日本マクドナルド「時をかけるバーガー」篇CMソング
アニメ『チェンソーマン』ED曲『CHAINSAW BLOOD』や首都医校・大阪医専・名古屋医専TVCMソング『しわあわせ』など、さまざまなタイアップ曲を手がけてきたVaundy。自身で作詞作曲、アレンジなどをこなす気鋭のマルチアーティストで、第73回紅白歌合戦への初出場も決まっています。
そんなVaundyが2022年11月14日、デジタルシングル『忘れ物』を配信リリース。
『忘れ物』は岡田准一が10代から30代までを熱演した日本マクドナルドCM「時をかけるバーガー」篇のCMソングに起用された楽曲です。
配信と同時に公開されたMVに、宮崎あおいが出演していることでも大きな話題を呼びました。
どこかノスタルジックな雰囲気が漂うVaundyの新曲『忘れ物』。
果たしてその歌詞には、どのような意味が込められているのでしょうか。
偽りの笑顔と傷んだ心
まずは1番の歌詞から考察していきましょう。
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僕らはきっと
そこらにある物じゃ
足りなかった
僕らはずっと
近くの愛をそっと
拾いあってた
凛として何もないアルバムを覗いた
笑ったふりして
≪忘れ物 歌詞より抜粋≫
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ここでの「僕ら」については、同じ思い出を共有する仲間たちだと想定してみます。
過去に生活を共にしていた仕事仲間や地元の友達のようなイメージです。
「そこらにある物じゃ 足りなかった」というのは、ありふれた日常から抜け出して何者かになりたかった過去のことだと考えられます。
また「近くの愛をそっと 拾いあってた」は、1つの共同体という狭い世界で恋愛や友愛を育んでいたという意味に解釈できそうです。
続くフレーズは「凛として何もないアルバム」。
「凛として」というのは、アルバムが立派な紙や装丁で飾られているさまだと推測できます。
しかし、そのアルバムには「何もない」とのこと。
美しく飾られた装丁とは裏腹に、中身の写真には虚無感が漂っているようです。
最後の1行は『忘れ物』の主人公が写真の中の自分に「笑ったふりして」と吐き捨てているように読み取れます。
主人公はどこか自分を偽ったまま、大人になってしまったのかもしれませんね。
続いて、2番の歌詞を見てみます。
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僕らはきっと
涙をそっと拾う、余暇はなかった
だから
僕らはずっと
互いの幸福を、睨みあっている
凛として凍りつき
傷み出した心が放った
「『時として、許しあうこと』がそもそもの罪だ」
諦めもついた
≪忘れ物 歌詞より抜粋≫
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「涙をそっと拾う、余暇はなかった」という歌詞は、他人の嬉しさや悲しみをくみ取る時間や心の余裕がなかったという意味に解釈できそうです。
自分のことで精一杯な状況下、かつての仲間の幸せに嫉妬してしまう。
そんな生々しい心情が伝わってきます。
また「凛として」は本来「寒さが厳しいさま」を表す言葉です。
温もりのない日常に「傷み出した心」。
その心が放ったのは「『時として、許しあうこと』がそもそもの罪だ」という一言。
『』で括られた部分は、人に言われたり本で読んだりした他人の言葉であると考えられます。
「許しあう」という行為は聞こえは良いですが、罰を与えないことで悪いことが増長してしまっては元も子もありません。
自分の幸福を睨みつける者を許容したとて、あるいは腹いせに睨み返したとて、今の状況が上向くことはないのでしょう。
それでいて無為に睨みあっている「僕ら」に「諦めもついた」と、どうやら主人公は諦観しているようですね。
最後に笑うための「忘れ物」
ここからはサビの歌詞を中心に見ていきます。
1番と2番のサビは同じ歌詞です。
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帰ろうか
思い出も全部ここに置いて
ここで泣けるシーンが来た数だけ
ほら
忘れ物してんだって
≪忘れ物 歌詞より抜粋≫
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「思い出も全部ここに置いて」の「ここ」は、1番で描写されていたアルバムの中だと考えられます。
また「泣けるシーン」というのは、そのアルバムに詰まった他人事のような思い出の数々のことではないでしょうか。
自分を偽り、普通なら喜びや悲しみが湧き立つ場面で素直になれなかった主人公。
「忘れ物」をしたという表現は、誰もが通る当たり前の思い出を取り逃がしたという意味に解釈できます。
そんな「忘れ物」に構っていても仕方ないという思いから、主人公は現実に「帰ろうか」と叫んでいるのかもしれません。
次に、終盤の歌詞を見ていきましょう。
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時が過ぎとも
「それ」は切れぬ、碇となる
忘れていいよ
忘れていいよ
でもね、そう
辛い時は
立ち止まって
泣いてもいいぜ
≪忘れ物 歌詞より抜粋≫
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「それ」というのは、タイトルにもなっている「忘れ物(取り逃がした思い出)」のことだと解釈できそうです。
どれだけ時間が過ぎても「忘れ物」は「碇(いかり)」として存在し続ける。
「碇」は船を一定の場所に留めるものです。
時間の流れに逆らい、自分の足を止めようとする「忘れ物」。
前を向いて生きていくためには「忘れ物のことを忘れる(=取り逃がした思い出に見切りをつける)」必要があるのでしょう。
ただ、仮に忘れ去ることができても、現実を生きていれば悲しいことや苦しいことは避けられません。
「辛い時は 立ち止まって 泣いてもいいぜ」という歌詞は、そんな厳しい現実の中で、今を真正面から受け止めて素直になればいいという激励のように聴こえます。
最後に、ラストのサビの歌詞を見てみましょう。
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帰ろうか
思い出よ全部ここにおいで
ここで泣けるシーンが来た数だけ
まぁ、拾っても最後に笑えんなら
ほら
ぎゅっと掴め忘れ物
≪忘れ物 歌詞より抜粋≫
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「思い出よ全部ここにおいで」という歌詞は、これから思い出になる出来事を迎え入れようとしているかのように読み取れます。
現実にしっかり向き合い、未来の自分が惜しみうる「忘れ物」を今「ぎゅっと掴め」と、自分自身に言い聞かせているようです。
ときに空っぽな思い出を拾い集め、それに縋りたくなっても、どうにか目の前のシーンに感情を解放する。
そして感情のままに握りしめた拳の感覚ごと、今、現実を脳裏に刻み込む。
これこそ、笑ったふりをしていた主人公が最後に本気で笑うための新しい生き方なのかもしれません。
「忘れ物」は私たちの手の中に
今回はVaundy『忘れ物』の歌詞の意味を考察しました。どこか悲哀や後悔といった心情がにじみながらも、気持ち新たに生きようと努力しているような、光ある歌詞でしたね。
誰しも「こんなはずじゃなかった」というような理想とのズレや不満を感じることはあるでしょう。
そんなときに心に浮かぶ過去への未練が、Vaundyの言う「忘れ物」なのかもしれません。
ただ、見方を変えると、未来の「忘れ物」は今の私たちの手の中にあり、いくらでも様相を変えられるともいえます。
そんな見えない何かを握りしめて目の前の現実を謳歌することができれば、私たちも最後には笑えるのかもしれませんね。