米津玄師がハチ名義で制作した名ボカロ曲
唯一無二の音楽の世界観と多才さでファンを魅了し続ける米津玄師といえば「ハチ」名義で数々の人気ボカロ曲を生み出してきたことでもよく知られています。
なかでも2013年にYouTube・ニコニコ動画で発表され、ハチとしては8曲目のミリオンを達成した『ドーナツホール』は、翌年リリースされた米津玄師名義のアルバム『YANKEE』でセルフカバーもされた印象深い楽曲です。
スピード感が特徴のロックチューンで、生演奏のバンドサウンドがそれまでのハチのボカロ曲とは一線を画す仕上がりに。
歌詞はどんな内容になっているのか、意味を考察していきましょう。
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いつからこんなに大きな 思い出せない記憶があったか
どうにも憶えてないのを ひとつ確かに憶えてるんだな
もう一回何回やったって 思い出すのはその顔だ
それでもあなたがなんだか 思い出せないままでいるんだな
≪ドーナツホール 歌詞より抜粋≫
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主人公には「大きな思い出せない記憶」があります。
いつから思い出せないのかも分からない記憶ですが、「もう一回何回やったって」とあるように繰り返し思い出そうとするほどに大切な記憶であることは理解しているようです。
その思い出せない記憶は「あなた」という存在。
顔は思い出せているのに「あなた」がどういう存在なのかがはっきりせず、もどかしい気持ちを抱えていることが伝わります。
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環状線は地球儀を 巡り巡って朝日を追うのに
レールの要らない僕らは 望み好んで夜を追うんだな
もう一回何万回やって 思い出すのはその顔だ
瞼に乗った淡い雨 聞こえないまま死んだ暗い声
≪ドーナツホール 歌詞より抜粋≫
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環状線は山手線のような、いわゆるドーナツ状に繋がった路線のことです。
通勤や通学で当たり前に使われる環状線が「朝日を追う」という表現は、朝になったら出かけて行って活動するルーティンができている一般的なサラリーマンや学生のことを指しているのかもしれません。
その反対に挙げられているのが「レールの要らない僕ら」。
主人公たちはそうしたルーティンを要らないものとし、夜の街に好んで出かけて行きます。
彼らの生活はとても自由に思えますが、なぜかその中でまた思い出せない記憶をたどっています。
「瞼に乗った淡い雨」を涙と考えると、彼が苦しんでいる様子が伝わってきますね。
「聞こえないまま死んだ暗い声」は「あなた」が言いかけてやめた言葉と解釈できるので、思い出せないのは彼が「あなた」ときちんと意思疎通ができていなかったからとも言えるでしょう。
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何も知らないままでいるのが
あなたを傷つけてはしないか
それで今も眠れないのを
あなたが知れば笑うだろうか
≪ドーナツホール 歌詞より抜粋≫
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思い出せないでいることは「何も知らないまま」でいるのと変わりないのかもしれません。
それで「あなたを傷つけてはしないか」と不安に駆られています。
その一方で、悩んで眠れない生活を送っていることを「あなたが知れば笑うだろうか」とも考えています。
二人の微妙な距離感が表された歌詞ですね。
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簡単な感情ばっか数えていたら
あなたがくれた体温まで忘れてしまった
バイバイもう永遠に会えないね
何故かそんな気がするんだ そう思えてしまったんだ
上手く笑えないんだ どうしようもないまんま
≪ドーナツホール 歌詞より抜粋≫
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「簡単な感情」とは“楽しい”や“面白い”のように深く考えなくていい気持ちのことと解釈できそうです。
しかし、反対に深く考えなくてはならない悩むことや苦しむことから遠ざかってしまうと、人の温もりや優しさからも自分を遠ざけてしまうことになるでしょう。
そんな自分に気がついて、記憶の中に少しだけ残る「あなた」に対して「バイバイもう永遠に会えないね」と語りかけます。
主人公にとって失ったことで「上手く笑えない」状態になってしまうほど大切な存在というと、愛する人をイメージする人が多いはず。
ところがここまでの歌詞からもっと近しい相手を想像しているように思えるので、失恋の曲とは違うメッセージが込められていると考えて、さらに先を読み進めていきます。
欠けた心は穴の開いたドーナツみたい
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ドーナツの穴みたいにさ 穴を穴だけ切り取れないように
あなたが本当にあること 決して証明できはしないんだな
もう一回何回やったって 思い出すのはその顔だ
今夜も毛布とベッドの隙間に体を挟み込んでは
≪ドーナツホール 歌詞より抜粋≫
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タイトルの「ドーナツホール」というフレーズは、2番の「ドーナツの穴」からつけられたのでしょう。
ドーナツの穴は周りに生地があるからこそ穴として成り立っているのであって、穴だけ切り取ることは不可能です。
同じように「あなた」を失った心はぽっかりと穴が開いてしまっているのに、欠けた部分に注目しても「あなた」のことは分かりません。
存在を失ってしまえば証明しようとしても誰も「証明できはしない」ということは、当たり前のことでありながら意外と見落としてしまう事実です。
そして、また思い出せずにただベッドに横になるだけで眠れない時間を過ごしています。
「毛布とベッドの隙間に体を挟み込んでは」のフレーズは、米津玄師ならではの秀逸な表現ですね。
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死なない想いがあるとするなら
それで僕らは安心なのか
過ぎたことは望まないから
確かに埋まる形をくれよ
≪ドーナツホール 歌詞より抜粋≫
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「死なない想い」は消えることなくずっと残り続ける強い気持ちと考えられます。
すぐに忘れてしまうような不確かな記憶ではなく、何があっても失われないものがあれば、人は安心できるのでしょうか?
