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続け!女王蜂の歩む修羅の道

女王蜂は4人組のロックバンドだ。2009年に神戸で結成され、2011年にデビューした。ボーカルのアヴちゃんを筆頭に、年齢、国籍、性別は非公開。映画『モテキ』のテーマソングに楽曲『デスコ』が抜擢されるなどして注目を集めた。今回は女王蜂5thフルアルバム『Q』の中から、『しゅらしゅしゅしゅ』をひもといてみたい。タイトルだけ見ると、全部ひらがなでかわいらしい印象かもしれない。「しゅしゅしゅ」なんて発音してみるとちょっとマヌケている。しかし、実際に聴いてみれば、そんな印象は拭い去られ、あっという間にトリコになること請け合いだ。

女王蜂の「しゅらしゅしゅしゅ」



ググってきてんなら嫉妬してんな
おいびびってんな おいびびってんな
幸せいつから宗教ですか?
しゅらしゅしゅしゅ しゅらしゅしゅしゅ


「ググってきてんなら嫉妬してんな」とは、おそらくバンド「女王蜂」でグーグル検索してきた大衆へのメッセージだ。

「嫉妬してんな」というフレーズが、世間からみた女王蜂としての在り方をそれとなく伝えている。

わざわざ検索してきたくせに、嫉妬なんてしてんじゃねーよ、というフラストレーションを感じるのだ。

続く「おいびびってんな」という歌詞は、目ざとく、しかも鮮やかにはっきりと「嫉妬してんな」と歌い切ったことに対して、心当たりがあるなら尻込みするな!と追い打ちをかけるかのようだ。

あるいは「これが女王蜂だ」というブライドかもしれない。どちらにしろ、何か強いメッセ―ジを感じないだろうか?

歌詞だけ読んだら、リスナーとして関わることをちょっとためらってしまいそうだ。

本当の幸せとは一体?

さらにここでは「幸せいつから宗教ですか?」と歌っている。この歌詞から、何か思うことはないだろうか?

「幸せになりたい」という言葉に踊らされて、「幸せ」を求めすぎて、何が本当の「幸せ」なのかわからなくなっている。

求めすぎるあまり「幸せ教」とでも呼べるような、歪さが生まれている。そんな現代観があるように見受けられる。

「幸せ」という言葉にどれだけの広がりや自由が見出せるのか……。「幸せ」っていうのは具体的に何を示すのだろう。

ロシアの文豪・トルストイは『アンナ・カレーニナ』という小説の冒頭で、「幸せはみな一様に同じ顔だが、不幸は千差万別だ」というようなことを書いていた。

たぶん「幸せ」はもっと身近で簡単なものなのに、それが「宗教」じみている、というイメージなのだろう。短いフレーズだが、ガツンと心に響く1節だ。


曲の冒頭の歌詞は「誰も教えてくれない 幸せになったかどうか」なのだけれど、それは自分の「幸せ」に気づかなかったり、自分の状況を「幸せ」と思っている人があまりにも少ないのかもしれない。

だからこそいつからか、「幸せ宗教」になってしまっているのだ。

呪文のようなフレーズが耳に残る楽曲「しゅらしゅしゅしゅ」

しゅらしゅしゅしゅ しゅらしゅしゅしゅ」と、サビの終わりではひらがなが続く。一見かわいらしい字面だが、まるで呪文のようでもある。

「修羅」という単語を親しみやすくしているようでいて、却っておまじないのような印象になっていやしないか。

とてもリズミカルなリリックで、耳にとても心地よい曲だ。けれど、歌詞はよくよく読んでみるとかなり酷なことを歌っている。

踊れるけれど「デスコ」でかかるようなダンスミュージックではなく、もっと原始的で民族的な、土臭さといってしまっていいような雰囲気がある。

淡々としたリズムが、どこか民族音楽を連想させるのだ。

そこにからまる「修羅」という言葉。この言葉から受ける一種の恐ろしさや重々しさは、女王蜂というフィルターを介して、ズッシリすぎない踊れる曲に仕上がった。

「しゅらしゅしゅしゅ」と歌い切るアヴちゃんの声は、聴いているこちらまで気持ちよくなる。ふとした瞬間、つい口ずさみたくなってしまうだろう。

リズムにのせて「幸せいつから宗教ですか?」と歌われてしまうと、聴いているこちらはドキッとする。

一緒に口ずさみながら、あっと気が付くことはないだろうか?

「しゅらしゅしゅしゅ」という呪文が、私たちが陥っている「幸せ宗教」から、目を覚まさせるきっかけになるかもしれない。

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