時代を揶揄した小気味よさ
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100万人のために唄われたラブソングなんかに
僕はカンタンに想いを重ねたりはしない
「恋セヨ」と責める この街の基本構造は
イージーラブ!イージーカム!イージーゴー!
想像していたよりもずっと未来は現実的だね
車もしばらく空を走る予定もなさそうさ
そして今日も地下鉄に乗り
無口な他人と街に置き去りね…
≪ヒトリノ夜 歌詞より抜粋≫
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近未来的な歌詞で歌われる「未来」と地下鉄に乗り込む「現実」を対比させる構成が面白いですね。
流行のラブソングに踊らされたくないと意固地になったり、意外と進歩しない現実だったり。
「つまらない毎日」と「予想と違った自分への幻滅」を対比しているのでしょう。
すし詰め状態の車内で隣り合うのは、名前も知らない「無口な他人」。機械的に流れていく日々の無機質さは、まさに現代社会をそのものを表しています。
便利さと引き換えに、人間関係が希薄になった世の中を揶揄するような小気味よさを感じらる歌詞ですね。
カタカナ表記の理由は?
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だから
ロンリー・ロンリー 切なくて壊れそうな夜にさえ
ロンリー・ロンリー 君だけはオリジナルラブを貫いて
あの人だけ心の性感帯
忘れたいね…
Love me love me ツヨクヨワイ心
Kiss me kiss me アセルヒトリノ夜
≪ヒトリノ夜 歌詞より抜粋≫
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『ヒトリノ夜』の中でも特に存在感を示しているのが、カタカナ表記です。
「ヒトリ」「ツヨクヨワイ心」「アセル」など、通常ならば漢字表記できる言葉を、あえてカタカナ表記にしてあるのはなぜでしょうか。
理由の1つとして、デジタル化していく世の中を象徴しているのではないでしょうか。
デジタル時計に映し出される文字のように、記号と化した言葉。
さらに「ヒトリ」と表記することで、数を表す言葉としてだけではなく、孤独や虚しさ、切なさを抱える心の闇までも表現しているように思えます。
夢もロマンもない日常の中で、「僕」の心をかき乱す存在はただ一つ「あの人」の存在。
冷めた心に火を灯し、「逢いたい」「逢えない」という切なさで心を乱します。そんな千々に乱れた複雑な心を「ヒトリ」「アセル」という言葉が象徴しているのです。
面白いのは「性感帯」が「心」にかかっているところ。普通は肉体にかかる言葉ですが、「心の性感帯」と表現することで、目に見えないものが心をかき乱すもどかしさを見事に表しています。
モノには溢れているけれど…
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まあ!なんてクリアな音でお話できるケータイなんでしょう☆
君はそれで充分かい? 電波はどこまででも届くけど
そして今日もタイミングだけ外さないように
笑顔つくってる
≪ヒトリノ夜 歌詞より抜粋≫
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便利さばかりが加速して、人とのつながりは希薄な現代社会。良好な電波といつでも話せる快適さの一方で、人との距離感はストレスばかり。
現代社会をそっと揶揄しているところが痛快です。
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だから
ロンリー・ロンリー 甘い甘いメロディに酔わされて
ロンリー・ロンリー 口ずさむ痛みのない洒落たストーリー
ロンリー・ロンリー 精一杯 強がってる君のこと
あっけなく無視をして涙は頬に流れてた
思い出だけ心の性感帯
感じちゃうね…
Love me love me ツヨクヨワイ心
Kiss me kiss me アセルヒトリノ夜
≪ヒトリノ夜 歌詞より抜粋≫
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ロンリー・ロンリー 逢いたくて凍えそうな毎日に
言葉にできないことは無理にしないことにした
≪ヒトリノ夜 歌詞より抜粋≫
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気になる人を無理に無視したり、平気なフリをしたり。そんな意地の張り合いはやめて、素直に自分に向き合おうとするところで楽曲は終わります。
生きていく上で必要なのは、空を飛ぶ車でも、どこでも話せるケータイでもありません。ただ、愛しい人に逢いたい。それが叶えば、人は心豊かに生きていけるのです。
アンバランスさが最高にエロティック
先ほども触れましたが、『ヒトリノ夜』のサビには、気になる箇所があります。「性感帯」というのは普通、肉体にあるべきもの。しかし新藤晴一は、あえて心に性感帯を設けることで、心が快楽を覚える「極上のエロチシズム」を生み出しているのです。
肉体的ではなく、目に見えない心という存在が覚える快感。想像は聴く人にお任せしてしまうことで、各々が独自のエロチシズムを構築することができるのでしょう。
もう一つ注目すべきは、「あの人」に対して「感じちゃう」のではなく、「思い出」に対して「感じちゃう」ところ。
普通なら、愛しい人を思って快楽を覚え、辛い思い出を忘れたいと願うもの。しかし、逆の組み合わせにすることで、感じてしまうほどの快楽を呼び起こす思い出とはどんなものなのか、想像をかき立てます。
聴いている人が勝手に妄想を膨らませて楽しめる、ある種変態的な要素の強い楽曲といえるでしょう。
もうかっこつけて生きるのはやめにして、等身大の自分と向き合いませんか?そんなポルノなりの応援ソングにも聴こえます。
恋をしている時くらい、かっこつけていたらもったいない。ありのままの自分でぶつかっていけばいいじゃない。そんな声が聞こえてきそうです。
TEXT 岡野ケイ