TVで大活躍の大物歌手
「芸能界のご意見番」「ゴッド姉ちゃん」などとして知られる和田アキ子。こんな異名も付いているくらいですから、歌手というより、芸能界の大御所としてのイメージの方が強い方も多いのではないでしょうか?
彼女の歌を知っている身としては、そのことが非常に悔しく感じます。「和田アキ子は誰にも代えられない唯一無二のシンガーである」ということを、是非多くの人に知ってもらいたいのです。
中でも一番に聴いて欲しいのは『古い日記』。「あの頃は〜♪」のメロディと、要所で入る「ハッ!」のインパクトで、ご存知の方も多いと思います。
しかしインパクトが先行してしまい、曲の素晴らしさになかなかスポットライトが当たらないことが、これもまた非常にもったいない。なんせこの曲は演奏・作詞作曲・歌手の三拍子が巧みにからみあう、芸術のような作品なのです。
演奏面においては、ギターとブラスが主張し合うイントロに続き、パーカッション、歌、ストリングス等が我こそはとばかりに登場します。それぞれが個性を放っていて、すべて味わおうと思うと耳が追いつかないほど。
それだけ個性があるそれぞれが、Aメロ、Bメロの終わりにはすべて集結し、気持ちのいいまとまりを見せます。その気持ちが高まった頂点で来るのが、あの「ハァッ!」なのです。もう、計算しつくされた音楽であるということが、この一篇だけでも理解できてしまいます。
そして歌詞もまた、非常に示唆に富んでいます。一曲通して、若い頃に書いた日記を読んで、「あの頃は…」と当時を鮮烈に思い出している様子の歌詞になっています。
そんな恋愛もあった…
古い日記
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あの頃は ふたり共
なぜかしら 世間には
すねたような 暮し方
恋の小さなアパートで
あの頃は ふたり共
なぜかしら 若さなど
ムダにして 暮らしてた
恋のからだを 寄せ合って
≪古い日記 歌詞より抜粋≫
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「恋の小さなアパート」は、おそらく恋人と二人だけの狭い世界のことを意味しています。世間から見てどうだとか、未来がどうとか考えることもなく、ただひたすらお互いがいればよかった…若い頃なら、そんな恋愛もありますよね。
そんな頃を思い返して少し羨ましくも、切なくもあり。大人になればなるほど、あの頃の自分に想いを馳せ、憧れるものなのかもしれません。しかしながら、これはただ愛に溺れた若い頃に憧れる曲ではありません。
想像を裏切るような深い愛を語った歌詞
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好きだったけど 愛してるとか
決して 決して 云わないで
都会のすみで その日ぐらしも
それはそれで 良かったの
≪古い日記 歌詞より抜粋≫
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「好きだったけど 愛してるとか言わないで」。私にとっては、衝撃的な歌詞でした。情熱的な恋の曲だったはず。恋人ならより愛して欲しいはず。そんな想像を裏切られました。
彼女は、歌詞の中で「恋」「小さなアパート」「その日暮し」を受け入れているのに対し、「世間」「他人」「先のこと」などを拒んでいます。
なんだか不安定で、危なげなものばかりを好み、世間体、将来のこと、安定などは避けているように読み取れます。歌詞を見る限り、それは世を拗ねたような社会に対する屈折した気持ちからそういう姿勢になってしまったのでしょう。
先がどうなるとか、他人や世間は関係なく、今と自分さえよければいいという姿勢です。だからこそ、同じ匂いのする恋人との狭い世界で、お互いの傷を舐め合うことでそんな自分自身を認めるように、二人体を寄せ合っていたのではないでしょうか。
そんな時に、突然恋人から将来を見据えた愛などを求められたら、きっと今と同じような付き合い方をして行くことはできません。だからこそ、の「愛してるとか言わないで」だったのではないかと思うのです。
唯一無二のシンガー和田アキ子
そのようにして彼女が経験したのが、野暮なことは考えずに「今、この瞬間」だけを見つめられる恋愛です。この本能的ともいえる恋には、二人の安定や将来を考えるような穏やかな愛には決してたどり着くことのできない、圧倒的な「情熱」が存在します。
そして和田アキ子こそが、まさにその最大瞬間風速的な恋の情熱を表現することができる歌手なのです。彼女の歌唱を目にすれば、この燃える熱情の迫力は、ただ上手いだけの歌手には到底表現できないと確信させられるはずです。
さらに彼女の歌が唯一無二といえるのは、「瞬間的で、本能的な情熱の恋」だけでなく、その歌唱の壮大さで「惜しみなく満ちて来る永劫不変の愛」も表現することができることです。一見相反するそんな恋や愛の在り方をたったの3分間で伝えることができる歌手を、私は和田アキ子…彼女以外に知りません。
和田アキ子の曲を聞いてみよう
そんな彼女も2018年で歌手生活50周年。その記念すべき年に向けて開設されたTwitterには、誰かへの批判などはみじんも出てきません。ただ一生懸命考えながら作ったように感じられる文章と、彼女の笑顔の写真があるだけ。
まるでそこには、「SNSを始めたばかりの母ちゃん」のように身近な彼女を感じられます。
歌手としての活動をあまり見たことがない方にとっては、もしかしたら偉そうに映る部分もあるかもしれませんが、そもそも彼女の高い身長やボーイッシュな見た目などからくるオーラ、またメディアで作られたキャラクター像によってそう思わされているところは多少なりともあるのではないでしょうか?
彼女の格好よさをそんな風に消費しては、実に勿体ない。とりあえず、文句を言うのは、曲を聴いてからでも遅くないのではないでしょうか。
TEXT サニー