オンナは変わる
これしかできないという言わば真摯な姿勢が、女慣れしてる感を完全否定している『オンナは変わる』。するどいリズムのイントロなのだが、そこにあるのは70年代の発展途上な女性上位の匂いだ。
「かいつまんだ結婚式の夢 大事な部分が見えないの」。この歌詞が効いている。
“俺はこんなに女を知っている”―この当たり前の自負を100%さらけ出すことで、女すら知らない女そのものの本音という危険領域の侵入に成功しているのだ。
ここまで生々しい歌詞でありながら、昭和歌謡のパロディー、コント色がまるでない。1つの楽曲として冷めた感覚を貫いたまま、作品を作り抜いた川谷絵音のうまさが光る。
はしゃぎすぎた街の中で僕は一人遠回りした
甘めのアレンジで仕上げながら、リスナーにしっかりと痛みを与える『はしゃぎすぎた街の中で僕は一人遠回りした』。
『オンナは変わる』とは対照的。露骨な心情を抑え込み、風景、空気感だけを写生したような歌詞が光る。
やわらかなアレンジを漂わせながら、そこに川谷絵音のどこか無作法なボーカルが割り込むことで、現実の恋愛の試練を見事に表現している。
イメージセンリャク
軽やかなフットワークのやせ我慢がかっこいい『イメージセンリャク』。マスコミに対し、正直な主張(愚痴)を面と向かって訴えながら、そこにとんでもない艶っぽさが見える。
融通の利かない新人君ではなく、彼の言葉は政治すら変えるかもしれないと思わせるその美しすぎる声。
川谷絵音の怖さに、穏やかな笑みを浮かべてしまう一品だ。
もう切ないとは言わせない
行きつくところまで行った先にある清純さが眩しい『もう切ないとは言わせない』。
彼の声は可憐としか言いようがない。そこに罪深さはなく、純粋一本やりで、この世界の中を静止するように歩く。
恋愛に対しての貫禄が満ち溢れている川谷絵音には、もはや色気だのエロさはなく、清らかで誠実なものしか感じられない。
戦ってしまうよ
ゲームは結局人間の指がやっていることがわかる『戦ってしまうよ』。
「戦ってしまうよ 戦ってしまうよ」。川谷絵音のボーカロイドからガタガタした人間味あふれる声へのスムーズな落ち込み、なだれ込みが見事。
同時にアレンジの変化も絶妙。中盤「打て、このゲームが終わらないように」のセリフ後の老舗高級サロン風のピアノが、とりあえずリスナーをファンタジーな空間へと誘い込むが、エンディングはレトロ感あふれるキーボードで不自然な緊迫感を煽る。
手作業で組み立てられたデジタルサウンドに投影された、どこかチープで脆弱な非現実世界が癖になる作品だ。
招かれないからよ
徒歩5分圏内のワールドワイドなロック『招かれないからよ』。
ヨーロッパ系ヘビメタの匂いを強調させながら、自称セレブ女子の日本語基礎会話風の歌詞を絡めることで、地元のコンビニ的親しみやすいテイストのナンバーに作り上げている。
“バンドってこういう音を出してたよね”と通を気取ったあとで、演奏の確かさ、計算された構築力といった、「ゲスの極み乙女。」が誇る基盤の強靭さをがつーんと思い知らされる。
世界で勝負できる日本の文化的楽曲と言っても決して大げさではない。
ホワイトワルツ
作品としてのテイストと川谷絵音そのものとのサイズ違いが、ゆとりあるアダルト感を生み出した『ホワイトワルツ』。
川谷絵音の怖いものなしのシャウトと甘い女性コーラスとの絡みがセンセーショナル。作品の方向はジャズテイストであるが、自分のものにしている、板についているというより、むしろ合ってない。別物的ずれがある。
“洗練されたものを作るぞ”-このゴールに対する怠慢さ計画的モラトリアム状態が、限界越えのテンションとなって作品を強靭化させる便利な武器となっている。
“自力で輝くわいせつ”をリスナーに安易に提供してしまう川谷絵音の非凡な才能に圧倒される。
ゲスの極み乙女。「好きなら問わない」レビューまとめ
男から女。善から悪。意見Aから意見B。飛び移るのではなく「最初からそうでした。」を演じる。実はそれが真相だったをやり続ける川谷絵音。その生き様については器用に弁明し、一方で作品の出来栄えについての一切の言い訳をしない。
彼はこれからもリスナーの求めに関わらず、最強・天才プロバイダーとして、この上ない理想的サービスを提供し続けるのだろう。
川谷絵音は愛されるアーティストというより、需要が見込まれる開発者として、このミュージックシーンの中で君臨し続けるのだ。川谷絵音の花の命はつらく長い。
TEXT 平田悦子