華原朋美が『ズルい女』をカバーしました。
この曲は、さかのぼること20年前、1995年のシャ乱Q最大のヒット曲。シャ乱Qはこの曲で紅白まで出演しました。
シャ乱Qは売れるためにとにかく色々なことをやっていたバンド。楽曲も評価されていましたが、同時に笑われてもいました。この曲は、ここ最近でいう『女々しくて』のような扱いだったのです。
たいせーは紅白出場の際、この曲で空中を回転していました。そんなたいせーは今や、アップフロントの番組でアイドルに音楽用語を教えているスタッフの1人です。
そしてつんくは言うまでもなく、ハロプロやリズム天国をヒットさせたプロデューサーになります。声帯を摘出して以降もなお楽曲制作は続けているつんく。かつて自身が歌っていた歌は、様々なアーティストに歌い継がれていきます。
華原朋美にとっても95年は、自身が売れた時代。この曲のカバーは当時を思い起こさせます。改めて分かる華原朋美の歌唱力の高さ。
「バイバーイありがとーさぁっよおならー」という耳に残りやすいこのフレーズ。元は男が歌う失恋の歌です。「あんたちょっといーいおんなーだぁったよー そのぶんーズルいおーんーなーだーねっ」と続くことから分かるように、女に対しての未練を歌う曲。「ズルい女」という表現で未練を強調します。
ひらがなとカタカナで歌い方を示すと分かりますが、音のリズムの取り方がやや変則的。「さぁっよおならー」と歌うことにより、耳に残りやすくなる工夫が施されています。
サビ以外の歌詞も基本男の未練。しかし、これを華原朋美が歌うと、華原朋美のズルい女感が増します。
華原朋美は、90年代半ばに小室哲哉のプロデュースでヒットを飛ばします。小室哲哉の彼女だった華原朋美は、まさに立場を利用したとも言えるズルい女。しかし歌唱力と愛嬌があったので、ズルい女でありつつ「いい女」でもあったのです。
そんな華原朋美は小室哲哉と別れて以降、次第にメディア露出も減少。一時期は精神を病んで入院します。
2010年代に入ってようやく復活し、人前でも再び歌うようになりました。ここ最近では小室哲哉や過去の男の話をし過ぎるズルい女になっています。それがある意味売りでもある華原。
「ずっとこんな日が続けばと 思うほど 愛してたのに」
この歌詞に、きっと華原朋美は共感しています。なぜなら華原朋美ほどの歌唱力があっても、ずっと栄光の日々を続けることは出来ていないから。
華原朋美がこの曲を歌うのは、自虐の意味もあり、つんくの文化の継承でもあり、90年代を再評価したい思いでもあり、何よりズルいと言われても復活したい気持ちの表れなのです。
TEXT:改訂木魚(じゃぶけん東京本部)