大森靖子 サイレントマジョリティー
「人が溢れた交差点をどこへ行く?
似たような服を着て 似たような表情で」
欅坂46のサイレントマジョリティーが注目を集めた理由の1つとして、アイドル曲らしくない歌詞が挙げられる。欅坂46は「皆よく似ていて同じように見える」など、AKB系列のアイドルという縛りで見られることもあるだろう。
しかし、「自由を求めて自分らしく生きてい、大人たちには支配されない」と誰もが予想しなかった歌でデビューを果たした。多数派に属しているとしても、考え方まで多数派に属すことはない。アイドルグループが歌ったからこそ影響力をもったのだろうか。
大森靖子の新訳
「夢を見ることは時には孤独にもなるよ誰もいない道を進むんだ
この世界は群れていても始まらない」
反対に「グループ」や「群」とはほど遠いところで活動しているのが大森靖子だ。「30年間リアルに大人達に支配されずに自分を貫いていた私なりの新訳サイレントマジョリティーです。」とMV発表の時に言っていた。大森靖子との新訳とはどのようなものだろう。そこには大森靖子なりの自由が表現されていた。
「君は君らしく生きて行く自由があるんだ」
「自由がある」というのは誰からも支配されずに好きなように生きて行けることだ。楽そうに思えるが実際自由になっていればそれだけではない。自由と責任は常に隣り合わせだからだ。
「誰かのあと ついていけば 傷つかないけど その群が相違だとひとまとめにされる」
自由を手にした瞬間から「苦しい」という言葉が使いづらくなる。自由の責任は常に自分でとらないといけない。大衆からは「自分で選んだ道なんだから」「好きでやってることなんだから」と思われるだろう。自分を見失ったり、否定されたり、孤独になったりと、傷つくことの方が多い場合もある。それでも「君は君らしく生きていくことができるのか」と少数派の人間一人一人に問いかけているようだ。
本当にyesでいいのか
「YESでいいのか サイレントマジョリティー」
「大衆の同じようにyes と言ってもいいのか」というのが原曲の意味だ。しかし大森靖子が歌うサイレントマジョリティには「本当にyesでいいのか」という自信のなさや不安も感じられる。MVにでてくる少女達も欅坂46とは違いどこか寂しそうな顔をしている。
「あなた達が自分のことを醜いと思っていても私からはみんなが美しく見える」大森靖子が以前ファンにむけて言っていた言葉だ。 孤独や悲しみだってそれで自分が愛せれる音楽と出会えるなら喜びに変わる。だからどれだけ辛くなったとしても「自分らしく生きていくこと」は美しくみえるのだろう。大森靖子のサイレントマジョリティーは「自由に生きていって大丈夫なのだ」と安心をあたえてくれているようだ。
欅坂46が「サイレントマジョリティー」という曲で人をひっぱっているなら、大森靖子は後ろから支えていってる。原曲を尊重した、意味のあるカヴァーだ。