令和の卒業ソング!SG「僕らまた」
TikTokやYouTubeを中心に活動するシンガーソングライター・SG(ソギョン)。日本と韓国のダブルで、DISH//『猫』やRADWIMPS『そっけない』など、日本の楽曲の韓国語カバーを投稿して人気を集めていった新世代のアーティストです。
そんなSGが2021年4月4日に配信リリースした楽曲が、今回考察する『僕らまた』。
「令和の卒業ソング」とも称され、YouTubeの公式アカウントでは合唱バージョンも公開されている1曲です。
リリースと同時にアップされたMVも大人気で、再生回数は2200万回を超えています(2022年12月14日現在)。
SGの透き通った歌声で紡がれる『僕らまた』の歌詞には、果たしてどのようなメッセージが込められているのでしょうか。
涙を流す「僕」、涙を堪える「君」
『僕らまた』に登場するのは「僕」と「君」の二人です。
1番と2番の歌詞には、この二人の視点が対照的に描かれているような箇所があります。
ここではまず、その観点から歌詞を考察していきましょう。
はじめに、1番の歌詞です。
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片道の人生に
出逢いと言う宝物
これからの長い旅に
思い出と言う贈り物
夢を握り締め
旅立つ背を眺め
涙はグッと堪え
それじゃまたね
≪僕らまた 歌詞より抜粋≫
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引き返せない人生の途上、何らかの巡り合わせで出逢った二人。
「これからの長い旅に 思い出と言う贈り物」とは、そんな二人(あるいは一方)の門出において、花でも手紙でもなく「思い出」こそが互いへのはなむけであるという意味ではないでしょうか。
そして夢に向かって歩き出す仲間を見つめ、涙を堪(こら)えながらの「それじゃまたね」。
明日また会えるかのような、軽やかな挨拶です。
涙を堪えていることから、この言葉は、いつもと同じようなノリで別れようという強がりだと考えられます。
続いて2番の歌詞を見てみましょう。
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まだ散らぬ桜を
雲一つない空を
背を押すそよ風を
いつの間に流れる涙を
僕らの青い春を
涙を堪える君を
いつまでも忘れないよ
それじゃまたね
≪僕らまた 歌詞より抜粋≫
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「まだ散らぬ桜」という描写から、舞台はやはり卒業シーズンの3月頃でしょうか。
「僕らの青い春」という歌詞からは、このパートの視点は「僕」だと分かります。
そして続く歌詞は「涙を堪える君を いつまでも忘れないよ」。
このフレーズにより、涙を堪えて「それじゃまたね」と言った1番の視点は「君」だったと推察できます。
また「いつの間に流れる涙」とあるように、「僕」の方は堪えきれずに泣いている様子です。
もう1つ注目したいのは「背を押すそよ風」。
「君」視点の1番では「旅立つ背を眺め」とあったので、「僕」は泣いている自分を見せたくない強がりから、先に「それじゃまたね」と立ち去ったのかもしれません。
涙を堪えて仲間の背を見つめる「君」と、泣きながら潔く立ち去る「僕」。
形は違えど、二人とも自分なりに強がって旅立ちのときを迎えているとすれば、似たもの同士の微笑ましいお別れですね。
「僕らまた それぞれの道をさ 歩み始めたのさ」
ここからは、二人に関するエピソードが描かれた部分と、繰り返されるサビの歌詞を考察していきます。
まずは具体的なエピソードの描写(2番の始め)を見ていきましょう。
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覚えてる?
あの日のアイスの味
茜色の二人の帰り道
何がそんなに
可笑しかったのかな
一生で一番笑ったんじゃないかな
傘を忘れた日には
二人びしょ濡れ
それを見てまた腹を抱えて
一生分の借りができたよ
またあったときにでも返すとするよ
≪僕らまた 歌詞より抜粋≫
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前半は、夏の放課後の思い出でしょうか。
振り返ったときに「何がそんなに可笑しかったのかな」と思えるほど、その思い出はキラキラと輝いて見え、反対に今の自分は少し大人になったのかもしれません。
続いて語られるのは「傘を忘れた日」の話。
晴れの日だろうと雨の日だろうと、いつも笑い合っていた二人が目に浮かぶようです。
ただ1点、気になるのは「一生分の借りができたよ」というフレーズ。
仲の良い対等な友人との思い出に「借り」という言葉はやや不似合いに思えます。
2番の視点は「僕」なので、もしかしたら「僕」は何らかの困難を抱え、うまく人と付き合えない日々を送っていたのかもしれません。
そう考えると、仲良くなった「君」の存在は非常に大きなもので、「君」にとっての「僕」以上に「君」を大切に思い、「借り」を感じていると解釈できます。
そして、できれば次は自分が「君」を助けたいという細やかな思いが「またあったときにでも返すとするよ」に込められているのではないでしょうか。
二人の絶妙な関係性が垣間見えたところで、サビの歌詞に入ります。
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僕らまた
それぞれの道をさ
歩み始めたのさ
その先にある
交差点でまた会えたら
その時は二人で
長い長い話を
夜が明けるまで
語り明かしたいね
今はグッバイ
≪僕らまた 歌詞より抜粋≫
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「僕らまた それぞれの道をさ 歩み始めたのさ」。
仲間に語りかけるような、優しい歌い出しですね。
それぞれの道を歩んでいる途中で、たまたまクロスした二人の人生。
門出のときをもって、再びそれぞれの道へ進むことになります。
とはいえ、この仲の良い二人なら、曲がりくねった人生のなかで再会する日がまた来ることでしょう。
別れの場面というと、とかく「別々の一本道」をイメージしがちです。
しかしこの歌で想定しているのは「どこかでリンクする入り組んだ道」。
特に「その先にある 交差点」という表現には、ひょっこり会って「久々に話そうよ」とお店を探すことになりそうな軽快さが感じられます。
そんな再会の希望があふれたまま放たれる「今はグッバイ」。
互いに「それじゃまたね」と軽いノリで別れた描写に通じるものがありますね。
「僕」は「君」に借りがあるつもりですが、「(涙を堪えて背中を見つめるほどの)君」にとっても「僕」が大事な存在であることは明白です。
そんな対等な「僕ら」の別れ。
きっとこの二人ならひょっこり再会して、一生で二番目くらいに笑い合える瞬間を迎えられそうですね。
「交差点」を信じて、それぞれの道へ
今回は、SG『僕らまた』の歌詞の意味を考察しました。名残惜しさと軽快さが随所に散りばめられ、門出のリアルな心境を思い出させる歌詞でしたね。
別れは誰もが直面するテーマなので、世代に関係なく心に響く1曲だったのではないでしょうか。
学校が変わったり職場が変わったり、お世話になった人や大切な仲間との別れは寂しいものです。
それでも、そこまで大事な存在だったのなら、「交差点」で会える日がまた訪れるはず。
そのときが来るのを信じて、今まさに別れが近づいている人も、別れて久しい状況にいる人も、ひとまずは自分の道をしっかり歩んでいきましょうね。