ジブリ映画「紅の豚」のエンディングテーマ「時には昔の話を」
加藤登紀子の『時には昔の話を』は、宮崎駿監督の短編漫画を原作に制作され1992年に公開された長編アニメ映画『紅の豚』のエンディングテーマです。『紅の豚』の舞台は第一次世界大戦後の1920年代末、世界恐慌真っ只中のイタリアです。
呪いによって豚の姿になった賞金稼ぎの飛行艇乗りであるポルコ・ロッソの活躍と幼なじみのジーナとの恋模様を描いた作品です。
他のジブリ作品とは一線を画す大人向けの色彩豊かな映画として、根強い人気を誇っています。
そのエンディングを彩る『時には昔の話を』は加藤登紀子自身が作詞作曲を担当。
映画公開の7年前となる1987年に46枚目のシングル『百万本のバラ』のカップリング曲としてリリースされました。
1960年代の日本で起きた学生運動を経験した際の自身の想いが綴られていて、映画で描かれる激動の時代とその懐かしさを思い出すノスタルジックな雰囲気がマッチしています。
どのような想いが記されているのか、歌詞の意味を考察していきましょう。
----------------
時には昔の話をしようか
通いなれた なじみのあの店
マロニエの並木が窓辺に見えてた
コーヒーを一杯で一日
見えない明日を むやみにさがして
誰もが希望をたくした
ゆれていた時代の熱い風にふかれて
体中で瞬間を感じた そうだね
≪時には昔の話を 歌詞より抜粋≫
----------------
この楽曲の主人公は女性で、男性の友人との会話が展開していきます。
タイトルにもなっているように「時には昔の話をしようか」と過去の思い出を振り返ろうとしていることが分かりますね。
当時2人が「通いなれたなじみのあの店」の窓辺からは、白やピンクに色づく「マロニエの並木」が見えていました。
まだ学生であまりお金はなく、一杯のコーヒーを頼むだけで一日その店で過ごしていたようです。
学生運動とは学生たちが組織を作り、社会や政治についての問題提起のために体制や権力に対して起こす社会運動のこと。
それはつまり不安な世の中で「見えない明日をむやみにさがして」いる状態だったといえます。
当時はそれこそが自身の学校生活や社会を変革させる最善の方法と信じていたはずですが、時が経って振り返ってみると無謀だったと感じる点もあるのでしょう。
それでも「ゆれていた時代の熱い風にふかれて体中で瞬間を感じた」と、一瞬一瞬を全力で生きていたことを懐かしく語り合っています。
「貧しさが明日を運んだ」の解釈とは
----------------
道端で眠ったこともあったね
どこにも行けない みんなで
お金はなくても なんとか生きてた
貧しさが明日を運んだ
小さな下宿屋にいく人もおしかけ
朝まで騒いで眠った
嵐のように毎日が燃えていた
息がきれるまで走った そうだね
≪時には昔の話を 歌詞より抜粋≫
----------------
お金もなく行く当てもない学生たちが集まり、道端で野宿をした日もあったことを思い出しています。
いつもなら住まわせてもらっている「小さな下宿屋」に帰っていく人たちも混ざり、みんなで路上で朝まで騒いでいたようです。
「貧しさが明日を運んだ」のフレーズは、貧しかったからこそ反骨精神で仲間と団結し合い生きることを諦めずにいられたという意味かもしれません。
決して良い暮らしとはいかなかったものの、仲間との時間が明日を生きる活力となって当時の彼らを支えていたのでしょう。
そのおかげで今その頃のことを懐かしく振り返ることができています。
嵐のように激しく、日々熱意を持って命を燃やし必死に駆け抜けた毎日。
歳を重ね、社会も自分自身の考え方も変わった今ではきっとできない自由な生き方をどこか羨ましく感じているようにも思えます。
あの日々は空しくなんてなかった
----------------
一枚残った写真をごらんよ
ひげづらの男は君だね
どこにいるのか今ではわからない
友達もいく人かいるけど
あの日のすべてが空しいものだと
それは誰にも言えない
今でも同じように見果てぬ夢を描いて
走りつづけているよね どこかで
≪時には昔の話を 歌詞より抜粋≫
----------------
2人の手元にはあの頃の写真はもう一枚しか残っていません。
それは当時の社会の移り変わりの激しさや、あの頃からかなりの時間が経過したことを示していると解釈できます。
そしてその残った一枚の写真を2人は眺めています。
そこに写る「ひげづらの男は君だね」と友人に声をかける主人公。
しかし「どこにいるのか今ではわからない友達もいく人かいる」ようです。
学生運動の際に暴動に巻き込まれて亡くなった学生たちは大勢います。
時代の激しさに飲み込まれ、気づけば疎遠になってしまった人も多くいたはずです。
会えない友人たちのことを思えば寂しさも感じますが、自分たちが肩を寄せ合い生きた日々が無価値だったとは思いたくありません。
「あの日のすべて空しいものだと それは誰にも言えない」という言葉に、懸命に毎日を駆け抜けた自分たちの生き方を誇らしく思う気持ちが表れているように感じます。
そして友人たちはきっとどこかで「今でも同じように見果てぬ夢を抱いて走りつづけているよね」と信じています。
この言葉の裏には、自分たちも夢を捨てず明日を力強く生きていこうという決意が隠されているのではないでしょうか。
あの頃と変わらず自身の人生を懸命に生きようとする姿に胸を打たれます。
ノスタルジックなアニソンで思い出に浸ろう
加藤登紀子の『時には昔の話を』は、過去の青春時代に思いを馳せつつ未来に目を向ける楽曲です。主人公と友人の関係は、映画の物語の中のジーナとポルコの関係とも重なって見えます。
『紅の豚』になくてはならない加藤登紀子の歌声と希望を感じるメッセージに心を打たれますね。