TOP画像引用元 (Amazon)
■BEGIN/島人ぬ宝
宮古島で観たBEGINの感慨深すぎたライブ
----------------(中略)
僕が生まれた
この島の空を
僕はどれくらい
知ってるんだろう
輝く星も 流れる雲も
名前を聞かれても
わからない
でも誰より
誰よりも知っている
悲しい時も 嬉しい時も
何度も見上げていた
この空を
≪島人ぬ宝 歌詞より抜粋≫
----------------
----------------
僕が生まれた
この島の海を
僕はどれくらい
知ってるんだろう
汚れてくサンゴも
減って行く魚も
どうしたらいいのか
わからない
≪島人ぬ宝 歌詞より抜粋≫
----------------
あなたは自分の生まれ故郷の事をどれくらい知っているだろうか。
自分から、見知らぬ人にどれだけ故郷の美しさや伝統を語れるだろう。
東京生まれ東京育ちの私は、正直この東京の誇れる場所を知らない。
かろうじて有名な観光スポットの名前くらいは知っているが、訪れた場所は無いに等しい。
それで構わない。
特段、東京に対して何か想いを持っているわけではないし、東京は私が案内しなくたってテレビやラジオ、雑誌まで散々案内をしてくれている。
私は私の毎日で忙しいのだ。
しかし、その考えが大きく揺らぐ出来事があった。
それは、宮古島で生まれて初めて、ライブでBEGINの歌う『島人ぬ宝』を聴いた時の事だ。
『島人ぬ宝』が始まる前のMCで、BEGINのボーカル比嘉栄昇は言った。
“僕の生まれた石垣島も変わってきています。いい意味で。"その言葉は、島の開発が進んでいる事を指していると察した。
何故ならそのライブがあった宮古島に、数年ぶりに再訪して驚いた事があったからだ。
宿泊施設が目に見えて増えていた事。
そして、一番話題になったのは“激安の殿堂ドン・キホーテが宮古に出来ていた!"という事だ。
知らない間に、県外の企業が島に入って来ている。
それは、島の人々の便利を考えての事もあるだろう。
しかし、県外から暮らしの質を高める為に移住してくる人や、その手前で、国内外からリゾート地を求めて沖縄に旅行に来る人が増えている事を、物語っていると思ったのだ。
その現状は、島の自然を壊して行く事と直結しているはずだ。
しかし、比嘉氏は続けた“島の人だけではダメだ"と。その言葉は宮古島を優しく照らす月明かりと、たくさんの星の下の会場にいた、内地の人間である私にも重く響いた。
本当の意味でのこの重みは、島人にしか解らないたくさんの意味を含んでいるのだろう。
しかし、その言葉に込められた想いは決して後ろ向きの物ではなかった。
“島を愛しているからこそ、今ある流れを受け入れていこう"という気持ちが込められていた。これはもしかしたら、内地の人間である私の都合の良い解釈だったのかもしれない。
しかし、私はそう強く感じた。
このMCの後に大歓声の中、披露されたのが『島人ぬ宝』だった。
「島人ぬ宝」に触れて、忘れられない経験をした
----------------(中略)
テレビでは映せない
ラジオでも流せない
大切な物が きっと
ここにあるはずさ
それが島人ぬ宝
≪島人ぬ宝 歌詞より抜粋≫
----------------
----------------
トゥバラーマも
デンサー節も
言葉の意味さえ
わからない
でも誰より
誰よりも知っている
祝いの夜も 祭りの朝も
何処からか聞こえてくる
この唄を
いつの日かこの島を
離れてくその日まで
大切な物を もっと
深く知っていたい
それが島人ぬ宝
≪島人ぬ宝 歌詞より抜粋≫
----------------
