ヨルシカの作品が持つ吸引力
『ヨルシカ』はボカロPとして活動していたn-bunaが、ボーカルのsuisをメンバーに加えて立ち上げたバンドです。
活動期間は2017年からという比較的新しいバンドですが、ミニアルバム『負け犬にアンコールはいらない』や1stアルバム『だから僕は音楽を辞めた』、2ndアルバム『エルマ』など、インパクトの強いタイトルが目立ち、2020年7月にリリースされたアルバム『盗作』は、タイトルが非常に話題を呼びました。
2021年1月9日に配信リリースされた新曲『春泥棒(はるどろぼう)』も、タイトルの意味が気になる楽曲ですよね。
大成建設のCMソングでもあるので、TVで耳にした人も多いかもしれません。
『春泥棒』は2021年1月27日に発売されたEP『創作』にも収録。
収録曲には表題曲の『創作』や、『NEWS23』のエンディングテーマである『風を食む』、アニメ映画『泣きたい私は猫をかぶる』エンドソングにもなっている『嘘月』など、話題の楽曲ばかり。
ヨルシカのアーティストとしての魅力が詰まった一枚になっています。
今回は、その中から最新曲『春泥棒』に注目し、ヨルシカが紡ぎ出す歌詞の魅力を考察していきます。
「桜」と「風」の対比を表す歌詞
『春泥棒』は年明け早々にリリースされた曲ながら、春の訪れを感じさせる楽曲です。
イントロから美しく、suisの爽やかな歌声で一気に曲の世界へ誘われます。
----------------
高架橋を抜けたら雲の隙間に青が覗いた
最近どうも暑いからただ風が吹くのを待ってた
木陰に座る
何か頬に付く
見上げれば頭上に咲いて散る
≪春泥棒 歌詞より抜粋≫
----------------
さっそく歌い出しの歌詞を見ていきましょう。
見上げた空の青さがすがすがしく、どこかもの悲しさを感じさせます。
暑さで火照った身体を冷ましてくれる風はさぞ心地よいものでしょう。
木陰に座り、風を感じていると頬に何かが優しく触れる。
はっきりとは描かれていなくても、それが桜の花びらであろうことが分かる歌詞が美しいですね。
----------------
はらり、僕らもう息も忘れて
瞬きさえ億劫
さぁ、今日さえ明日過去に変わる
ただ風を待つ
だから僕らもう声も忘れて
さよならさえ億劫
ただ花が降るだけ晴れり
今、春吹雪
≪春泥棒 歌詞より抜粋≫
----------------
サビでは、ただぼんやりと桜が舞う様を眺めている「僕」の姿が目に浮かびます。
桜吹雪は美しいものですが、どこか終わりを感じさせる切なさも持ち合わせいますね。
刻一刻と移ろう季節に「僕」は、一体何を重ねているのでしょうか。
“春”を待ち焦がれる理由
----------------
次の日も待ち合わせ
花見の客も少なくなった
春の匂いはもう止む
今年も夏が来るのか
≪春泥棒 歌詞より抜粋≫
----------------
春を謳歌するように咲き乱れる桜はあっという間に散り、季節は過ぎ去っていきます。
開放的な気分になりやすい夏は、楽しさや明るさを表現しやすい季節でもあります。
しかし『春泥棒』は、あくまで春に重きを置いた歌。
春という季節が過ぎ去ったあとに訪れる夏は、どこかもの悲しさすら感じます。
----------------
高架橋を抜けたら道の先に君が覗いた
残りはどれだけかな
どれだけ春に会えるだろう
川沿いの丘、木陰に座る
また昨日と変わらず今日も咲く花に、
≪春泥棒 歌詞より抜粋≫
----------------
「春」を待ち焦がれる『春泥棒』において、夏は通り過ぎる季節の一つに過ぎません。
待ち遠しいのは春。
美しくもはかなく散る桜に会いたいと、思いを馳せるのでしょう。
『春泥棒』が意味するもの
『春泥棒』は桜を"人の命"、風を"時間"に見立てて歌っています。
そういう意味で、命をテーマにした楽曲だといえるでしょう。
美しい花をたくさん咲かる姿は、限られた人生を懸命に生きる人の姿を彷彿させます。
しかし、人の命は儚いもの。
ふとした瞬間に命の火が消えることもあるでしょう。
----------------
僕らもう息も忘れて
瞬きさえ億劫
花散らせ今吹くこの嵐は
まさに春泥棒
風に今日ももう時が流れて
立つことさえ億劫
花の隙間に空、散れり
まだ、春吹雪
≪春泥棒 歌詞より抜粋≫
----------------
楽曲の中に何度も登場する「風」が、桜の花びらを吹き散らしてしまう。
風に舞い散る花びらは、まさしく儚く散る人の命と重なります。
----------------
今日も会いに行く
木陰に座る
溜息を吐く
花ももう終わる
明日も会いに行く
春がもう終わる
名残るように時間が散っていく
≪春泥棒 歌詞より抜粋≫
----------------
名残惜しむように散っていく花びらを、毎日毎日見に行くのは、移ろいゆく季節が寂しいからでしょう。
それは、別れを惜しんでいつまでも相手の姿を振り返ってしまう心情に似ています。
----------------
はらり、僕らもう声も忘れて
瞬きさえ億劫
花見は僕らだけ
散るなまだ、春吹雪
≪春泥棒 歌詞より抜粋≫
----------------
咲き乱れる桜の花びらを見つめながら「あと少し、もう少しだけ散ってくれるな」と願う様は、愛しい人が一日でも長く生きながらえてくれるように願う、人の心そのものです。
----------------
あともう少しだけ
もう数えられるだけ
あと花二つだけ
もう花一つだけ
ただ葉が残るだけ、はらり
今、春仕舞い
≪春泥棒 歌詞より抜粋≫
----------------
最後の歌詞は、散っていく花びらを数える愛おしそうな声が聞こえてきそうです。
「あと少し……もう少し」と、愛しい人との別れを惜しむように、桜を見上げているのでしょう。
どれだけ願っても、恋しくても、別れというものは等しく訪れるもの。
いずれやってくるその時には、涙を飲んで見送るしかないのです。
「春仕舞い」という歌詞がなんとも切なく、美しいですね。
人の人生を集約した『春泥棒』
桜の花びら(命)と、それを吹き散らしてしまう風(時間)との対比が見事になされた楽曲だといえます。『春泥棒』は、人の出会いと別れが交錯する春にこそ聞きたい名曲。
聞くたびに大切な人を思い出すのも素敵ですね。
最後に『春泥棒』もMVをご紹介します。
アニメーション映画を見ているかのように美しい映像。
ぜひ桜舞い散る美しい映像とともにお楽しみください。