Uru『それを愛と呼ぶなら』がドラマ「マイファミリー」主題歌に
Uruの新曲『それを愛と呼ぶなら』は、日曜劇場「マイファミリー」の主題歌。
ドラマの主人公を演じるのは二宮和也です。
妻役の多部未華子とは15年ぶりの共演ということもあり、話題を呼んでいます。
ゲーム会社の社長として名を馳せ、仕事もプライベートも充実した夫。
華やかで平穏な夫婦の生活は、娘の誘拐によってもろくも崩れ去ります。
愛する娘を取り戻そうと奮闘する夫婦を描いた本作はまさに家族愛をテーマにしているように見えますが、先の読めない展開でサスペンスやミステリー要素も。
成功者としての顔と、父親としての顔。
二宮の父としての演技にも注目したいところです。
家族をテーマにしたドラマの主題歌に「愛」というエッセンスを盛り込んだところに、Uruのセンスを感じますね。
Uruはこれまでにも「罪の声」主題歌の『振り子』や、「ファーストラヴ」の主題歌など、透明感のある歌声で作品の世界に寄り添う楽曲を数多く輩出。
一度聴いたら耳から離れない独特の声で、日本を代表する歌手としての存在感を強めています。
今回の『それを愛と呼ぶなら』も、「愛」という要素を中心に、家族をどう表現しているのか、ドラマの世界観との寄り添い方が気になります。
では、さっそく歌詞の解釈を進めていきましょう。
再生をイメージさせるフレーズに注目
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掛け違えていたボタン 一つずつ
下から順に外してもう一度重ねていく
君がくれた時間と温かさを
この胸が教えている
≪それを愛と呼ぶなら 歌詞より抜粋≫
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「掛け違えていたボタン」は、心のすれ違いを表現する際に使われることが多いフレーズです。
いつの間にかボタンを掛け違えて、取り返しの付かない距離が生まれ、やがて別れにつながっていく。
そういう意味では、マイナスなイメージが強い表現ともいえるでしょう。
しかしUruは、やり直しの象徴として描いています。
ボタンを外して、また一つひとつ掛け直せばやり直せる。
「君がくれた時間」とは、家族との時間でしょうか。
過ぎ去った過去を懐かしみ、手の届かないものとして描くのではなく、現在進行形で目の前にあるものとして描くことで、家族の再生を連想させる歌詞になっています。
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空が青いとか花が咲くとか
君が笑うとか抱きしめるとか
すぐそばにあったこの幸せを
今痛いくらい感じてるよ
≪それを愛と呼ぶなら 歌詞より抜粋≫
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ドラマは、愛娘が誘拐されるところから始まります。
平凡な生活が崩れ去り、夫婦は絶望の淵に立たされるのです。
窮地に立たされて初めて、退屈だった日常がどれほど特別で、かけがえのないものだったのかを思い知らされますね。
空の青さを愛でること、愛しい娘を抱きしめること、家族で食卓を囲い、全員で朝を迎えること。
どれ一つとっても、明日も必ずやってくる保障のない、不安定な幸せです。
娘が笑う、妻が笑う、娘を抱き上げる。
そんな当たり前の時間が幸せだったと気付くのは、いつも失ってからです。
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守りたいものがあると、そこに未来があるんだと
君のいる場所まで迎えにいくから
雨風に打たれてボロボロになったら
不格好な姿を笑ってくれ
≪それを愛と呼ぶなら 歌詞より抜粋≫
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「守りたいもの」とは家族の平穏な生活でしょうか。
娘を無事に取り戻すために、すべてを捨てる覚悟を決めた父親。
誘拐によって当たり前の日常が奪われた家族。
がむしゃらに奔走する姿は、決してスマートとはいえません。
しかし「守りたいもの」を守り、取り戻した先にしか「未来」はないのでしょう。
だからこそ、どんな困難からも逃げ出すことは許されないのです。
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一度転んだからこそ見える世界があるなら
もう二度とその手を離さないように
やっと気づいたんだ 君と過ごす日々
本当に欲しかったものが そこにあるんだよ
≪それを愛と呼ぶなら 歌詞より抜粋≫
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大切な人のために駆けずり回り、ボロボロになっていく姿は、他人から見ればみっともないかもしれません。
しかしこの現状を打破できたなら、そこから家族の新しい時間が始まるのです。
失敗は苦い経験ですが、失敗しないと気付けないものもあります。
みっともなく転んだあとだからこそ見える、新しい景色。
それはきっと、すがすがしく、美しいものなのでしょう。
失ってこそ分かる家族のありがたさ
波風立てず、取り繕い、円満な家族のふりをするよりも、ぶつかり合い、時に醜態をさらしても飾らない姿を見せられる方が、家族としては自然なのかもしれません。
一度家族の危機を味わって初めて、自分の本心に気付けたのではないでしょうか。
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一人で歩いて来た顔をして
失いかけてからようやく目を覚ました
