言葉からは、家族による介護が必要な状態にある私を赦さ“ないで”ほしいと一般的な価値観とは異なった考え方をしている。
普通なら許して“ほしい”と言いそうだが、岡崎体育はそうは言わない。岡崎体育の価値観が妙実に表れた箇所である。
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相槌もでたらめ 雪色の夜 どうして
迷惑かけても笑ってるの
≪式 歌詞より抜粋≫
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「雪色の夜」もこれまでと同様に「相槌もでたらめ~」から始まる部分がこの曲には3か所ある。その中で鈍色の朝→柿色の夕→雪色の夜と時間が移り変っていることが分かる。
この時間経過から分かるのは、僕がこの世を去る一日を表していることだ。この日が死期であることを予感していただろう僕が過去の出来事を思い起こして回想している。
前述の保育園、小学生の描写は死ぬ間際に思い返していた過去の映像であった。
リスナーに問いかける疑問
「迷惑かけても笑ってるの」最後はこの言葉で締めくくられる。ここで岡崎体育はリスナーに疑問を投げかける。介護をしてくれる家族に迷惑をかけても笑ってしまうまで呆けている僕(=岡崎体育)への皮肉か、迷惑かけても笑顔で介護をしてくれる家族に対しての感謝の言葉なのか。2通りの解釈が可能なこの箇所、これは俯瞰的にみた自分に対しての言葉なのか、それとも迷惑をかけても笑って介護をしてくれる妻や家族にむけられたものなのかここでははっきりと明示されていない。
どう捉えるのかはこの曲を聴いた皆さんが自分の感性で考えてみてほしいと思う。
TEXT 川崎龍也