落語のストーリーから生まれた新たな米津作品
2021年6月16日にリリースされた米津玄師の11枚目のシングル『Pale Blue』は、締め切りに間に合わないかもしれないとうめきながら作り上げた楽曲だそう。
何とか間に合った解放感から「本当に好きなことだけやろう」と考えて書き上げたのが、カップリング曲の『死神』です。
実はこの楽曲は、米津玄師が以前から好きだったという古典落語の演目のひとつ『死神』のストーリーをモチーフに制作されました。
MVは、東京・新宿末廣亭が舞台。
高座に上がる噺家や客など、何役もの登場人物を全て米津玄師本人が演じています。
方言や不思議なフレーズを織り交ぜた歌詞と相まって、落語の演目を見ているような独特な世界観に引き込まれるでしょう。
このMVがYouTubeでプレミア公開されたのは、6月24日の16時13分。公開されたのは同日の22時13分でした。
なんと公開時間にも意味があり、16時は午後4時台であることから「死」を表し、22時はタロットカードの寓意画が描かれた大アルカナの枚数を指しています。
そして、共通する「13」の数字は、タロットで死神を意味する13番目のカードが由来となっています。
公開時間にまでこだわっていることを考えると、MVの内容や歌詞の意味にも深い意味が隠されていると想像できますね。
MVの内容と落語の『死神』のあらすじにも触れながら、歌詞の解釈を考察していきましょう。
「アジャラカモクレン テケレッツのパー」は人生を変える呪文
そもそも落語の『死神』には、ある人間の男と死神が登場します。
この曲の歌詞でも、その二人の考えが交互に描かれるのです。
男は借金まみれで、妻からも死んでしまえと言われる荒んだ毎日を何とか生きていました。
「くだらねえ」と思えるような終わりの見えない自分の境遇を嘆いて、ついには死のうとしする男…
そこに現れた死神は、男に金儲けの方法を教えると持ち掛けます。
死神が提示した方法とは、医者になること。
なんでも、病気の人には死神がついていて、それが枕元にいると助からないが、足元にいるならある呪文で死神を追い払うことができ、患者を病気から回復させられるのだそう。
2番のAメロで「そりゃ渡りに船」とあるように、死神の話を聞いた男はこれで人生を変えられると思ったことでしょう。
「アジャラカモクレン テケレッツのパー」という不思議な響きの言葉は、演目の中で実際に出てくるセリフであり、これこそが死神を追い払う呪文なのです。
死神の言葉から分かる落語に込められたメッセージ
まずは死神目線で考察していきましょう。
人々に名医と担ぎ上げられるようになった男。その人生を見ていた死神はいら立ちを隠せません。
「じゃらくれた」とは米津玄師の出身である徳島の阿波弁で「ふざけた」という意味があり、「いちびり」も近畿地方の方言で「ふざけた」という意味を持つ言葉です。
死神が男のことを馬鹿にしている様子が感じ取れる上に、地方出身者の米津玄師らしさも引き出されていますよね。
死神がここまでいら立っていた理由は、男が犯した禁忌が原因でした。
枕元に死神がいる患者が多くなり、名医から一転ヤブ医者と呼ばれるようになった男が、枕元の死神が眠そうにしている隙に布団の向きを変え、頭の位置を反転させてから呪文を唱えてしまったのです。
患者は回復しましたが、「与太(嘘)吹き」をして金儲けを企てた男のやり方に死神は怒ります。
嘘で得たお金を「悪銭」と言い、放っておいては「気が済まねえ」と、元々の男の寿命とその患者の寿命を入れ替えてしまいました。
地下の世界でろうそくに灯る火は、寿命を表しています。
死神はそこで、自分が間もなく死ぬことを告げられた男の苦しむ様子を見たいと思っている様子。
寿命を引き延ばしたいと懇願する男に、別のろうそくに自分の火を移すことができれば、新しい寿命が与えられると死神は告げました。
実は、落語の『死神』には様々なエンディングが存在します。
「どうせ俺らの仲間入り」という言葉もあるエンディングに合わせたフレーズでしょう。
そのストーリーでは、ろうそくの火が消えて死んだ男が死神に生まれ変わり、自分がされたのと同じように人間に呪文を教えるというものです。
つまり、男に呪文を教えた死神も元々は人間で、過去に同じ失敗をしたということ。
時代が変わっても、人間とは結局そんな愚かな生き物だという戒めを意味するのでしょう。
MVで噺家が馬鹿にするように笑う表情が、痛烈なメッセージをさらに引き立てていますね。
演目の途中で席を立ってしまう客も、この意味を悟らず「自分には関係ないこと」と素通りしてしまう人間の愚かさを表現しているのではないでしょうか。
噺家の手に灯る火の意味とは
噺家目線だとどうでしょうか。
噺家の元にスーツを着た何者かがやって来ると、噺家の顔から笑顔が消えます。
歌詞は1番のサビに入り、寿命が短くされたことを知った男が言い訳をする場面へ。
「ちっとこんがらがって」得られる大金に「目が眩んだだけ」だから、どうにか許してほしいと言い募ります。
奇妙な動きで近づくスーツの男に、噺家は怯えたように周囲を見回し、噺家自身が相手の男に言い訳をしているようにも聞こえてくるでしょう。
噺家の手には弱い火が灯り、苦しみながら「火が消える」と歌います。
つまり、噺家はこの演目の中の男そのもので、スーツの男は彼を追い詰める死神そのものなのかもしれません。
この期に及んで「ああ 面白くなるところだったのに」と未練がましく考えていますが、身から出た錆とはまさにこのこと。
そのまま噺家は倒れ、最後には誰もいない寄席の舞台が映されることで、男が死んでしまう『死神』のエンディングを表しています。
MVでは出てこないラストのサビでは、「そうだ過つは人の常 なああんたはどうすんだ」という問いかけが含まれます。
この話は人の変わらない愚かさを示している。あなたが同じ状況になったらどうする?
それに答える男は「あんなええもん持ったらこうなるわ そりゃあんたのせいやんか」と、自分の失敗を死神のせいにします。
すべては自分の行き過ぎた欲深い考えと行動が招いた結果なのに、救われた事実を忘れているようです。
金儲けをして顧みなくなっていたのに「妻子もいるんです」と言って、去る死神の同情を買おうとしているところからも、人間の醜い部分が垣間見えますね。
『死神』で音楽と落語を楽しもう
米津玄師は、様々なメッセージを独自の世界観で描くのが得意な歌手。
『死神』では、昔から愛される古典落語に込められたメッセージを音楽に落とし込み、一味違う切り口で表現しています。
実際に落語の『死神』を楽しんでからこの楽曲を聴くと、さらに理解が深まって両方の良さを感じられることでしょう。
古き良き落語と令和を彩る音楽が融合して生まれた新たな世界に、ゆっくりと浸ってみてください。