テレビドラマ主題歌としての存在感
『春よ、来い』は、1994年10月にリリースされた、松任谷由実名義の26枚目のシングルです。
作詞作曲は松任谷由実(のちのユーミン)。
この楽曲は1994年から1995年度にかけて放送された連続テレビ小説『春よ、来い』の主題歌としても知られています。
タイトルや、サビの「春よ 遠き春よ」という有名なフレーズによって、春の印象が非常に強い楽曲。
春の名曲といわれれば必ずといっていいほど名前の挙がる曲の一つです。
春は、出会いの季節。長い冬が終わり、生命が花開く季節でもあります。
だからこそ、春は明るいイメージをもたれがちですが、松任谷由実の『春よ、来い』は少し様相が違います。
タイトルから思い浮かべるのは、寒い季節に春を待ち焦がれる様ではないでしょうか。
しかしこの曲、実は戦争を歌っているのではないかともいわれています。
ドラマ『春よ、来い』でも戦争が描かれていることや、タイトルに反してどこか切ない印象の歌詞からも、ほの暗いものを感じます。
一つ一つの言葉は優しく、温かくとも、音楽全体としてはもの悲しさが漂っていますね。
ただ春を待っているだけではない、それ以上の思いが込められたこの曲。
『春よ、来い』というタイトルや歌詞に秘められた意味を解釈し、楽曲の魅力に触れていきましょう。
『春よ、来い』に漂う戦争の気配
連続テレビ小説『春よ、来い』は、脚本を手がけた橋田壽賀子の自伝的な物語だといわれています。
彼女が脚本家として活躍していくまでの人生を一部と二部に分けて描かれ、主人公が一部と二部で交代になったことから話題を呼んだ作品でもあります。
作中では太平洋戦争にも触れられ、戦争というものが日本の発展を辿る上で避けては通れない存在であることを改めて感じます。
戦争という暗い影は、楽曲としての『春よ、来い』にも影響を及ぼしました。
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淡き光立つ 俄雨
いとし面影の沈丁花
溢るる涙の蕾から
ひとつ ひとつ香り始める
≪春よ、来い 歌詞より抜粋≫
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俄雨に打たれた沈丁花から零れた雫が、花を香り立たせるのでしょう。
花びらから零れる雫と、目から溢れる涙の対比が美しい歌詞です。
沈丁花を見て思い出される「いとし面影」とは、一体誰のことでしょうか。
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それは それは 空を越えて
やがて やがて 迎えに来る
≪春よ、来い 歌詞より抜粋≫
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空から落ちる水が雪から雨に変わり、季節は冬から春へと移り変わっていきます。
少しずつでも、確実に流れていく時間の中で、一体誰の迎えを待っているのでしょうか。
春という季節を迎え入れる季節の移り変わりと、愛しい誰かの迎えを待っている心境が重なります。
ようやく来た遅い春は待ち遠しく、愛おしいことでしょう。
無事に迎え入れた喜びと同時に、春は別れの季節でもありますから、どこか切なさも感じさせます。
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それは それは 空を越えて
やがて やがて 迎えに来る
≪春よ、来い 歌詞より抜粋≫
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「遠き春」という歌詞には、待ち焦がれても手に届かないもどかしさが滲んでいます。
まだまだ季節は冬。
会いたい気持ちを抱えながら春を待ちわびる中でも、目を閉じればいつでも愛しい人に会えるのです。
目を閉じた時だけ感じられる「君」の気配。懐かしい声。
それは、目を開ければ愛しい空想の世界が壊れてしまうことを意味しています。
視界を閉ざした記憶の中でしか会えない人。
思いを馳せる「君」は、会いたくても会えない距離にいるか、すでにこの世にいないのでしょう。
ドラマの中でも描かれる戦争。
直接的には描かれていなくても、もしかすると「君」との仲を引き裂いたものは戦争なのかもしれません。
愛を確かめる術が記憶の中にしかない、何とも切ない歌詞です。
来ない返事を待ち続ける覚悟
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君に預けし 我が心は
今でも返事を待っています
どれほど月日が 流れても
ずっと ずっと待っています
≪春よ、来い 歌詞より抜粋≫
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一体どれほどの間、返事を待っているのでしょうか。
預けたものは手紙ではなく心。自分の心ごと、愛しい人にすべて預けてしまえるほど、深く愛しているのです。
返事が届く日は来るのか、永遠に来ないのか。
どれだけの時が流れても延々待ち続けるというのは、ひたむきともいえますが、諦めが悪いともいえます。
もしかすると、二度と返事がもらえないと分かった上で、待ち続けているかもしれないのです。
別れという現実を受け入れられずに、記憶の中の愛しい人を頼りに生き続けるのだとしたら、それは美しい愛でしょうか。悲しい愛でしょうか。
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それは それは 明日を超えて
いつか いつか きっと届く
≪春よ、来い 歌詞より抜粋≫
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『春よ、来い』の中で「君」の生死は明かされていません。
遠い春を待つように、返事を待ち続け、記憶を頼りに自分を保ち続ける。
どうかその思いが報われて欲しい。歌詞の通りにいつかは返事が届いて欲しいと願ってやみません。
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春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき
夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く
≪春よ、来い 歌詞より抜粋≫
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諦めそうになった時、立ち止まった時、心が揺れた時。
愛しい記憶の中の「君」が現れ、いつでもそっと支えてくれるのでしょう。
まるで抱きしめられるように、温かい眼差しを受ける喜びが溢れています。
たとえ夢だとしても、今この瞬間だけは、確かに「君」の存在を感じることができる。
それだけで案外、生きていけるのかもしれません。
童謡『春よ来い』の一節を織り交ぜた演出
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夢よ 浅き夢よ 私はここにいます
君を想いながら ひとり歩いています
流るる雨のごとく 流るる花のごとく
≪春よ、来い 歌詞より抜粋≫
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深い夢ではなく浅い夢を見ています。
いつ醒めるともしれない浅い夢の中で、愛しい人を探し求めて歩き続ける。
どんなに不毛だったとしても、止めることはないのでしょう。
愛する人のことを思いながらさまよい続けられるなら、それは一つの幸せです。
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春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき
夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く
春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに
愛をくれし君の なつかしき声がする
≪春よ、来い 歌詞より抜粋≫
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人生に迷った時には眼差しで、瞼を閉じればいつでもそこに存在している。
「君」という存在はもう、この世にはないのかもしれません。
しかし、自分の心の中に息づいていれば、寂しくはないのでしょう。
視線で、耳で、五感で触れ合うことのできる2人はすでに、結ばれているといっても過言ではありません。
婚姻届のような形あるものがなくても、心と心で人はつながることができます。
『春よ、来い』最後のフレーズはリフレインになっていますが、耳を澄ませると、童謡『春よ来い』(相馬御風作詞)の「春よ来い 早く来い」という歌詞が歌われていることに気付きます。
別の楽曲の歌詞を取り入れるところに、松任谷由実のセンスのよさを感じます。
さらに「春よ来い」と、春という季節を心待ちにしている様が、より一層際立つ点も見事。
出会いと別れの季節である以上に、心にも春を呼び込みたいのでしょう。
来ない返事が届く日を、愛しい人との再会を。
その思いは、どれほど月日が流れようとも色褪せることはないのです。
冒頭の歌詞に登場する沈丁花の花言葉には「不滅」や「永遠」という意味があるそうです。
もしかすると、忘れえぬ恋人への思いと重なっているのかもしれません。
『春よ、来い』に漂うのは、遠い春を待ち焦がれながら、愛しい人の記憶を抱いて生きる切なさと強さではないでしょうか。