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大森靖子が解き放った流星

2017年9月、大森靖子のニューアルバム『MUTEKI』が発売された。今回とりあげる楽曲『流星ヘブン』は、『MUTEKI』収録のアコースティック調バンドサウンドで構成されている。テーマは「創造的自殺」。ほぼ一発取りのアルバム曲の中でも、痛みや悲鳴のようなものが美しく優しく表現されている。

大森靖子の「流星ヘブン」



アカウントを消して 仮想的に自殺する
自撮りは私の遺影 2ギガのムービーは走馬灯


以上は特に印象的な歌詞だ。「アカウント」とは様々なSNSのアカウントのことを指すのだろう。

ここで「仮想的に自殺する」のは数多の少女たちだ。

SNS世代などと言われるように、10代~20代の女子(もちろん男子も)はツイッターなどのSNSに依存しながら生きている。

そして、アカウントがあることがむしろ当たり前なのだ。

その当たり前に存在するアカウントを消すことが、「仮想的」な「死」につながる、という。

確かに、アカウントを消すとそこでの人間関係は一度リセットされる。

「仮想」というのは恐ろしい概念だけれど、ネットの世界ではすぐに「アカウントを消す」ことが可能だ。

現実世界では簡単に自分を消すことは当然できない。

気軽であるだけに、アカウントを消す行為を「自殺」なんて言われると、はっとするし、少しドキドキしてしまう。

「死」という概念、そして「私」という自意識

続く「自撮りは私の遺影」という表現も、ポエミーでありつつもなんだか物悲しい。

「自撮り」は今や普遍的かつ日常的な風景だろう。「仮想的な自殺」になぞらえた上での表現なのだろう、とは思うものの、やはり何か、はっとさせられるし、悲しくもなってくる。

かわいく写りたかったり、きれいに写りたかったり、自分を良く見せようとするのが「自撮り」のひとつの側面だ。

ある意味「人生で一番輝いてる私」の表現なのに、それが「遺影」になってしまうのは悲しい。

でも、インターネットという仮想空間の儚さを想えば、確かに「遺影」という表現はぴったりなのかもしれない。

この短い歌詞の中に、「死」という概念と、「私」という自意識が、見事に織り交ぜられて表されている。

少女たちの祈りを代弁した大森靖子「流星ヘブン」

SNS世代のツボを上手に押えた歌詞に、「流星」「ヘブン」とうい美しい言葉選び、そして静かでうっとりするようなメロディ。とてもエモいし、刹那的だ。

「私」という言葉ひとつに込められた、様々な少女たちの祈りを、大森靖子は代弁しようとしているのではないだろうか。

だからこそ「アカウントを消して仮想的に自殺する」なんて歌詞が生まれるのだと思うのだ。

その少女一人一人が「流星」のようにあっという間に過ぎていく何かに例えられ、聴いていて切なくなってくる。

インターネットの渦の中で、私たちは何度でも死を体感できるのだ。

儚くも力強いギターの音やドラマティックに展開する曲調も、「流星」という言葉に収められてしっくりくる。

一見美しいだけのキラキラとした曲だが、根っこには「死」「仮想的自殺」「SNSの孤独」というずっしりとしたテーマが見える。

聴けば一緒に口ずさみたくなるような、そんな曲でもある。

SNSにあまり肩入れしすぎないで、疲れてしまったら、そっと『流星ヘブン』を聴いてみて欲しい。

Txt:辻瞼

超歌手。新少女世代語彙力担当。 型破りというより型などいらん、なぜなら"超"歌手だから。 アイドルじゃないのにアイドルフェスにでたり、フジロックのステージにアイドルをあげて一緒に歌ったり、自殺防止イベント、花見、そのへん、寺、映画をつくり映画館を巡るなど、だいたいどっかでギタ···

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