「おどりゃんせ」の意味にはヒントがあった
2016年に投稿されたユリイ・カノンによる初音ミクとGUMIのオリジナル曲『おどりゃんせ』。ニコニコ動画では150万再生、YouTubeでは800万再生と凄まじい人気を誇っています。
歌詞は一見難解ですが、ユリイ・カノンはTwitterで「自己啓発のような内容」「死ぬまでなあなあで過ごすより何かがんばってみようという歌詞」とコメントしています。
それをヒントに細かく、どのような意味が込められた歌詞なのか、考察していきます。
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さあ天国まで堕落しよう
鬼さんこちら ほら手の鳴る方へ
とどのつまり 革命アジェンダ
それじゃあ待った無しでこの指とまろうか
≪おどりゃんせ 歌詞より抜粋≫
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「天国まで堕落しよう」と一見矛盾しています。これは堕落とあえて悪い表現で誘うことで、相手が天国へ来やすいようにしているのではないでしょうか。
天国というのも例えで、今よりもっと良い状況を天国と例えているのかもしれません。
「鬼さんこちら」と、なかなか一歩を踏み出そうとしない相手をまるで遊びの際中かのように誘います。
「アジエンダ」は、主に会議の議題を意味する言葉。
すると革命会議の議題という意味になり、革命のように相手の心情を変えたくて、そのために何をしようか考えていると捉えることができます。
ためらう相手を待ったなしと強引に手を引いて、革命を起こすための手助けをしています。
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行きはよいよい帰りはこわい
なら果てるまで振り向かず進もうか
≪おどりゃんせ 歌詞より抜粋≫
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盛り上がっていくサビ前。
「行きはよいよい帰りはこわい」は、わらべうたの『とおりゃんせ』の一節ですね。
行きは好奇心に駆られ前に進み、帰りは来た道を戻ります。
でも、戻るのは怖いから突き進めばいいという前向きなメッセージです。
答えがないものを考えるより行動に移す
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好きも嫌いも 本当も嘘も
その煩悩 本能 全部を声にして示せ
≪おどりゃんせ 歌詞より抜粋≫
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2番からは分かりやすい表現が増えます。
あれが好きだとかこれが嫌いだとか、言いたいことは我慢せずに声に出して言おうと主張しています。
きっと相手は引っ込み思案で、なんでも言いたいことが言えない性格だったのでしょう。
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生きる理由も生まれた意味も
このすっからかんな頭じゃわかりゃしない
≪おどりゃんせ 歌詞より抜粋≫
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生きる理由を自分で見つけられる人なんてあまりいませんし、自分の生まれた意味なんて誰にも分かりません。
そんなことで悩むより、自分の頭はすっからかんだからと分からないことは分からないときっぱり割り切ってしまおうということではないでしょうか。
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来世を夢見たって現在は現世
ただ 寝ていりゃ果報は来るって待ってくたばって
井の中の蛙は知らぬまま
底から這い上がって眼に映せ世界を
≪おどりゃんせ 歌詞より抜粋≫
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生まれ変わったらこれになりたい、こうなりたいと誰もが1度は考えたことがあるでしょう。
しかしいくら来世のことを夢見たところで、それは今とは関係がありません。
「果報は寝て待て」なんて言葉がありますが、本当に何もせずに寝ていても果報が来るわけではありません。
しかし、実際に行動を起こしたことがない井の中の蛙が知るわけもないため、まずは外の世界にもっと目を向けるよう促しています。
後悔のない人生を歩むために
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誰も彼も皆 おどりゃんせ
さあ 舞台に上って狂って舞って手を叩け
意のまま無我夢中に おどりゃんせ
嗚呼 嘆いていたって明日は待ってくれない
≪おどりゃんせ 歌詞より抜粋≫
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「踊る」というのは、この楽曲ではなにかを頑張ることや、行動することではないでしょうか。
舞台は各々の人生を表していて、なにもせず無気力に生きるより、なにかを頑張って生きた方が、自分のためにもいいでしょう。さらに、その中で楽しみや生きがいも出来てきます。
いくら今を嘆いても、なにか行動を起こさなければ変わらず時間は過ぎていくだけです。
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ほらほら猫も杓子も おどりゃんせ
もう しっちゃかめっちゃかてんてこまいで血を流せ
形振りかまわないで おどりゃんせ
いま この世の終わりが訪れたってかまわない
≪おどりゃんせ 歌詞より抜粋≫
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「猫も杓子も」は、誰も彼もという意味なので、もしかしたら聴いている人にも投げかけているのかもしれませんね。
「血を流す」というのは怪我のことではなく、生きることを指しています。
忙しなく動いて転んで血を流す=血が流れているということが生きている証なのでしょう。
身振り構わず思うままに、いつこの世が終わっても後悔がないように生きるといいと伝えたいのかもしれません。
一見カッコいいものの、意味を考えるとなると難しいこの楽曲。
こうして考えてみると背中を押してくれる応援歌のようにも見えますね。
待つだけじゃ自分の人生は変えられない。
自分から行動して生きればもっと人生楽しくなるよ、というメッセージが込められていたのです。
TEXT Noah