逃避行から始まる物語の先には?
ファンが待ち望んだ米津玄師の新曲『感電』は7月6日に配信リリースされるとほぼ全てのデイリーチャートで1位を獲得し、初週売り上げは15万超えのダウンロードを記録しました。7月10日に公開されたMVは1時間50分で100万再生を超え、わずか4日という異例のスピードで1000万再生を突破しています。
8月5日にはこの楽曲も収録されるNEWアルバム『STRAY SHEEP』のリリースも控えており、彼の快進撃は止まりそうにありません。
この楽曲はドラマ「ノーサイド・ゲーム」の主題歌となった『馬と鹿』以来のドラマタイアップとなっています。
綾野剛と星野源のW主演により話題を呼んでいるTBSドラマ「MIU404」の主題歌として書き下ろされました。
この記事では楽曲の歌詞に焦点を当てて、その内容とタイトルの意味を考察していきます。
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逃げ出したい夜の往来 行方は未だ不明
回り回って虚しくって 困っちゃったワンワンワン
失ったつもりもないが 何か足りない気分
ちょっと変にハイになって 吹かし込んだ四輪車
≪感電 歌詞より抜粋≫
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『感電』の歌詞は、現状に満足できないもどかしさやフラストレーションを感じさせる言葉から始まります。
行き先が定まっているわけではないが逃げ出したい、現状では何かが足りないがその何かがわからない。
そんな感情に囚われて気付けば車を走らせている冒頭のシーンからは、逃避行の前触れを感じます。
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兄弟よ如何かしよう もう何も考えない様
銀河系の外れへと さようなら
真実も 道徳も 動作しないイカれた夜でも
僕ら手を叩いて笑い合う
誰にも知られないまま
≪感電 歌詞より抜粋≫
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「もう何も考えない様 銀河系の外れへと さようなら」と、どうやら行き先のない逃避行がスタートしたようです。
また「兄弟」というフレーズから、この旅には道連れがいることが判明します。
後の歌詞では「相棒」と名称を変えて登場することから血縁関係を指す兄弟ではなく、この人物が親しい仲間だということがわかります。
「真実も道徳も動作しないイカれた夜」は、逃げ出したいほどの環境を揶揄した言葉でしょう。
そんな夜でも、抜け出しさえすれば「僕ら手を叩いて笑い合う」と幸せを勝ち取ることができると信じているようです。
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たった一瞬の このきらめきを
食べ尽くそう二人で くたばるまで
そして幸運を 僕らに祈りを
まだ行こう 誰も追いつけない くらいのスピードで
稲妻の様に生きていたいだけ
お前はどうしたい? 返事はいらない
≪感電 歌詞より抜粋≫
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彼らの逃避行の目的は「たった一瞬のきらめき」です。
この「一瞬のきらめき」を手に入れるために、彼らは逃避行を続けるのでしょう。
これらの動機は「稲妻の様に生きていたいだけ」と、漠然としてイマイチ掴みどころのない回答です。
現代社会に警鐘を鳴らす米津玄師の倫理観
上述した歌詞から推測するに、この歌詞は現代社会に対して反旗を翻すような生き方を示しているのではないでしょうか。
「真実も道徳も動作しないイカれた夜」は後に「正論と暴論の分類さえできない街」と言い換えられていますが、これは現代社会を揶揄した言葉だと考えられます。
現代はインターネットが高度に発達した超ネット社会と言えるでしょう。
気付けば息を吸うようにインターネットを利用するようになった社会では、ネット上での道徳性やリテラシーが問われることがあります。
匿名であることを盾に誹謗中傷が行われるのは日常茶飯事ですし、虚構の入り混じったネットニュースから正しい情報を手に入れる為にはメディアリテラシーが必要となります。
このインターネット上の世界の様相を喩えているのではないでしょうか。
冒頭の歌詞からは原因不明のフラストレーションや現状に対するもどかしさのようなものを感じました。
みなさんもインターネットを利用し、同じような気持ちに苛まれたことはありませんか。
そんな時「自分だけは違う」と言い聞かせながら、この社会から逃げ出したくなったのではないでしょうか。
この歌詞中で描かれるのはそんな気持ちを代弁した、もしくはこの社会に疑問を呈した物語なのです。
つまり、この楽曲は米津自身の倫理観が込められた物語だと言えます。
稲妻のような生き様と「感電」の意味
では社会から逃げ出した彼らが求める「たった一瞬のきらめき」とはなんでしょうか。----------------
それは心臓を 刹那に揺らすもの
追いかけた途端に 見失っちゃうの
きっと永遠が どっかにあるんだと
明後日を 探し回るのも 悪くはないでしょう
お前がどっかに消えた朝より
こんな夜の方が まだましさ
≪感電 歌詞より抜粋≫
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このフレーズでは「心臓を刹那に揺らすもの」と言い換えられています。
それは「追いかけた途端に見失っちゃう」ものであり「永遠」を探し回るのも悪くはないと言っています。
これには具体的な答えはなく、夢やロマンなどを全て指しているのではないかと考えられます。
夢や目標に向かって必死に進んでいる最中は時間も忘れ没頭してしまうものでしょう。
先述したインターネット上での様相をくだらないもので時間の浪費だと捉えるのであれば、リアルな喜びを与えてくれることこそが「一瞬のきらめき」だと言えます。
誹謗中傷に勤しんだり、他人の揚げ足を取ることに必死になっている社会を置いて、現実で得られる達成感や幸せを求める。
これを「稲妻の様に生きていたいだけ」と言っているのではないでしょうか。
最後にタイトルについても触れていきましょう。
「感電」とは電流が身体に流れて衝撃を受けることです。
「稲妻」との関連性が感じられますが「稲妻の様に生きていたいだけ」という主題を言い換えた結果が『感電』なのでしょうか。
おそらくそれは違います。
描かれた歌詞が現代社会を否定する一つの考えだとするならば「稲妻の様に生きていたいだけ」は、その考えを掲げた生き方だと言えます。
この歌詞中には語り手である主人公と相棒の2人の人物が登場しました。
相棒に対して「お前はどうしたい?返事はいらない」と拒否権や回答権がありませんでした。
その理由は相棒が歌詞中に描かれる考え方に賛同している、もしくは必ず考えに賛同すると信じているからでしょう。
どちらにせよ主人公からすれば、相棒はこの考えに賛同しているのです。
つまり「稲妻の様に生きる」考えに賛同したことを「感電」と表現しているのではないでしょうか。
これはあくまで個人的な見解ですが、相棒とはこの楽曲を聴く私たちのことを指しているようにも思えます。
私たちがこの楽曲を聴いて「稲妻の様に生きる」考えに賛同し「感電」する。
こうして、楽曲で描かれた考えが次第に世の中に広まっていく様子を米津玄師は『感電』と名付けたのではないでしょうか。
TEXT 富本A吉