「ちはやふる」のための一曲
競技かるたに出逢う事で生まれた。現役高校生の友情、夢や目標、葛藤、努力そして恋愛。一言で言えば「青春漫画」。小学生から大人まで、幅広い人気を誇る少女漫画の大本命と言っても過言ではない!と、ちはやファンの私は思う。
でも「ちはやふる」をご存知ない方。それでは「Perfume」はご存知だろうか?
どこかアンドロイド感の漂う整ったスタイルとパフォーマンスで、私たちの目も耳も魅了する女性三人組のテクノポップユニットのPerfume。そのPerfumeが歌う『FLASH』が2016年春に公開された、漫画ちはやふるの映画版である、ちはやふる〜上の句-下の句〜の主題歌となっていたのだ。
このPerfumeが歌う『FLASH』。“ちはや”ファンからすると、完璧!!なのである。何が完璧なのかは、『FLASH』の歌詞を見れば一目瞭然。
FLASH
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花の色が 変われるほどの
永い時の密度に近くて
フレームは一瞬 スローモーションで
一直線 光裂くように
舞う落ち葉が 地に着くまでの
刹那的な速度に近くて
フレームは一瞬 ハイスピードで
一直線 光裂くように
≪FLASH 歌詞より抜粋≫
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ちはやふるの題材である競技かるた。
正直この競技、ちはやふるの人気に火がついて市民権を得たのでは?と思う程に「知る人ぞ知る」という競技だと思う。実際、私も“ちはや”を読むまでその存在を知らなかった。
しかし、“ちはや”を通して知ってしまうと、一般的なかるたの概念がぶっとばされる。
そんな“ちはや”を通して、かるた概念をぶっとばされた人間が、Perfumeの『FLASH』を聞くと“ちはや”で読んだ胸アツなシーンが甦ってきて震えるほど、見事に“ちはや”で描かれる競技かるたを完璧に表現しているのだ。
特にこの、歌い出しと半ばに出てくる一節が。競技かるたと一般的に想像されるかるたとの違いをとても良く表現している。
「花の色が変われるほどの永い時の密度に近くて」
競技かるたに出る選手というのは、かるたの配列を暗記しなくてはならない。
それは「読手」という、かるたの句を読み上げるポジションの人間が句を読み上げたその瞬間。正確にかるたへ手を伸ばさねばならないからだ。
暗記時間は、勝敗を左右する場合が多いゆえに暗記をしながら相手の様子を伺う。そして、自分自身が感じる緊張や興奮。時には疲労、雑念…。試合には必要のない感情と向き合い、出来うる限り最高の精神力まで自分を律する時間でもあるのだ。
ゆえに「密度」と表現され、その時間が「花の色が変われる程永い時」と表現される。
もの凄い集中力で挑む競技かるた。その競技の様はどんなものか気になるところではないだろうか。
繊細な言葉で的確に表現する
「舞う落ち葉が地に着くまでの刹那的な速度に近くて」
この一節がそれを物語っているのだ。
競技かるたというのは、競技なのだ。勝つ為に札を何が何でも獲らねばならない。その為に選手は「いの一番」よりも早く、出来るならば「い」と発声される直前の音を聴く、音に対する反応の「速さ」と思った札に手を伸ばす反射神経と札への「速さ」が絶対的に必要とされる。
その、速さを「舞う落ち葉が地に着くまでの刹那の速度」と表現している。しかも、引用した2つの歌詞は競技かるたの「真髄」を見事なまでに歌っている。
「花の色がかわる程」「舞う落ち葉が地に着くまで」という2つの表現は、競技かるたがどんなものかを簡潔に伝える為の比喩であると共に、“ちはや”が描く競技かるたの「美しさ」を比喩している。
“ちはや”で描かれる競技かるたは、漫画も映画もその迫力に圧倒されるのだが、その迫力の中に主人公達のかるたへの純粋な愛がある。その愛するかるたに敬意を示す為に身につけて磨かれて行く、静と動の美しい所作。
そして競技かるたを通じて出逢う全ての人や経験と感情への純粋な愛が存在する。それらの心の美しさは毎回、漫画の表紙に登場人物の背景として描かれている花に表現されているのだ。
これらの「美しさ」が花や落ち葉という枕詞がある事で、“ちはや”で描かれる競技かるたをより明確に表現しているのである。
PerfumeのFLASHが「“ちはや”ファンからすると完璧」な理由
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空気を揺らせ 鼓動を鳴らせ
静かな夜に今 火をつけるの
恋ともぜんぜん 違うエモーション
今夜は これからなの
≪FLASH 歌詞より抜粋≫
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冒頭に「PerfumeのFLASHは“ちはや”ファンからすると完璧」と書いた。
これまでの歌詞で競技かるたについては解釈が出来た。しかし、競技かるたの事だけでは“ちはや”を完璧に語る事は出来ない。
そう!忘れてはならないのが、ずばり「恋」である。“ちはや”の中で、恋は確かに存在する。しかし、誰かに恋をするよりも「かるた」に恋をしている方が断然多いのだ。もちろん誰かへの恋だって気にはなるけれど。
恋に揺れる夜があるのなら、かるたの取りを練習してかるたへの情熱を燃やしたい。きっと主人公と同い年からみれば、花より団子のようなものかもしれない。
しかし主人公にとって、かるたで得られるあらゆる感動は「恋ともぜんぜん違うエモーション」なのだ。この一節で“ちはや”で描かれる恋へのスタンスもしっかりと表現されているのだ。
恋に関しての歌詞が、もしもかるたよりも恋に重きが置かれていたら。
“ちはや”の世界観を表す完璧さはなくなっていたと言っても過言ではない。“ちはや”で描かれる感動は全て「かるた」なのだ。恋は二の次であり、恋ですらかるたを通じて芽生えている。
そんな“ちはや”の世界とPerfumeの『FLASH』の世界は完璧にリンクしているのだ。
余談ではあるが、『FLASH』のMVも素晴らしい。Perfumeが“ちはや”で描かれる、かるたへの鋭い眼光や静と動。それらを、カンフーを取り入れた振り付けで見事に表現している。しかも、そこに恋の表現は一切ない。そこがまた“ちはや”ぽくて良いのだ。
ちはやふるを知っている人はPerfumeのFLASHを“ちはや”とリンクさせながら聞いてほしい。そして“ちはや”を知らない人は是非PerfumeのFLASHを聞いて「恋ともぜんぜん違うエモーション」がこの世にはたくさんある事を知ってほしい。
恋も大切なエモーションだけれど、恋ともぜんぜん違うエモーションを知っていると知らないとでは人生の豊かさもぜんぜん違うと思うのだ。
TEXT 後藤 かなこ