当時はロック・サウンドがメインな時代
この作品『Radio Ga Ga』が発売されたのは1984年ごろQueenの祖国であるイギリスの音楽業界は、1960年代のビートルズ・シンドロームに続き、アメリカへのニュー・ウェイヴ攻勢で破竹の勢いにありました。そして、当時の3大ヒットチャート(レコードの売上枚数・ラジオのリクエスト数・ジュークボックスのリクエスト数)を席巻していたのは、ポップ・ミュージック・バンドであるカルチャークラブやロックバンド デュラン・デュランなどの新生グループだった時代。
この頃のQueenも彼らと同じくバンド・サウンドによる、ロック・サウンドがメインでした。変化をつけたとしてもシンセ・サウンドを採り入れたり、オペラ・ロックを取り入れたりした程度の冒険でした。
しかし、Queenは音楽的に他にはない新たなチャレンジを試みたんです。それが、ニュー・ウェイヴ・サウンドだったんです。
ニュー・ウェイヴ・サウンドとは、シンセサイザーを中心に、ピコピコと鳴るバック・トラックに乗るポップな歌が特徴的な音楽。
時代の波に、従うのではなく新たなチャレンジを試みる。この姿勢はどの時代でもかっこよくうつります。
ビデオよりもラジオ?
しかし、この頃のクイーンのリーダー、フレディ・マーキュリーは私生活が揺れており、妻と別居してしまい、ココロここにあらずのグラグラな状況にありました。それでも、メンバーからの督促により、ニューアルバムに向けて曲作りを始め、アルバム『ザ・ワークス』を作り上げたのです。まさに、その当時をときめくニュー・ウェイブ・サウンドに、クイーンとして初めて挑んだ作品集でした。その代表的なナンバーが本作『Radio Ga Ga』。
いわゆるクリップと呼ばれるプロモーション・ビデオという、ミュージック・ビデオが幅を利かせ始めていた時代に、ビデオよりもラジオが、僕たちを音楽に導いてくれたんだという、ラジオ愛・音楽愛がココロに残る仕上がりの楽曲となっていました。
ラジオよ 君を愛している者はまだいるんだよ!
クイーンらしさが消えた!?
しかし、残念ながら、この第1弾シングルは、ビルボードの週間ベストテンにも入らない結果を招きます。なぜなのか。クイーン・ファンにとっては、一時的な時代の流行に迎合するような楽曲は、作ってほしくはなかったのかもしれません。もっとクイーンらしいロック・ナンバーを聴きたかったのでしょう。
アルバムからの第2シングルカットの、エレクトリック・サウンドに乗る「ブレイク・フリー」も、不発に終わりました。
やがて、クイーンは、このあと混迷期を迎えます。
映画「ボヘミアン・ラプソディ」にも描かれた、1985年のバンドエイドに参画して歴史的なライヴを開き、それがドラマティックに描かれていましたが、フレディ・マーキュリーがエイズで死ぬまで、また逝去したその後も、バンドとしては、残念ながら再ブレイクすることはなかったのです。
映画の大ヒットによって、彼らの1970年代の作品が、再ブレイクしている現状ではあります。
レディー・ガガが感動した
しかし、映画の中で歌われなかった作品は、今は当然ながら注目されてはいません。そんな1曲が本作ではあるのですが、レディー・ガガは、この曲に魅かれました。自らのアーティスト名にしたいくらいの歌詞が本作にはあったのです。
聞こえるのはラジオのガーガーという音だけ
グーグーという音だけ
ラジオ・ガ・ガ
ラジオ・ブラーブラー
ラジオへの愛だけではありません。音楽への深き愛を感得したレディー・ガガは、本作に人生を変えるような感動を覚え、自らのアーティスト名にしたのです。
そして、彼女は歌詞のどこに感動を覚えたのかを下記のように伝えています。
ラジオを恋人のように描く
今は番組を見てスターを見るのは何時間にもわたるビデオばかり
ほとんど耳を使っていない
歳月がどれほど音楽を変えてしまったのだろう
君だけは旧友を忘れたりしないで
今でも懐かしく思う時間のように
いつもそばにいて 恋しくなるから
ビデオよりもラジオ。それを恋人のように描いたこのあたりに、彼女は惚れ込んだようです。
サウンドよりも歌詞に、影響を受けることはもちろん同等にあります。楽曲にとって、歌詞がいかに重大であるかを示してくれた名曲でした。
(TEXT 宮城正樹)