そばにあった存在のその温もり
僕はそう 大馬鹿者だ
≪それを愛と呼ぶなら 歌詞より抜粋≫
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人は誰しも、一人きりで生きているわけではありません。
それでも、一人でできることが増えていくと、つい誰かに支えられていることを忘れがちな生き物です。
家族もきっとそうなのでしょう。
生活を回していくのに必要なのは、お金だけではありません。
特に家事や育児は、目に見えない仕事の積み重ねです。
自分が気付かないところで家族が支えてくれているからこそ、子供は元気に育ち、家庭が円満でいられるということを忘れてはいけません。
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初めて知る自分の弱さとか
隠し切れなかったこの幼さも
きっと君は知っていたんだろう
それでも信じてくれたこと
≪それを愛と呼ぶなら 歌詞より抜粋≫
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『マイファミリー』は娘が誘拐され、絶望の淵に立たされながらも戦う夫婦の姿が描かれていく作品です。
そのため、ここでいう「君」とは妻のことでしょう。
大人の男として立派に家族を支えている気になっていても、人間ですから未成熟な部分もあります。
自分の至らないところを察し、理解し、人知れず支えてくれていた妻。
そのありがたさに気付かなかった自分を恥じるのも、よい経験です。
共に困難に立ち向かうことで、家族と改めて向き合うことができるのかもしれません。
『それを愛と呼ぶなら』は再起の曲
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返したいものがあると、見つけたいものがあると
君のいる場所まで迎えにいくから
雨風に打たれてボロボロになっても
変らないこの想いを 伝えにいくよ
≪それを愛と呼ぶなら 歌詞より抜粋≫
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「返したいもの」は、これまで家族を支えてくれた妻への感謝でしょうか。
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見落としてきた涙も すり替えてきた感情も
取り戻すように走れ 走れ
同じものはない たった一つの輝き
≪それを愛と呼ぶなら 歌詞より抜粋≫
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夫婦を続けていく中で、愛情も、感謝も、いつの間にか見落として、受け流して、大切な言葉を取りこぼしていたのでしょう。
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支え合える喜びも
分かち合える悲しみも
いつの日か揺るがない形になって
世界中を探しても ここにしかないもの
それを愛と呼ぶなら
≪それを愛と呼ぶなら 歌詞より抜粋≫
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家族に対して抱く感情は、決してプラスのものばかりではありません。
悔しい、気まずい、そして時には憎しみすら生まれるもの。
それでも、複雑な感情をすべてひっくるめて、一緒にいる時間や、共に築き上げたものを「愛」と呼べるなら、その家族はとても素敵です。
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守りたいものがあると、そこに未来があるんだと
君のいる場所まで迎えにいくから
今はっきりと言えるよ 大切な人よ
いつまでも僕のそばには 君がいて欲しい
≪それを愛と呼ぶなら 歌詞より抜粋≫
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親でも、友達でも、妻でも、娘でも。
大切な存在ほど、日常生活に埋もれ、相手への感謝が薄れてしまうものです。
心の底ではありがたい存在だと分かっているのに、大切にしているのに、言葉や態度で示せない。
そのことが、大切な人と自分との間に溝を生んでしまうこともあります。
どれほど想っていても、言わなければ伝わりません。
取り繕った自分を捨て、みっともなく転んでようやく、気持ちに素直になれたのでしょう。
「大切な人」と呼べたことは、「僕」にとって大きな進歩だといえます。
“きっとそばにいてくれるだろう”ではなく、“そばにいてほしい”と口に出すことが大切なのです。
自分自身に素直になれば「僕」はここでようやく、「君」と向き合い、家族と向き合い、新しい一歩を踏み出せるのでしょう。
『それを愛と呼ぶなら』は、“愛”を非常に曖昧に描いた楽曲です。
愛には「これ」といった形がありません。
家族がいれば家族の数だけ、人の数だけ愛があります。
たとえどんな困難に直面しようとも、家族が信頼し合い、互いを「大切な人」として想い合っていれば、きっと乗り越えていける。
愛の偉大さと大切さに気付かされる歌ですね。
『マイファミリー』という作品にふさわしいテーマで、普遍的な「愛」を歌ったUru。
愛とは、目に見えないからこそ複雑で、厄介です。
何をもって愛といえるのか、その判断は人それぞれでしょう。
目に見えない、誰かを想う気持ちや、家族でいるために大切な心構え。
そうした曖昧なものが愛だとするなら、当たり前の日常の中に、愛は溢れています。
この歌をきっかけに、大切な誰かとしっかり向き合ってみるのもよいかもしれません。