主人公はこのことを考えて、もう失った「あなた」の存在自体を取り戻したいと願いはしないから、欠落感に苦しむ心に「確かに埋まる形」がほしいと求めます。
記憶だけでもいいから「あなた」をもう一度心に置きたいという深い想いが綴られているようです。
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失った感情ばっか数えていたら
あなたがくれた声もいつか忘れてしまった
バイバイもう永遠に会えないね
何故かそんな気がするんだ そう思えてしまったんだ
涙が出るんだ どうしようもないまんま
≪ドーナツホール 歌詞より抜粋≫
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「失った感情」に気を取られていると、今度は「あなたがくれた声も」忘れてしまいました。
記憶の中から少しずつ、着実に消えていく「あなた」。
永遠の別れがもうそこまで来ていて、どうしようもなく涙があふれてきます。
主人公はこの先、どうなってしまうのでしょうか?
ついに思い出した「あなた」の正体とは
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この胸に空いた穴が今
あなたを確かめるただ一つの証明
それでも僕は虚しくて
心が千切れそうだ どうしようもないまんま
≪ドーナツホール 歌詞より抜粋≫
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大きな欠落感を抱いた今気づいたことは、その穴が「あなたを確かめるただ一つの証明」であること。
穴は「あなた」の存在の証明にはならなくても、自分の心に「あなた」がいた事実を確かめる材料にはなります。
それでも穴が埋まることはなく、欠落感から解放されることもありません。
あまりの虚しさに「心が千切れそう」なのに何もできない様子は、想像するだけで苦しくなってしまいますね。
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最後に思い出した その小さな言葉
静かに呼吸を合わせ 目を見開いた
あなたの名前は
≪ドーナツホール 歌詞より抜粋≫
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そうしてやっとの思いで何かを思い出します。
「最後に」というのは、思い出すことをついに諦めようとしたことを指していると考察できます。
その言葉は「目を見開いた」と繰り返されるほど驚く内容で、「あなたの名前は」と続くので思い出したのは名前だったと考えられるでしょう。
ではこれまで考えてきた「あなた」の正体とは誰だったのでしょうか?
MVを見ると、歌唱に使用されているGUMIだけでなく、初音ミク、鏡音リン・レンを模したキャラクターが次々と映し出されます。
個性の違うファッションや表情を隠すようなメイクが目を引きますが、その映像はやはり失恋と関係があるようには思えません。
また、米津玄師は以前のインタビューで自身の幼少期について、父親との関係が薄かったことや周囲と違うことへの不安感を抱いていたことを明かしています。
こうしたことを踏まえて考えると、おそらくこの楽曲の主人公が失ったのは“自分自身”。
家族や周囲との関係で構築されていくアイデンティティの部分が欠落してしまい、自分らしさを失ってしまっているようです。
しかしこれはきっと特別なことではなく、家族との関係が薄かったり人の目を気にしたりすることの多い現代人にはありがちな悩みと言えるでしょう。
自分の好きなものやしたいことといった自分らしさを抑え込むことを続けていれば、いつのまにか「自分らしさって何だろう」と分からなくなってしまいます。
それは確かに心に大きな穴を開けてしまうほど大切な存在です。
主人公は完全に失ってしまう前に欠片をその手に掴んだので、時間はかかってもいつか必ず取り戻すことができるでしょう。
これはもしかしたら、米津玄師自身が音楽というアイデンティティを掴んだことの証明の歌であり、まだ見失ったままの人への必ず見つかるという励ましの歌なのかもしれませんね。
「ドーナツホール」には米津玄師の心が凝縮されている
『ドーナツホール』は米津玄師名義の楽曲とは一味違う、ハチが作るボーカロイド曲ならではの芸術性が感じられる作品です。誰かの真似をしたり人の求める自分を演じたりするよりも、自分と向き合い自分の好きなことを追求していく素晴らしさは、米津玄師自身が生き方で示しているのではないでしょうか。
きっと彼が抱えていた悩みに共感し、初期の頃からぶれない世界観や考え方に力づけられますよ。