"a woman getting everything she wanted without giving anything back."
「得られるものすべてを欲しがるのに何も返さない女(についての歌)」
歌詞の最初に登場する「彼女(she)」は、この世のきらめくものはすべて黄金だと確信しています。
つまり彼女はこの世の物質はすべて換金できるもので、お金さえあればなんでも手に入れられると言うのです。
しかし彼女はこの世のものならぬもの、つまり「天国への階段」さえ同じようにお金で手に入れようとしますが、そこに異議を唱えるのがこの歌の骨子だと言えるでしょう。
ただ、その部分の解釈が一番難しいのです。その難解さの原因はまず、Iやyou、それにweなどの人称が誰を指すのかが分かりにくいことにあるように思います。
今回は冒頭のプラントの発言を補助線として、『天国への階段』は「セレブな女の勘違いを貶す歌」とざっくり分類することで読み解いていきたいと思います。
セレブ女性を批判するロックソングあれこれ
なぜかロックアーティストはセレブ女に厳しいのです。
ボブ・ディランの名曲『ライク・ア・ローリング・ストーン』も、有り体に言えば落ちぶれたセレブ女を嘲笑する歌です。
「転がる石みたいに落ちぶれて、今どんな気持ちでいるんだい?」と冷水を浴びせ続ける容赦のないこの曲は、かのローリング・ストーン誌でベストロックソング第一位に選ばれるほどの支持を得ています。
ひょっとしたらロックが物質主義を批判するとき、セレブ女を槍玉に挙げるということを慣例にしたのは、この曲の影響力の大きさに一因があるのかもしれません。
ロック界でセレブなイメージが強いアーティストといえばエルトン・ジョンです。
しかしそんな彼でさえセレブ女を批判するという曲を歌っています。
『グッバイ・イエロー・ブリック・ロード』では、豪奢なペントハウスで社交界の飾り物として飼い殺されていた若者が、おらこんな生活いやだとばかりに旅立つという内容です。
(実を言うとこの曲で批判されているものはyouと呼ばれているのみなので、女性なのか男性なのかははっきりしていませんが、登場人物の関係性からここではyouは女性であると推察しています。)
作詞したバーニー・トーピンは、ローリー・ロドキンという女性と交際していた時期があります。
このローリーなるシカゴ生まれの女性は、60年代末にエンターテインメントの都であるロサンゼルスに移り住むと、インテリアデザイナーに始まり俳優のマネージメント、そして現在はジュエリーアーティストという、いかにもセレブな謎めいた経歴を経て、彼の地の社交界に居座り続けています。
バーニーとローリーが交際していたのは『グッバイ・イエロー・ブリック・ロード』の製作時期よりも後のようですが、当時のバーニーやエルトンの周囲にこうしたセレブリティが群がっていたことは想像に難くありません。
またこのローリーはイーグルスのドン・ヘンリーとも交際していた時期があり、メンバーによれば『ホテル・カリフォルニア』に登場する「ティファニーのハートとメルセデスの曲線を持つ女」のモデルは彼女だといいます。
ドン・ヘンリーは詞の中で、カリフォルニアのセレブな生活の正体を彼女に語らせました。
「私たちはみんな囚われの身なのよ。自分からそうしたのだけれど」
『ホテル・カリフォルニア』はセレブな生活に飲み込まれることの危惧を歌っているような節がありますが、完全に飲み込まれてしまったものの代表として彼女を配置しているのは明らかです。
つまりここでも吊るし上げられるのはセレブ女性と言えるでしょう。
セレブ批判は成功の頂点における立ち位置の再確認
なぜロックアーティストはセレブ女性に批判的な曲を書くのでしょうか。
その真意はそれぞれでしょうが、今挙げた曲すべてに共通することがひとつだけあります。
それらの曲が制作されたのは、彼らのキャリアの商業的ピークの時期だったということです。
成功の頂点にあった彼らは、こうしたセレブな人々に接する機会が数多くあったことは間違いありません。
そして彼らはそんな物質主義に満ちた人々に強い違和感を持ちました。
彼らを批判することで、自分たちは別の立場にあるということを表明しなければならないと思ったのでしょう。
そこで利用しやすいのがセレブ女性です。
高価なドレスや宝石を身にまとう女性たちは、物質主義のメタファーとして分かりやすく使いやすいモチーフであったのでしょう。
『天国への階段』の正しい聴き方
『天国への階段』の歌詞で本当に難解なのは、そうした物質主義に対する批判の裏付けがどういったものであるかが曖昧なことです。
なんでも金で買えるわけではない、と言っているところまでは分かるのですが、では金を使わずにどうしたらいいと思っているのか、そこがよく分からないのが混乱の原因と言えるでしょう。
その混乱の元を正すと、人称が誰を指しているのかが曖昧という問題に帰着します。
歌詞の発言が誰のものであるか分類することができないので、そもそも内容をまとめることができないのです。
ただこれを歌詞の構造的欠陥と断罪することはたやすいですが、きっとそうではないでしょう。
彼らは明言できる答えを持っていないということを、曖昧な詞そのもので表現しているとみることもできるからです。
And if you listen very hard
The tune will come to you at last
耳を凝らしてよく聞けば
その調べがやがて聞こえてくるだろう
終盤近くに出てくるこの一節は、この曲そのものの正しい聴き方を最後に念押ししているのかもしれません。
彼らの言葉よりもその調べに、今一度耳を傾けてみましょう。
TEXT:quenjiro
Led Zeppelin(レッド・ツェッペリン)は、ジミー・ペイジ、ロバート・プラント、ジョン・ポールジョーンズ、ジョン・ボーナムによるイギリスのロックバンド。所属レーベルはWarner Bros. Records。 1968年、所属していたロックバンドThe Yardbirdsの分裂後、ジミー・ペイジが、ロバート・プラン···