アマチュア時代から大切にされてきたという、フジファブリックの名曲『茜色の夕日』。2009年に急逝した志村正彦が残した楽曲の一つである。
最近では、菅田将暉によるカバーが記憶に新しい。また、志村急逝後に奥田民生がテレビ番組で歌唱した印象が強い方も多いだろう。
何故、これほどまでに表現者に評価され、聴く者を惹き付けるのか。多くの人の心を掴んだその理由を、歌詞から考察したい。
不器用だからこそ響く言葉
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茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
≪茜色の夕日 歌詞より抜粋≫
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歌詞は、極めて簡単な言葉ばかりだ。淡々と想いを吐露するような言葉達に、少々不器用な印象を受ける方もいるかもしれない。
しかし、だからこそこの楽曲の描く世界観は万人に伝わる。複雑で小難しい言葉を使い、それらしいものを仕上げることは容易い。しかし、志村はそのような表現はしなかった。
曲に乗せた文章はさらりとした表現であるからこそ、聴き手によりその景色を変える。この楽曲で幸せな思い出を振り返るか、悲しい出来事を思い出すか。その時いつ、誰と、何処にいたのか。聴く者によって変化するのだ。
つまり、誰もが知るシンプルな言葉で不器用に表されたからこそ、一人ひとりの心にそれぞれ違う情景を描いてくれる歌詞なのである。
過去と現在 感じる想いの違い
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茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
短い夏が終わったのに今、 子供の頃の寂しさがない
≪茜色の夕日 歌詞より抜粋≫
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幼い頃の夏休みを思い出してみてほしい。たくさんの楽しい思い出を作り、長いはずの休みが終わり、その後少しずつ夏がフェードアウトしていくときの感情を思い出せるだろうか。
その時の寂しさは、大人になってしまった今、なかなか感じることはできない。
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君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった
≪茜色の夕日 歌詞より抜粋≫
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一生懸命相手のことを思い伝えたのに、後から考えたらなんだかとてもカッコ悪いことをしていたな・・・と気づいてしまった時の虚しさと恥ずかしさ。心当たりのある方もいるのではないだろうか。
しかし、これも幼き頃の夏への想いと同じ。過去の、その時だからこそ感じることのできた貴重な感情だ。
過去の感情を精密に再現することは、なかなか難しい。過去と現在では何もかもが変化している。
流れる時間のなかで得ていた想いだからこそ、大切なものなのだ。そんな「今」という時間の大切さを伝えたいのではないか。
「君」と「僕」の今
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君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ
≪茜色の夕日 歌詞より抜粋≫
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楽曲中に登場する人物は「君」と「僕」。何故「君」は涙を流したのだろう。志村が具体的にどのような情景を浮かべてこれを書いたのかは、分からないままだ。
その理由は良いことかもしれないし、悪いことかもしれない。しかし「忘れることはできない」というそれは、きっと「僕」、つまり聴き手である我々の心に深く刻み込まれた景色をも呼び覚ます。
「君」と「僕」は、果たして現在も共に過ごしているのだろうか。その答えはきっと、一人ひとり異なるだろう。
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僕じゃきっと出来ないな
本音を言うことも出来ないな
無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった
≪茜色の夕日 歌詞より抜粋≫
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彼の本音は、一体何なのか。誰に対して無責任だと言っているのか。この楽曲の中で特に意味深な表現ではあるが、その詳細は明らかでない。
しかしそれはおそらく、夕日を見つめる彼の心に芽生えた想いを飾らずそのまま言葉にした結果なのだろう。
そんな、不器用ながらも嫌味なくストレートに想いを伝えてくれるような歌。これがやはりフジファブリックの魅力であるのだ。
TEXT 島田たま子