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【インタビュー】平和を願い歌うmëme、OTONOVA2018へ出場し初代グランプリを獲得!! (1/2)

幼少の頃から培ったダンスパフォーマンを武器に、歌をミックスさせ都内を中心に活動している「mëme」(ヨミ:ミーム)。 2018年6月2日に開催されたOTONOVA2018グランプリファイナルへ出場し見事グランプリを獲得。同日にアルバム「COLOR」リリースしている。 そんな今注目の彼女にインタビューをしました!

mëme、自分の使命を強く意識して活動したい



――今日はmëme(ミーム)さんにきていただいてます。よろしくお願いします。

mëme:よろしくお願いします。

――おそらく最初に聞かれることかと思いますが、アーティスト名について教えてください。

mëme:わかりました。「ミーム(meme)」っていう言葉自体は元々存在する言葉で、遺伝子の伝達とか伝承っていう意味合いです。
化学用語として使われてますが、それ以外にも話題になったり、広がっていくみたいなネットのスラングとしても、結構世界中で使われている言葉です。

――遺伝子の伝承、ですか。

mëme:もともと私がワールドワイドに活動したいとずっと考えていました。そして自分のバックボーンが長崎や沖縄なので、そういった戦争の思いとかを伝えていくんだって気持ちを強く持ってアーティストをしていたので、文化や出会いも含めて、遺伝子という自分の使命を強く意識して活動したいなっていう意味で名前を「mëme」とつけたんですけど。

もともと「m!epom」っていう名前で活動していたのを、よりもっとアーティストとしての自覚と責任を持って活動していきたいなと思って「mëme」に改名したというような流れになります。

――なるほど。今生い立ちをお聞きしたんですけど、生まれが長崎で、沖縄と福岡で育って来られたということですね。

mëme:そうですね、幼少期の大半は沖縄で育っていて、青春というか、一番長く自分が育ったところが福岡なので、出身は福岡っていうふうに言わせていただいています。

――それぞれに色んな歴史をもつ土地ですよね。そういったアイデンティティというか育たれた土地の思いみたいなところも強く感じられたりしますか?

mëme:それはもう、根底にすごくあって。それがあるので今アーティストをやっているといっても過言じゃないくらいです。

長崎は、祖母が長崎原爆の被爆に遭ってて、だから私の体にももしかしたら放射能が混じっているかもしれないっていう話を、小さいときからずっと聞きながら育ちました。それは医学の根拠という話ではなくて、受け継がれる思いの面で強く心に残っています。

沖縄では、沖縄自体が沖縄戦のことをずっと語り継いでいる土地なんですね。私が今アーティストとしてすごく大事にしている言葉があって、「武器ではなく楽器を」っていう言葉をです。沖縄戦という悲惨な歴史の中で、武器ではなく楽器や歌を高らかに歌って乗り越えてきた方たちの中で育ってきました。

――「武器ではなく楽器を」平和の尊さが表現されたとても素敵な言葉に感じます。

mëme:平和を小さいときからずっと自分の中で意識していたんですね。その平和を、音楽だけじゃなく芸術だったり、自分がそこに力を貸せるような活動をしていきたいなっていうことで、今のアーティストにつながっています。

――そうなんですね。しっかりした意思を感じます。そんなmëmeさんは、最初はダンスの道に入られて、コンテストでも優勝されているんですが、ダンサーからシンガーになるきっかけはどういったものがあったのでしょうか?

mëme:ダンサーは最初マイケル・ジャクソンのパフォーマスを見て驚いて、そして日本で活躍される方を見て、どんどんダンスの魅力に魅了されていきました。すごく影響を受けた方いて、今のダンサー界では有名な方なんですけど、私の師匠になる方と出会いました。

表現する芸術に触れているし、自分が自分らしくいられるっていうのでずっとダンサーをしていたんですけど、自分の中でダンスだけじゃなんか表現が足りないなっていう気持ちが強くなってきましたんです。

自分が白いキャンバスになって、色んな芸術っていう手段を使って表現していきたいなって。その絵の具が自分にとっては芸術であって、今まで経験はなかったんですけど歌も踊りにミックスさせて、自分なりの芸術を伝えていけたらいいなっていうことから、アーティストになると同時に音楽を始めました。


OTONOVA2018へ出場し、グランプリを獲得!



