ちょっと孤独で。でも、でっかいバンド愛あふるるバンギャルちゃんの。心の友に成りうるのが、この椎名林檎の「幸福論」!その理由は歌詞に有り!
椎名林檎「幸福論」
――――
時の流れと空の色に
何も望みはしない様に
素顔で泣いて笑う君に
エナジィを燃やすだけなのです
――――
好きなバンドの何が好きかって?そのバンドのライブ、音楽は当たり前。それプラスでメンバー全員好きだけど、その中でも誰がカッコいい!とか。それはそれは言い出せばきりがない!
大好きなメンバーが繰り出してくる、音に仕草に胸は高鳴るばかり。その高鳴りを声や“フリ”に乗せてステージへ気愛いを送る。それはまさにバンドに『エナジィを燃やすだけ』。
何にも負ける事のない“バンド愛”しかしそれは言うなれば“究極の片想い”。わかっているんですよ、バンギャルだって。こちらがいくらエナジィを燃やして、ライブでたくさんの幸せをメンバーと共有しても。それが現実の中の一瞬の夢である事くらい!
それでも。ライブでステージから貰う幸せ以上に“生きている実感”ってない。これ以上に、自分を前向きに揺り動かすものなんてない!だからバンギャルは一途に想うのです。
『時の流れと空の色に何も望みはしない様に』いつまでも変わらないで。目の前であるがまま『素顔で泣いて笑う君』をこのままずっと、見ていられたらいいなって。
バンドに懸ける愛と同じ片想いの歌
――――本当のしあわせは
目に映らずに
案外傍にあって
気付かずにいたのですが
――――
椎名林檎の幸福論って、バンギャルちゃんがバンドに懸ける愛と同じ“片想い”の歌だと思う。しかし、ただ。片想いの相手を好き好き大好き!!って事を歌っているわけではない。
この人の事が好き。でも、自分の立場や年齢だったりが想い続ける事に迷いを生む。そしてその迷いに周りの助言というお節介な言葉が更に追い打ちをかけてくる。例えば「いつまでそんな事しているの?」的なアレ。
気合いの入ったバンギャルちゃんなら、一度や二度は外野から投げつけられた言葉だと思う。若いと言われる年代ならまだへっちゃらだし。なんなら、そんな言葉はバンド愛の前では何の意味も持たない。
しかしだ。それがだんだん、グサッとくる回数が増えてくるのだ。“普通の友達”が結婚して行く姿や、バンギャル仲間が一人。また一人とあがっていく姿。恋人が出来たとか、仕事が忙しくてとか。単純にバンドに飽きた、とか。
そんな状況を目の当たりにしてしまえば、バンギャルだって女子ですよ。
「不毛な恋」にひたすら『エナジィ燃やすだけ』で、いいのか?と自問自答しながら闇を儚んでしまうわけです。
結局、闇は儚い
――――かじかむ指の求めるものが
見慣れたその手だったと知って
あたしは君のメロディーやその
哲学や言葉全てを守る為なら
少し位する苦労もいとわないのです
――――
けどね。迫り来る迷いの闇がその時にはどんなに深くても。結局、闇は儚い。ライブに行って、かっこいいとことか見ちゃったら「やっぱ好きだわ!」ってなるのがバンギャルだ!
“普通”と言われる物全てが、バンドとは関わりのない物だとするならば。バンギャルにとって“普通”はライブの熱がない、冷めた世界だ。冷めた世界でふるえながら『求めるもの』それはやっぱり“バンド”なのだ。
ライブで、全身に感じる『君のメロディー』。ステージやメディアで語られる『哲学や言葉』。その全ては、バンギャルの生きる糧だ。時にはその音に言葉に救われる。バンギャルの心はバンドありきなのだ。その心にに戻る時、必ず想うのが「好きで良かった」「ありがとう」だ。
そんな風に想える、ライブという居場所や。想いを通して繋がる人と人。バンド自身と繋がる事は難しくても、音を通して結ばれる心のしあわせ。
“普通”にはないものがバンドとバンギャルの間にはあるのだ。それを生み出す『全てを守る為なら少し位する苦労』なんて、次に行くライブのチケットを眺めたら。全然『いとわないのです』!
盲目的に愛を貫いているだけに見えるのも事実
――――素顔で泣いて笑う君の
そのままを愛している故に
あたしは君のメロディーやその
哲学や言葉全てを守り通します
君が其処に生きているという真実だけで
幸福なのです
――――
バンギャルって。外から見れば、盲目的に愛を貫いているだけに見えるのも事実。でも、こうして『幸福論』を語るとなかなかに悩ましくバンド愛と向き合っている。
そこから見える椎名林檎の『幸福論』は、ただ君が好き好き!の片想いを歌っているのではなくて。その片想いを諦めない為の、悩みの先に見えた“本当のしあわせ”をその名の通り歌っているのだ。
恋とは相手の心をこちらに向けるために試行錯誤する事。しかし、相手をコントロールしようとすればするだけ苦しい。その苦しみはやがて「好きだけど諦めよう」という気持ちにたどり着く。
どうして好きなのに諦めなくてはならないのか。それは、本来。人の心なんてコントロールする物ではないのに。思う様に行かない!とか、手に入らない!(バンドの場合は遠い!)という事実を苦しむからだ。
よ〜く考えてみれば、人は誰かを好きになる時『素顔で泣いて笑う君』を純粋に好きになった。ただそれだけ、なのだ。そして、ただそれだけが最も愛すべき感情なのだ。
だって、いっくら迷って悩み苦しんだって。自分の大好きなバンドがステージで『素顔で泣いて笑う』顔見ちゃったら『君が其処に生きているという真実だけで』『幸福なのです』!
今日もどこかでバンド愛の赴くまま。北は北海道、南は沖縄まで!遠征に。学業に仕事を光の速さで終わらせて、その足でライブハウスへ駆けて行くバンギャルちゃん!どうか忘れないでね、椎名林檎の『幸福論』を。
バンギャルちゃんに限った事ではないけれど。何かや誰かを愛する“究極の片想い”と椎名林檎の“幸福論”。答えは同じ『君が其処に生きているという真実だけで幸福なのです』なのだから。迷っても好きでいるのが楽しいなら。自分の気持ちに純粋であってほしい!その気持ちは絶対『本当のしあわせ』に繋がっていくから!
TEXT:後藤かなこ