「トゥバラーマ」は、石垣島がある八重山地方の方言で訪う(とぶらう)という意味から、若い男女がお互いに相手のもとへ訪れて想いを伝える掛け合いの歌(相聞歌)だそうだ。
そして「デンサー節」は伝唱の意味で、伝え教える教訓歌なのだそうだ。
私は、『島人ぬ宝』が始まった時に湧き上がった大歓声。
これこそが“島人ぬ宝"なのだと思った。
島人が持って生まれて来た命。
そこには誰が教えるでもなく、歴史の中で培われて来た文化や伝統が自然と染み付いてゆく。
それは、波が途切れる事なく寄せて返す姿と同じくらいに日常や、島の自然に始まり、家族や親類、人との触れ合いから与えられているのだろう。
当たり前すぎるものは、目には見えないし言葉にする事も難しい。
でも、必ずそうして穏やかに育った島人の命には、“感謝"で出来た“島への愛"が宿っているのだ。
たとえ「汚れてくサンゴも減って行く魚も」「砂にまみれて波にゆられ」「少しずつ変わってゆくこの海」にしてしまった原因が、県外からやってくる人間のための開発のせいだったとしても。
比嘉氏のあの一言の真意と重みは、島人にしかわからないだろう。
けれども、絶対に“島への愛"ゆえに比嘉氏は、島人と内地の人間がたくさん混在するあのライブで“島の人間だけではダメだ"と言ったのだ。
ぐっと強く。
そして沖縄の人らしい、まあるくて聴き心地の良いあの口調で。
それだけは、内地の人間である私にだってわかった。
沖縄の歴史や文化を、教科書でしかほとんど知らない内地の私にすら。
目にも見えない、言葉にするのも難しいその“愛"が“大歓声"となって、目に映り耳に飛び込んだ。
そして、それは心に響き涙となった。
あの美しい島で美しく逞しい人達の命『島人ぬ宝』に触れて、人生で初めて“心が震えて涙が止まらない"という経験をしたのだ。
この事は一生忘れない。
「島人ぬ宝」が内地の人間に伝える深く知るべき大切な物
沖縄は本州や北海道に比べれば小さいかもしれない。
しかし、日本で一番パワーのある島だと思う。
海の碧、空の青、植物の蒼。
そして、島に全ての美しさを、最大限まで引き出し輝かせる力強い太陽の光。
その中で、元気に笑い穏やかに楽しそうに暮らす島人たち。
その姿は、島の暮らしの中にある色々な事を、笑い飛ばせる力を備えているように見える。
何故、そう見えるのだろうか。
それは産まれた瞬間から、この島の全てに愛され守られて『宝』のように大切にされて来たからだ。
だから、自分の島にある自然も人も食べ物も。
文化や伝統芸能までも、島の全てを心から守り愛せるのだ。
愛に溢れた島人は『島人ぬ宝』である島の全てを、県外の人にも惜しみなく分け与えてくれる。
何よりも愛おしく誇らしく素晴らしいものだから、と。
そんな宝に触れて、島から内地へ帰るときには、すっかり心は癒され満たされている。
しかし、よく考えれば島にある自然や食べ物も、いたる所から聴こえる三線と歌声、そして笑い声…。
それは全て"島人から分けてもらった"『島人ぬ宝』だ。絶大な癒しの力、幸福感を"分けてもらった私たち"は、絶対に感謝を忘れてはならないと思う。
「大切な物をもっと深く知っていたい」この歌詞は島人には“どこへ行っても島から与えられた愛を忘れないで"という意味を持つはずだ。
しかし、私たち内地の人間はこの歌詞をこう捉えて良い。
“大切な物は愛から産まれた命。生きているという事。
愛を知る事、そして愛を惜しみなく人へ分けて行く事"だと。
間違いなく、愛は平和という宝も生む力があるから。
BEGINの『島人ぬ宝』は島人の魂と愛を忘れないための歌であり、私たち内地の人間が、忘れてしまっている想いを呼び起こしてくれる。
もしくは内地では知り得る事が難しい、“愛"を教えてくれる大切な歌なのだ。
TEXT 後藤かなこ