鮮烈だった坂井泉水の登場
坂井泉水を中心にしたユニットZARDは、1991年のデビューから2年後の1993年に発売した『負けないで』の大ヒットにより全国的にその名が知られるようになりました。
シンプルなシャツにジーンズ、無造作に束ねたストレートヘア、ナチュラルメイクに映える白い肌。
まだバブル景気の余韻が残る1990年代前半、坂井泉水の飾らない美しさに驚いた人も多かったのではないでしょうか。
『揺れる想い』は『負けないで』でのブレイク後の1993年5月にリリースされた8枚目のシングルで、スポーツドリンク「ポカリスエット」のCMソングとして起用されました。
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揺れる想い体じゅう感じて
≪揺れる想い 歌詞より抜粋≫
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サビから始まる冒頭のフレーズは、まるで南風のような爽やかさで耳に飛び込んで来ます。
今も変わらずスッと心に吸収されて、不純物が流れ出るような気持ちにさせてくれますよね。
「ポカリスエット」のイメージにピタリとはまったこの曲は『負けないで』に続き世の中に鮮烈な印象を与え、オリコンランキング初登場1位を獲得。
『負けないで』『揺れる想い』を含むアルバムも年間首位を記録し、ZARDの人気を不動のものとしました。
誰の心にも響く「揺れる想い」
『揺れる想い』の歌詞は言葉が少なく、絵に例えれば背景を書き込み過ぎない、あえて余白を残した作品に似ているような気がします。
その歌詞の魅力を見ていきましょう。
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夏が忍び足で 近づくよ
きらめく波が 砂浜潤して
こだわってた周囲をすべて捨てて
今 あなたに決めたの
≪揺れる想い 歌詞より抜粋≫
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「夏が忍び足で 近づく」というフレーズには、心の中に芽生えた想いが本物だと確信して行く様子が表現されているのかも知れません。
そして、運命を感じたその人の事をずっと好きでいようと心に決めた瞬間を歌っているのではないでしょうか。
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揺れる想い体じゅう感じて
このままずっとそばにいたい
いくつ淋しい季節が来ても
ときめき 抱きしめていたい In my dream
≪揺れる想い 歌詞より抜粋≫
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恋を貫く決意をしても、気持ちが届かない時には一喜一憂して「揺れる想い」。でも、このときめきを大切にして夢を叶えよう。
そんな意味が感じられるこの歌詞からは、片思いを諦めない主人公のとても前向きな気持ちが伝わってきますよね。
余白が多いからこそ想像力が膨らむ絵のように、『揺れる想い』からは様々なストーリーが生まれるのではないでしょうか。
それが、この曲が男女を問わず多くの人の心を掴んだ理由だったのかも知れません。
選び抜かれた言葉が持つ生命力
豊かな才能に恵まれた坂井泉水は、作詞もいとも簡単にこなしていたのではないかと思ってしまいますよね。
でも、実は彼女は作詞のために思い浮かんだ言葉を常に書き留めていて、そのノートやレポート用紙はキャリーバッグがいっぱいになるほどの量だったそうです。
そこから言葉を選び、何度も書き直しながら最終的な歌詞を完成させて行ったという坂井泉水。
『揺れる想い』の歌詞がとてもシンプルな理由も、厳選された言葉だけが使われているからなのでしょう。
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青く澄んだあの空のような
≪揺れる想い 歌詞より抜粋≫
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このフレーズからも感じるように、わかりやすい日本語を使い、多くを語り過ぎない歌詞だからこそ、彼女の言葉は流行に左右されずに生き続ける力強さがあるのだと思います。
プロデューサーの時代が生んだエバーグリーン
1990年代の日本の音楽シーンは、プロデューサーの時代だったと言えるでしょう。
ZARDをデビューさせ、B'z、WANDSらとともに「ビーイングブーム」を作り上げた音楽制作会社ビーイングの創始者、長戸大幸。
坂井泉水のナチュラルなイメージは、凄腕プロデューサー長戸大幸のプロデュースにより誕生したものでした。
時として自分より他人の方が、自分自身が持つ本来の魅力を引き出してくれるのではないでしょうか。
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君と歩き続けたい In our dream
≪揺れる想い 歌詞より抜粋≫
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プロデューサーが引き出した坂井泉水のエバーグリーン(色褪せない)な魅力は、彼女の早すぎる死によって、より鮮明になり、今もファンの心の中で生き続けています。
そしていつまでも、ZARDの音楽を愛する人たちの背中を押しながら、一緒に歩き続けてくれるのではないでしょうか。
TEXT 岡倉綾子