引退から40年…山口百恵 伝説の記憶
山口百恵の引退から40年が過ぎようとしている今、彼女の活躍をリアルタイムで知る人は少なくなりつつあります。現在、50歳の人でも、1970年代にはまだ小学生。「ちびまる子ちゃん」の主人公「まる子」さながらに、“ももえちゃん!”と、テレビにかじりついていた子供でしかありませんでした。
そんな「まる子」たちが中高年になった今もなお、その記憶の中に、山口百恵という存在が鮮明に生き続けているのはなぜでしょうか。
1973年にデビューし、桜田淳子、森昌子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれた山口百恵は、1974年の『ひと夏の経験』でブレイクします。どこか影のある表情で意味深な曲を歌う山口百恵には、他の二人にはない、大人びた魅力があったのです。
その後、主演映画『伊豆の踊子』で女優としての才能も開花し、俳優、三浦友和との「ゴールデンコンビ」で国民的な人気を獲得。飛ぶ鳥を落とす勢いで、スター街道をひた走って行きました。
そして、人気絶頂期の1979年、三浦友和との交際を、コンサートで宣言するセンセーションからの1980年のファイナルコンサート。ラストソングとなった『さよならの向う側』を歌い終えると、静かにマイクをステージに置き、舞台裏へと姿を消しました。
こうして、完全に芸能界から身を引いた潔さは世の中に強烈なインパクトを与え、山口百恵は伝説へと変わったのです。
3つの才能が産んだ山口百恵の世界
山口百恵の「ちょいワル」なイメージは、彼女の複雑な生い立ちから醸し出される寂しげな雰囲気を、うまく際立たせて誕生しました。そのイメージを完成させたのが、阿木燿子、宇崎竜童夫妻による作詞作曲です。1976年の『横須賀ストーリー』を皮切りに、「馬鹿にしないでよ」とガンを飛ばす『プレイバックPart2』、「はっきり カタをつけてよ」とキレる『絶体絶命』などで、山口百恵の「ツッパリ」的な世界観が確立されます。
その一方で、『夢先案内人』『乙女座 宮』などのほっこりした曲、そして、山口百恵伝説を象徴するバラード『さよならの向う側』を手がけた彼らは、山口百恵というアーティストの才能を、最も理解していた存在でした。
70年代の風景に織り込まれた「しなやか」の意味
1979年にリリースされた『しなやかに歌って-80年代に向かって-』も、阿木、宇崎コンビによる山口百恵の歌唱力と表現力が最大限に生かされた作品です。その歌詞の中に、山口百恵が活躍した、1970年代の風景を見て行きましょう。----------------
坂の上から見た
街は陽炎
足につけたローラー
地面をけって滑ってく
≪しなやかに歌って 歌詞より抜粋≫
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この曲の主人公は、失恋したばかりの若い女の子です。
坂の上から見下ろした街の景色が陽炎で揺れている事から、季節は夏だと判ります。
「足につけたローラー」とは、ローラースケートの事。インラインではなく、車輪が4つ付いているタイプです。1970年代は、アメリカのローラースケートブームを受けて、日本でもローラースケートが大流行。街のローラースケート場は、家族連れやカップルで賑わいました。
夏の強い日差しの中、アメリカのドラマ「チャーリーズ・エンジェル」のように、流行りのスポーツショートパンツを履き、ローラースケート靴の紐を結んだイカした女の子が、ゆっくりと坂道を滑り出すシーンから曲はスタートします。
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夜は33の
回転扉
≪しなやかに歌って 歌詞より抜粋≫
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「33」と聞いて、瞬時にその意味が解る人も、少なくなって来ている事でしょう。
その答えは、レコードの回転数です。1970年代の音楽メディアは、レコードかカセットテープ。CDすら、まだ想像も出来なかった時代です。
レコードにはEP(シングル)とLP(アルバム)があり、EPの回転数が45回転、LPが33回転でした。という事で、この曲の「33=LPレコード」なのです。
昼間、ローラースケートを楽しんだ女の子が、夜、部屋に帰ってレコードをかけると、女の子に別の世界が訪れます。
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開ければ そこには愛が
溢れているのに
レコードが廻るだけ
あなたは もういない
≪しなやかに歌って 歌詞より抜粋≫
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レコードから次々と流れるラブソングのように、昨日までこの部屋はあの人との愛で溢れていたのに、今はただレコードが廻るだけ。夜になると、女の子は昼間は忘れていた失恋の痛みを思い出すのです。
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澄んだ青い空の
彼方をめざし
栗毛色のポニー
手綱を引けば走ってく
≪しなやかに歌って 歌詞より抜粋≫
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「栗毛色のポニー」、これは、極めて1970年代の少女漫画的なキーワードです。
「キャンディ・キャンディ」「はいからさんが通る」「ベルサイユのばら」などの歴史物が人気を博した1970年代の少女漫画では、当然、馬にまたがった美男美女が大活躍。少女たちは乗馬に憧れ、親にせがんで「ポニー乗馬体験」ができる近郊の牧場に連れて行ってもらったものです。
当時のカジュアルスタイルの定番、オーバーオールを着てポニーを駆けさせる女の子。「澄んだ青い空」という表現が、ローラースケートをしていた夏から秋へと、季節が進んだ事を現しています。
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夜は33の
ページを開き
≪しなやかに歌って 歌詞より抜粋≫
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秋と言えば読書の秋。夏の夜には音楽を聴いていた女の子ですが、秋の夜長の友は小説です。1970年代は、筒井康隆、村上龍、赤川次郎ら新感覚の作家が登場し、当時の若者は、夜、布団に入ってからも、彼らの話題作を熱中して読み耽っていました。
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昨日の続きの本を
読んでいるのに
お話しは 終りなの
あなたは もういない
≪しなやかに歌って 歌詞より抜粋≫
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昨日読み終えた33ページから、小説のストーリーは続いているのに、あなたと私の物語はもう終わってしまった。女の子は、秋になってもまだ、失恋の悲しみから立ち直れません。
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しなやかに歌って
淋しい時は
しなやかに歌って
この歌を
≪しなやかに歌って 歌詞より抜粋≫
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「しなやかに」歌うとは、どういう意味でしょうか。
「柳に雪折れなし」と言う言葉がありますが、これは“どんなに雪が積もっても、しなやかな柳はその重みに耐えて折れる事はない”という意味です。「柔能く剛を制す」という言葉もまた“柔らかくしなやかな物の方が、硬い物よりも強い”と言う意味。
要するに「しなやか」とは「受け入れる」という事。この歌詞は、恋を失って傷ついた時には、その悲しみを拒絶するのではなく“柔軟に自分の中に受け入れて”と語っています。そうすれば、失恋を経験する事で、もっと強く、美しい女性になれるのだから。
時の回転扉を抜けて見えた景色とは
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静かに時は流れてゆくの
夜はいつでも
朝に続くはず
≪しなやかに歌って 歌詞より抜粋≫
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夜毎、失恋の悲しみに暮れている間にも、時は流れて傷は癒える。そして朝が必ず訪れるように、新しい恋もきっと訪れる。
失恋ソングであるはずなのに、不思議と希望に満ちたこの曲は、1980年代を迎える世の中の期待感と、すぐそこに結婚という幸せが待つ百恵さんの内面の輝きに溢れています。
それから40年が過ぎた今、この曲を聴くたび私たちは、時の回転扉を抜けて、山口百恵がたくさんの喜びや悲しみを受け入れてしなやかに駆け抜けた、1970年代の生き生きとした風景に、出会う事が出来るのです。
TEXT 岡倉綾子