▲Charisma.com / Introduction的な
素晴らしく歪んだSNSの世界に迷い込む
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目が覚めるようにコーヒーをdrip 関心は毒
君は美味しいだろう でも真実は0
あれは未来を夢見ただけ
呪いかける one more
lily…
≪Introduction的な 歌詞より抜粋≫
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どんな嘘でも画面を通せば 濁った偏見と期待操る
≪Introduction的な 歌詞より抜粋≫
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殺す あいつ 何度も殺す
殺す あいつ 以外も殺す
あとはライツ カメラ 悪党にゴマする
≪Introduction的な 歌詞より抜粋≫
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スマホの素晴らしいところは気軽であるところ。気軽さゆえに、いつでもどこでも使えてしまう。
それが仇となると、“なんでも思い通りになる"素晴らしく歪んだSNSの世界に迷い込む。
写真は実物をねじ曲げるように加工して、美しくおしゃれに。実物を見て全く感動しなくても、まるで大感激したかのようにキャプションをつけたり。
140文字きっちりに、その心の美しさを文字にして並べる。
実物を捻じ曲げ加工したそれも、美しい心を書き連ねた文字も。本当は「こうだったらいいな」という『夢』なのだ。
そんな“憧れ"を現実のようにした投稿は、他人からの関心が“いいね!"という形で返ってくる。
それは承認欲求を過度にくすぐる『毒』となるのだ。そして、その毒は「私ってすごい!」という錯覚に陥らせる。
その感覚は甘い蜜のように『美味しいだろう』。しかし、そこに『真実は0』なのだ。
その所業はまるで悪魔
そんなの虚しいだけではないか。でもやめられないのはどうしてだろう。それは「いつかこうなれる」と希望を込めて、輝く未来を夢見るふりして。
ほんとはまた大好物の“いいね!"を味わうために、SNSで加工と嘘を連ねて投稿するという負の連鎖行動という『呪い』をかけられているからだ。
SNSは自分自身も想いのままに偽われる。
その偽りを真実として人を操り愛される事ができるのだ。
『どんな嘘でも画面を通せば濁った偏見と期待操る』事ができる、その所業はまるで悪魔。
悪魔はいずれ“いいね!"をくれない、自分を叩く邪魔者をこう思うようになる。
『殺すあいつ何度も殺す』
でも、そんな本音だって偽わるのだ。
文字で心の清らかさをアピール、怒りが滲んだ顔は愛され顔に加工して。殺す。の代わりに「コメントありがとうございます」なんて大人の対応。
『lily』とは“百合の花"“純潔な人"という意味。
そんな孤独なlilyを“いいね!"で歪めてしまった“フォロワー"は、もはや『悪党』。
でも、フォロワーは“いいね!"をくれる大切な存在。醜い本音も冷たい表情も愛されるように偽り『ゴマする』のだ。
とにかく“満たされたい"のだ。一瞬でいいから、偽りだっていいから。
欲求が一瞬でも埋まるのが“いいね!"
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おそらく そのどれもがくだらない
偽るこの世界はとてもくだらない
今日も今日とて誰のモノマネ
満たされないままただ過ぎるだけ
≪Introduction的な 歌詞より抜粋≫
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生きていれば、現実世界でだって偽らざるを得ない事ばかりだ。
辛いのに大丈夫と言わなくちゃならない。怒っているのに笑わなくちゃならない。
そんなことばかりで自分を見失ってストレスもマックス。もう自分にご褒美だけじゃどうにもならない。
誰かに褒められたい、誰かに好かれたい。その欲求が一瞬でも埋まるのが“いいね!"なのだ。
だけど、それはどれもがくだらない。どうしてって、その“いいね!"だって嘘かもしれない。
偽った物への“いいね!"に真実の心がどれだけこもっているのだろうか。
画面を通した、心のない関わりからなにが得られるのだろうか。その答えがこれ。
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見栄えばっか気にすればいいなら
音楽なんていらないわな
≪Introduction的な 歌詞より抜粋≫
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直訳すると「見栄さえ賞賛されていたのなら、心を満たす本当の幸福感なんていらないのね!
それなら、いつまでも心満たされないままでいたらいいわ!」だ。
はっきり言って“いいね!"なんかで、本当に心から満たされていたら、わざわざ貴重な時間を割いてまでSNSなんて毎日何回も見ないし、嘘ついてまで投稿する必要なんてない。
そもそも心底、自分が満たされているなら、その幸せをわざわざ見ず知らずの人たちに向けて全世界発信する気にもならないものだ。
だって加工も偽りもない、ありのままの自分が満たされてるのだから、それでいいのだ。自分が満たされる、という意味で音楽にも同じ作用がある。
名言「音楽のない人生は有り得ない」
“音楽のない人生は有り得ない"という、某レコード店のキャッチフレーズに音楽好きが一斉に「その通りだ!」と大真面目に頷いた。それは、音楽自体に形はないし目にも見えないのに、何故か感動したり勇気を貰ったりして、人によっては人生すらも変えるような感動を得られるものだからだ。
要するに、音楽は演奏者や舞台の視覚的な『見栄え』ではなくて“心根"が最も大切だという事。
演奏者が、音楽に乗せて表現し伝えたい想いは、目に見えないからこそ加工は出来ないし、感情を書いて偽わることも出来ない。
そうした真実は、聴き手の心に触れて色んな傷も喜びも暖めるものだ。
そして、末長く毎日にそっと、心地よく寄り添ってくれる。
ありのままの自分を信じていればいい
この『見栄えばっか気にすればいいなら』『音楽なんていらないわな』というフレーズ。すべてが“栄え"優先で。
盛って盛って盛りまくって、もはや原型留めてないけど本当に“いいの?"なご時世に呆れてる人には清々しさを。
そして、本当に“いいの?"と思いながら“いいね!"を欲しがって、現実世界と架空世界を彷徨う。
今、この瞬間も満たされていない人には目が醒めるような衝撃を必ず与えてくれる。
この部分を聞いただけで、なんだか憑き物が取れたように晴れた気持ちになれる。
それくらいにCharisma.comの「ありのままの自分を信じていればいい」という想いが、怒りに近いくらい、力強く歌われているのだ。
TEXT 後藤 かなこ
2011年に結成。MCいつかとDJゴンチによる女性二人組ラップユニット。 You Tubeに投稿した動画が話題を呼び、2013年、ミニアルバム「アイアイシンドローム」にて現役OLラップユニットとしてデビュー。 ポップなビジュアルからは想像できない、MCいつかのスキルフルなラップフロウは、日常生活で···