今回は竹原ピストルの『ひまわりさくまであとすこし』の歌詞を解釈していきたい。
熱気あふれるワイルドな応援歌のイメージが強い竹原。
『ひまわりさくまであとすこし』は、それらとは打って変わって静かで優しい、温かみのある楽曲である。歌詞も簡単で、文字数も少ない。その中に、彼はどんな想いや景色を描いたのだろう。
シンプルな言葉で示す心情の深さ
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はたらくと つかれるね
おなかへるし のどもかわく
ぼくはもう たべないよ
のまないよ そばにいてね
≪ひまわりさくまであとすこし 歌詞より抜粋≫
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平仮名で羅列された言葉たち。老若男女の心に届くシンプルなメッセージは、柔らかくノスタルジックな印象を与える。
生きていくためには、働かなくてはならない。そのためには何かを食べ、何かを飲まなければ動くことが出来ない。
しかし、彼はもういらないのだという。その代わり、ただ傍にいてほしいと願っている。
それほどまでに寄り添っていたいほど愛しているのだろうか。それとも、もう食べることも飲むこともできなくなってしまっているのだろうか。
分かりやすく簡単な言葉であるが故に、つい深読みしてしまう。だが、そうしてそのままさらけ出せるほど、親密で大切な相手なのだろう。
語り口とは裏腹に、彼の想いの深さが感じ取れる歌詞である。
くらべるな、くらべるな
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きみのえは へたくそだ
ぼくのえは じょうずだよ
くらべるな くらべるな
くらべるな くらべるな
くらべるな くらべるな
≪ひまわりさくまであとすこし 歌詞より抜粋≫
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突然、絵の上手さでマウントを取られた。そして繰り返される「くらべるな」というキーワード。
人間、生きているとつい誰かと比べてしまう。誰とも比較せずに、もしくはされずに生きてきたという人はなかなかいないのではないか。
だが、ここでは決して絵の上手さを比較したり、自慢したりしているわけではない。
僕は絵が上手い。そして君は絵が下手。これは揺るがない事実なのだ。
その代わり僕は、運動が苦手なのかもしれない。代わりに君は、楽器を弾くのが得意かもしれない。
誰しも得意なこと、不得意なことがあるのは、当たり前だ。
大切なのは、その違いを事実として受け入れること。
その上で、自分より優秀に見えてしまう他人を妬んだり、自己嫌悪に陥ってひねくれたりしないことだ。
言い古されてはいるが、なかなか出来ない難しいことだ。それを改めて我々に伝えてくれているのだろう。
この歌詞が表す世界とは
さて、そろそろ真髄を探ろう。この楽曲の歌詞は一体どんな意味を持つのか。
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なにがみえる? うみがみえる
なにがかおる? やまがかおる
なにがふれる? きみがふれる
あとすこし あとすこし
≪ひまわりさくまであとすこし 歌詞より抜粋≫
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あなたは、この歌詞から何が見えただろうか。何を感じ取っただろうか。
個人的な感想であるが、私は何故だか数年前に亡くなった父のことを思い出した。
ちょうど桜のきれいな頃のことだったので、“もう少しで一緒にひまわりも見られたのになぁ”と思ったのだ。
では、竹原ピストル本人は何を描いたのか。実は、10年以上前の彼のブログにこの歌詞の全文が掲載されている。
▷ひまわりさくまであとすこし - 竹原ピストルのブログ 流れ弾通信
バスに揺られていたら、ふと浮かんできたポエムなのだという。
今回、このコラムを書かせていただくにあたってリサーチをしている最中にこの記事を見つけ、鳥肌が立った。
彼はその日描いた自身の想いを、こんなにも長い間大切にしまっていたのだ。
「ぼーっとしていた」という竹原。具体的に何を意味しているのかは明記されていない。しかし、おそらくそれが答えではないだろうか。
ぼんやりしているときに考えること。例えば、楽しかった思い出。
やり直したいくらい辛い出来事。もう二度と会えない人。また会えたら良いなと思う人。これからの出会い。遠くに住む家族、友人。一番そばにいてくれる人。守りたい人。
人は常にたくさんの人に囲まれ、生きている。そしてそれは今までもそうであったし、これからもそうだ。
竹原がぼーっと思い浮かべていたのは、きっと彼の心にいるそんな人達のことである。
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ひまわりさくまであとすこし
ひまわりさくまであとすこし
≪ひまわりさくまであとすこし 歌詞より抜粋≫
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たくさんの人のことを思い描かれた楽曲。だからこそ、聴き手によってその歌詞は姿を少しづつ変える。
「あとすこし」は「あと1日」かもしれないし、「あと数ヶ月」かもしれない。思い描く人は、やっともうすぐ会える人かもしれないし、もう決して会うことの出来ない人なのかもしれない。
その人との思い出は、とても楽しく幸せな記憶だったかもしれないし、辛く悲しいものかもしれない。
ふわふわとした優しい歌詞だからこそ、たくさんの受け止め方がある。
つまり、具体的に何かを訴えかける歌詞ではない。あの日ぼーっとしていた竹原のように、自分の心の中にいる人々のことを考えさせてくれるための歌詞なのではないだろうか。
歌詞を読んで、あなたの心にも広がる情景があるだろう。
あなたはそこに誰を思い浮かべるだろうか。
その人のことを想いながら、是非ゆっくりとこの曲に耳を傾けていただきたい。
TEXT 島田たま子