1分間のラブソングで唯一の英詩
その1分間のラブソングの中に唯一、英語の歌詞で歌われている1曲があるんです。その曲のタイトルは「このギターと愛と」。対訳を読むと前向きなラブソング。なのにどうして「愛」に「ギター」がついてくるんだろう?おまけに「愛」より先に「ギター」が来ているし…。
この歌って恋愛の歌なはずだけど…?もしや、マニアックなギター愛の歌??
この「ギター」の存在。これが仲宗根泉が1分間のラブソングを作った想いの根本にある大きな大きな「愛」のしるしなのです。
コメントの悩みへのアンサー
このアルバムになった1分間のラブソングは仲宗根泉のインスタ(Instagram)にコメントとして寄せられる「悩み」に対して作られたそう。その悩みは「恋」の事が多く、このアルバムも苦しい恋、幸せな恋。そしてもちろん恋だけでなく、夢や人生に寄り添う歌で作られている。
そんな様々な悩みに寄り添う歌の中に、抜群に「キュート」って言葉がよく似合うストレートなラブソングがある。それが「このギターと愛と」。
元気で前向きな女の子が満面の笑顔と一緒に、大好き!って気持ちに一途に向き合っているのが目に浮かぶ歌詞。
聴いているこちらも思わずつられて頑張るのが楽しくなるような、嬉しい歌。
その「頑張るのが嬉しくなる」って気持ちを目一杯感じるのがこの歌詞。
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'cause you know I love you so
Yes I love you so
【対訳】
努力させてよ 私に
だって好きなんだもん
≪このギターと愛と 歌詞より抜粋≫
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私が男子だったら一度でいいから言われてみたい告白フレーズ!健気さが伝わるし、何より大好き!って気持ちがすごくいいなと思うから。
だからかもしれない。このたった一節で仲宗根泉が1分間という、あっという間でも。伝えたいと思った愛。彼女の大きな大きな愛を感じたのは。
ギターはどこに出てくる?
この歌のタイトルの「このギターと愛と」。歌詞の対訳には一切ギターの事は出てこない。普通にこの歌を聴いていたら「愛」については恋愛の事を指しているのは伝わると思う。ことギターについては、この曲がギターひき語りの曲だからって事で説明はつくのだけれど。
でも、「このギター」って、それだけの意味でわざわざタイトルにするだろうか。自分を「私はおせっかい焼きババアみたいなところがある」なんて言う仲宗根泉が。
聞いているだけで、頑張るのが嬉しくなるような歌で、恋の事だけをただ単純に歌うだろうか。
おせっかい焼きの人って、1つの悩みにしっかりと向き合ってくれて、解決した後も折に触れて気にかけてくれる人だと思う。
自分をそんな風だと言う彼女を思うと「このギター」に込められたメッセージはこう考えられる。
ギターに込められたメッセージ
「あなたの事が大好きだから。恋ばかりにならないで、どんな時も自分を好きでいられる元気なあなたでいてね」。その真意はこの歌詞に見て取れる。
タイトルのギターは「自分」であり「恋」であり「努力」である
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曖昧な言葉じゃなく ハッキリ聞かせて
いつもアナタの一番でいたいから
いつもアナタの好きな私でいたいから
努力させてよ 私に
だって好きなんだもん
≪このギターと愛と 歌詞より抜粋≫
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タイトルだけに存在するギター。このギターが持つ意味は恋をしている「自分」であり「恋」そのものを表している。
当たり前だけど、ギターで綺麗な音を奏でる為には練習が必要。ギターは弾き手が努力して初めて、自分の求める音が奏でられる。
きっとこれって恋にも同じ事が言えると思う。
自分の好きな人に「好きだよ」って言ってもらいたいのに、自分は何もしないで「好きだよ」って言ってもらうのは難しい。
もちろん付き合い始めあたりなら無い話ではないけれど。
『曖昧な言葉じゃなくハッキリ聞かせて』『本当は私のドコが好きなの?』って思えるほど付き合いが長くなって。
「好き」って気持ちが当たり前になってしまった。好きって気持ちがあるのは十分わかってるけど。
ハッキリとした「好きだよ不足」の二人くらいには尚更。自分は何もしないじゃ、『欲しいもの』=『アナタの気持ち』なんてもらえないはず。
愛は努力で育むモノ
やっぱり恋人同士の愛は『努力』し合わないと続かない。それを仲宗根泉はわかっているから、この歌詞が出てくる。『いつもアナタの1番でいたいから』『いつもアナタの好きな私でいたいから』。だから『努力させてよ私に』。
そしてこの歌詞に、おせっかい焼きな彼女の大きな愛と「ギター」の存在の真意が繋がっている。
好きな人の1番になりたい、そうでありたいのは恋する人は老若男女みんな同じはず。
そうあるために『努力させてよ』という歌詞で、彼の心をがっちり掴めるようにがんばれ!って応援してくれている。
だけど、この部分の歌詞は彼が中心になっている努力の事を応援しているわけじゃない。
それは仲宗根泉がおせっかいだから。恋をしながら自立も忘れないでと教えようとしているのだと思う。
彼の為って思いながらする努力って、素敵な事だと思う。
でも、もしも。もしも、その努力が実らず欲しい物をもらえなかったら?最悪のパターンだって先々考えられるわけで。
そんな時に彼を中心にした努力は、何になるだろう。
何にもならないとは言わないけれど、きっと後々の笑い話くらいにしかならない気もする。
それって結構、恋愛あるあるだと思うからこそ。彼女は『努力させてよ』に「努力をするなら自分が中心の努力をしてね」と想いを込めているのだと思う。
自分が中心の努力なら、最悪のパターンを迎えても。「今の私があるからいいや」って努力が未来の恋に繋がるし。
自分の為にした努力はどんな時も裏切らないものだから。その自分が中心の努力=ギターが愛と同じ土俵に上がる真意なのだ。
だってギターの魅力を引き出すのは弾き手次第。弾き手次第でギターの音色は決まる。努力すれば、自分の求める音を奏でる事が出来る。
自分が中心の努力は『本当は私のドコが好きなの?』の答えを『曖昧な言葉じゃなくハッキリ』聞けるくらい、魅力を引き出すから。
楽曲に込められた愛、それは「その人自身を愛し想いやる気持ち」
仲宗根泉が自分を「おせっかい焼き」と表現した時に、1分間のラブソングを作るきっかけについてこんな事を一緒に話している。「じゃあ、あなたが今夜よく眠れるように私が曲を書くから、ちょっと心が癒されて明日も頑張ってね」
おせっかい焼きな仲宗根泉が「このギターと愛と」に込めた大きな愛は、恋愛相談のアドバイスだけにとどまらず。
インスタグラムのコメント欄の向こう側にいる、悩める人。その人自身を愛して想いやる気持ちなのだ。
今思い悩んでいる事の結果が最悪のパターンでも、必ず最後は自分の力で立ち上がって経験が自分の魅力になるように。
もちろん、最高に幸せなパターンなら幸せがもっと大きくなる様に。いつも自分が望む姿でいられる様に。
大きな大きな愛を、好きな時に聞ける歌にしてどんな時も寄り添う。
そんな彼女の愛。それが「このギターと愛と」に1番表れていると思う。でも、どうして会った事もない人にそんな風に愛を注げるのだろう。
きっとそれは、あなたの好きな人の事を思い浮かべてみて考えればわかるはず。『だって好きなんだもん!』愛に理由があるとしたら、これだけ!
TEXT:後藤 かなこ