失恋する事でしか得られなかった、たくさんすぎるくらいの“愛”というのがある。
失恋したのに、どこに愛なんてあるの?と、思うけど。ちゃんとあるんです。それは、DREAMS COME TRUEの『すき』の中に。
歌詞のほとんどがそれであるかのように、繰り返し歌われる『すき』という言葉。失恋の悲しみを歌った曲なのに、不思議と悲しくはない。
むしろ聴くと、ホッとする。それはまるで、転んで出来てしまった擦り傷に絆創膏をそっと貼る感じに似ている。
貼ったからって、痛いし完全に治ったわけじゃあないのだけど。「うん。大丈夫!」って、なんだか思える。
失くした恋に感じていた。不安定な愛よりも。やさしい甘さが丁度良い、確かな愛がたくさん詰まっている。
DREAMS COME TRUE「すき」
帰り道のことは何も覚えてなかった
ドアを開けたままで
バスタブにうずくまった
すきだった彼に、別れを告げられてしまったショック。想像しただけで心が裂けてしまいそうになる。
そんなのもう、どこをどう帰ったかなんて思い出せるわけがない!
絶対泣かない!!って、終わってしまった悔しさと悲しさでがんじがらめのまま飛び込んだのはバスタブ。
バスタブは悲しみと過ごすには広すぎなくて、丁度いい。自分1人で抱えなくてはならない悲しみ。
今までは、すきな彼がいるって安心感があったけど。これからは、一人。
恋を失くした女性の心許なさと喪失感は計り知れない。
だけど、この後にあるちょっとした失敗から、失恋の辛さをそっとやわらげる大事な愛が聴こえてくる。
ずっと泣きたかった
甘い愛の歌ばかりがFMから聴こえる(ちょっと失敗)つぶやいて
また 笑った
すき…Woo…
抱いた膝に次々にこぼれるしずく
そっか私
ずっと
泣きたかったんだ
すき…Yeah
いつものくせって体が覚えているから、どんな時でも自然にそうしてしまうもの。
失恋した日だって家に帰ったらまず、ラジオをつける。それは変わらない。
でも、ラジオはこちらの失恋事情なんておかまいなし。
失恋で疲れた心に容赦なく流れ込んでくるのは、幸せな甘い愛の歌。歌の中で繰り返される愛には安らぎがある。
そして、心のときめきが止む事のない『すき』がたくさんたくさん溢れてる。
そんなの、自分が不幸な時に聴きたくない!
私だって、そんな愛で幸せになりたかった!出来るなら、すきだった彼とずっと!
なんて想ったら、ラジオをつけてしまったのは失敗だったし。
自分の想っていた幸せは、もう二度と叶わないって痛感してしまう。そんなのもう、笑うしかないじゃない!
笑った後に気が抜ける事ってあると思うのだけど。『次々にこぼれるしずく』。
少し笑って気が抜けた事で“涙”が堰を切った様に流れ落ちてきた。そうして、自分の涙でようやく気がついた事。
『そっか。私。ずっと泣きたかったんだ』
すきですきで大すきだったから。その恋を失くさないように、悲しい事があっても泣かずに笑って堪えてきた。
強がりを繰り返しているうち。本当に悲しい時にですら泣けなくなってしまった。
そんな事をしていたら、とうとう友達の優しさにさえ、頼れなくなっていた。自分らしくない自分…。
そんな傷ついた心に、この歌の最後の一節で繰り返される『すき』は、甘く甘く広がっていく。
「すき」から解放されてやっと気づけた本当の自分の気持ち
彼のこと、大すきだったよね!でも、失ってしまった恋を振り返えりすぎたり。取り戻す事を考えるよりも。今は思い切り泣きなよ。今まで我慢してきた分、いっぱい人に甘えていいんだからね。
大丈夫だよ!あなたは素敵だよ!!恋を経て、更に洗練されたんだよ!!って。ひとつひとつのすきに、愛がこもっている。
我慢する事を頑張る恋。その恋で囁き合った『すき』も、本物である事に間違いはないのだけど。
別れを告げられて、すきから解放された事でやっと気づいた『ずっと泣きたかったんだ』って本当の自分の気持ち。
その気持ちから気がついた事は、無理から得た愛は続かないって事。本当の愛はそうではなく、自分が『すき』な自分でいられる愛。
ずっと泣きたかった分の涙を流しきったら。次は、やさしい人達がくれた。然りげない誘いを“○”って大きく腕で書いて、みんなだいすき!って心から大いに笑おう!
そんな心から自然と溢れた『すき』はいずれ、確かでちょうど良い甘さの愛へと変わり。自分も誰かも支える、愛になるはずだから。
それはきっと、ラジオから流れる甘い愛の歌よりも。もっともっと甘い愛なのだ。
TEXT:後藤 かなこ
ベーシストでありコンポーザー、アレンジャーの中村正人と、ヴォーカリストでありコンポーザー、パフォーマーである吉田美和の二人からなるDREAMS COME TRUEは、二人であることを核に、楽曲のクリエイトにおいては時代に合わせた形を柔軟に模索してきた。 特に、デビュー30周年を迎えた2019年以···