フレデリックの概念を覆せる一枚に
──今回のEPには、7月に行われたアコースティックオンラインライブ「FABO!!」(Frederic Acoustic Band Online)から「リリリピート」と「ふしだらフラミンゴ」の2曲、初回盤には「終わらないMUSIC」を含む3曲のライブ音源が収録されています。三原康司:いろいろ止まってしまった中で、自分たちがやれることの1つがEPを制作するということだったんですけれど、もうひとつ、オンラインライブという新たな楽しみ方がミュージシャンの中に生まれてきて。自分たちがやるとしたら、アコースティックだと健司のメロディだったり、歌の部分がより一層、肌身で感じられるものになるので。オンラインをやるなら、こういう形から始めるのはどうだろうかということで、「FABO!!」というライブをやったんですよ。
その時に自分たちが考えてきたことが今回の EPの音源として収録されているので、すごく思いが強くなっていっていると感じます。
──ミュージシャンの立場から見ると、オンラインライブにはどんな楽しみ方がありますか?
三原康司:今回のオンラインはアコースティックセットだったので、部屋っぽくしたのですが、こうやっていろいろな形で見せることができるんだな、と感じていて。だから照明演出の見え方も全然変わってくるだろうし、そういった舞台芸術のような部分は、もっと面白くこだわれる部分もあるんじゃないかと、よく周囲の人と話しています。
生のライブだと見えない部分がオンラインライブでは見える、みたいな?
三原康司:ライブハウスという表現は、ミュージシャンにとってスタンダードなものではあるんです。でも音楽はいろいろな形で、いろいろな場所でやれることではあるし。その表現方法にもこだわれるのではないか、と思っているんです。
──まさにそうですね。
三原康司:あと、ミュージシャン目線で言うと、音の環境を自分で変えられることは、すばらしいことだと思います。いいヘッドホンで、とか、自分の家にあるスピーカーを使ってとか、模索すれば模索するほど、気持ちよく音楽を聴ける環境を自分で調節できるじゃないですか。でもライブハウスはそこにあるスピーカーの中で、という形になる。だからその自由さはある種、面白いですね。そういうふうに音楽を一層楽しんでもらえたらいいな、と思っていました。
──そう考えると、オンラインライブは、いろいろな可能性に満ちていますね。ところでUtaTenでは「ピックアップフレーズ」といって、特にお気に入りのフレーズを伺うコーナーがありまして。康司さんが今回のEPの中で、特に「これ」と思うフレーズを教えていただけますか?
三原康司:難しいですね(笑)。でも「正偽」の<「人を愛せるのも人間です」>かな。このEPを作っている時、ボーカルの健司が「康司が書く曲は、絶対に人を諦めない」ということを言ってくれたんです。それがすごいうれしくて。
今回のEPを自分なりの表現・言葉を投げかけて作っていって。その中には怒りに感じるところもあったと思うのですが、健司は「どこかに絶対、救いの手を差し伸べる場所がある」と言っていて、それがここの部分だったんですよ。その言葉に自分も救われた感じがあって。どうしようもないと思う人でも、「絶対にどこかで変われる瞬間があるんじゃないか」と、あきらめずにいられる自分を思い返させてくれたんです。
──「この人、ダメだ。嫌い」ですべてシャットダウンしない、と。
三原康司:先入観を持って見てしまうとダメだなと思って。僕は人と接する時、その人の好きな部分を探すようにして、「嫌いな部分は何パーセント」と分けているんですよ。ただ嫌いと決めてしまったら、ずっとそれしか見えないじゃないですか。
そうではなくて、自分にとって、その人はどうなのかを考えた時に、その人はその人なりに自分のこと思ってくれている部分が絶対にどこかあるんですよ。だからそうやっていろいろな人のことを見れて、相手の立場により立てるようになったら、もっと良い人間関係というか、もっと楽しくなるんじゃないかなと思います。そういう姿勢で心は謙虚にいたいなと、今回すごく思いました。
──今回のEPは、バンドとしてどんな作品になったと思いますか?
三原康司:今回、自分なりに伝えられることを考えながら模索して。2年、3年経っても「あの時大変だったけれど、こういう音源を出してよかったね。こういう音源があったから、いろいろなことに気づくことができたね」と思えるようなものが作れたんです。これからいろいろな場所で、自分たちがミュージシャンとして遊び場を提供できる、そういうEPになりました。
──「ASOVIVA」は「未来を見据えている」作品でもありますよね。
三原康司:ええ。そういう意味では、本当に今まで「フレデリックってこうなんだ」と思っていたことも覆せる。そういう1作になっている、とも感じます。
TEXT キャベトンコ
PHOTO 片山拓