――そして今回は、アーティストとして、OTONOVA2018へ出場し、グランプリを獲得されました。おめでとうございます。率直に感想を聞かせてください。

mëme:ありがとうございます。グランプリはすごく嬉しいのはもちろんなんですけど、グランプリっていう、しかも第1回目のOTONOVAで初代のグランプリっていう責任の重さを、戴いた瞬間から感じています。

今まで支えてくださった方への感謝はもちろん大前提なんですけど、これからの私の活動次第でこのグランプリの価値が変わるって思うとすごいですよね。グランプリっていう言葉に緊張がまだあるような(笑)感じです、今は。

――これから、今回のUtaTenでのインタビューを皮切りに、受賞の副賞として色々なステップが用意されていますね。そういったところに向かう気持ちはいかがですか?

mëme:それはワクワクするし、想定内で終わらせたくないなって思ってます。まだまだ、ミラクルなことを起こしていきたいなっていう思いはあります。

OTONOVAグランプリのニュースはコチラ

▲OTONOVAグランプリファイナル6月2日開催決定!

――今回のOTONOVA2018の予選と決勝とmëmeさんにポイントを投票した方がたくさんいらっしゃいます。そういったファンの方とか、予選のステージや決勝の広い六本木のステージもありました。どういったお気持ちでパフォーマンスされていたんでしょうか?

mëme:私はOTONOVAのアンバサダーもさせていただいていたんですけど、アンバサダーのときは純粋に、アンバサダーとしてOTONOVAを盛り上げたいなっていう思いでファンの方とかアーティストさんを見ていたんです。ただ出場するときは完全にちがう目線でやっていたので、違った面を見ることができました。

九州で自分が出場者として出たときに、やっぱり全然地方によって雰囲気もちがう。でも、OTONOVAっていうひとつのものに対して、ファンの方とかアーティストさんみんながすごい本気でやっている、普段のライブとはちがった緊張感がすごく味わえたのと、異なったジャンルで一緒にライブできないようなアーティストさんといっしょにがんばれたっていうのが、自分にとっては大きな経験でした。

――たしかに様々なアーティストがお互いを刺激して高め合っていましたね。

mëme:そしてもちろん、本当だったら会うはずのないようなファンの方と会えたっていう、本当に出会いの場がすごい各地で溢れていたイベントだなっていうのは、出場者としてもすごく感じました。

私の場合、応援をいただいた方は九州だけじゃなくて、関東からも北海道からも沖縄からも応援してくださっていたので、ひとつひとつすごく感謝してて絶対結果を出したいなって予選から思っていたので、こういう形で結果が出せてとてもうれしいです。

――アプリの向こう側にいるファンが応援してくれたんですね。ステージに足を運んでくれて声をかけてくれたりとかもありましたか?

mëme:もちろんあります。関東からファイナルにかけて、みんな飛行機とって来てくれたりとか、逆に福岡の人たちが最後のグランプリファイナルは来てくれたりとかそういうのもあったので、そこまで時間とお金をかけて、このひとつのライブのために来てくれるんだっていうのがもう、一票の投票よりも価値があるなっていうか。
それはOTONOVAとはまた別にすごくありがたいなって感じました。

――この企画とこのアプリのサービスがあったおかげでmëmeさんを知ってくれたファンができたということもあるんですよね。

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長崎生まれ、沖縄&福岡育ち 沖縄の精神「武器ではなく楽器を…」 家庭の環境で、歌う事が大好きだった幼少の頃、偶然TVで見た“Michael Jackson”のライブ・パフォーマンスに影響を受け、ダンサーを志す。 12歳の時、“GO GO BROTHERS”の師事の元、Boogaloo Style / Funk / Soul / Rockを中心にダン···

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