ボカロP「Kanaria」が歌う「チェンソーマン」ED曲
『KING』や『エンヴィーベイビー』など、多くのボカロ曲でヒットを飛ばしている大人気ボカロP・Kanaria。2022年11月16日に配信リリースされた『大脳的なランデブー』では、作詞作曲のみならず、自身の歌声を初めて披露しました。
『大脳的なランデブー』は大人気TVアニメ『チェンソーマン』第6話のエンディングテーマ。
MV再生回数は公開から数日で100万回を超え、その世界観に多くのファンが魅了されています。
曲名からして、一癖も二癖もありそうな話題曲『大脳的なランデブー』。
果たして、その歌詞にはどのような意味が隠されているのでしょうか。
今回は、原作『チェンソーマン』の内容も絡めて考察したいと思います。
不遇な人生と生存本能
まずは序盤の歌詞を見ていきましょう。
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世界一周忘れてまだ見ぬ光景と
浅ましい悍ましい気がして
≪大脳的なランデブー 歌詞より抜粋≫
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1行目は「十分恵まれているのに欲が尽きない状況」をたとえた歌詞だと考えられます。
「世界一周」は贅沢の象徴でしょうか。
いかに恵まれているかを「忘れて」、なお「まだ見ぬ光景」を求める欲望。
『大脳的なランデブー』の主人公は、そんな尽きない欲求に「浅ましい悍(おぞ)ましい」と嫌悪感を抱いているようです。
次の歌詞に入ります。
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エラー寸前かっさらって
群がる三十路
なら3回廻って転がる
犬だけロンリー
≪大脳的なランデブー 歌詞より抜粋≫
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「エラー寸前」は「人生が失敗に終わる寸前」のように読み取れます。
そんなギリギリの一瞬を「かっさらって 群がる三十路(さんじゅうろ)」。
『チェンソーマン』では、主人公デンジが雇い主に裏切られ、何者かに刺され、そのうえゾンビ化した人々に襲われる場面があります。
これを考慮すると「エラー寸前かっさらって」というのは、裏切られて終わりそうな人生の「残り時間」を奪うことだと解釈できそうです。
そして「群がる三十路」は、死に際にわらわら追いかけてくるゾンビたちのことだと推察できます。
続く歌詞は「なら3回廻(まわ)って転がる 犬だけロンリー」。
「3回まわる」という言葉からは、尊厳のない従順さが連想されます。
「転がる」が疲れ果てて寝転がるようなニュアンスだとすれば、犬のように従順に仕事をしてバテるといったイメージでしょうか。
また、犬にとっての30歳は、人間でいうと140歳くらいになるそうです。
かなり強引な解釈ですが、「三十路(みそじ)」を「さんじゅうろ」と読んでいる理由が “犬” 年齢で換算するためだと仮定すると、少し面白くなります。
この仮定を用いると、すでに寿命が尽きて肉体が朽ちている(140歳級の体を持つ)ゾンビを「三十路(さんじゅうろ)」と表現していると説明できそうです。
そして一連の歌詞は「ゾンビの餌になるくらいなら、孤独な飼い犬でいる方がましだ」という、死に際によぎったデンジの生存本能を表しているのかもしれません。
「大脳的なランデブー」= デンジとポチタのドッキング?
さらに次の歌詞を見ていきましょう。
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どれくらいのスピードで
進む 前に 前にと
失ったつもりでいたなら
ここがどうかしてんだろう
心がどうかしてんだろう
失ったつもりでした
≪大脳的なランデブー 歌詞より抜粋≫
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「失ったつもり」というのは、前半部分の「世界一周忘れて」と同様、手元にある贅沢に無感覚な状態のことだと考えられます。
主観的な不遇を嘆いて過ごす日々は、低速でダラダラと進んでいきそうです。
それを察してか「ここがどうかしてんだろう 心がどうかしてんだろう」と自問する主人公。
「ここ」については「頭」のことだと素直に解釈してみます。
そう考えると「失ったつもりでした」は、「思考がマヒして、すでに持っているものが見えなくなっていた」と気づいたような描写ですね。
対応する後半の歌詞では「進む 前に 愛にと」となっていることから、すでに持っていたものの正体は「愛」なのかもしれません。
続いて、サビの歌詞に入ります。
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大脳的なランデブー
だから強いて甘えたランブー
叫びだせ笑いだせ生きながら
大脳的なランデブー
それは傲慢だったランブー
叫びだせ笑いだせ生きながら
≪大脳的なランデブー 歌詞より抜粋≫
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「ランデブー」とは、出会いという意味です。
また「大脳的」という表現は、脳の右半球と左半球のようにバランスよく1つになっている状態のことだと解釈できます。
「チェンソーマン」は、主人公「デンジ」とチェンソーの悪魔「ポチタ」との契約によって生まれた存在です。
なので「大脳的なランデブー」は、両者がドッキングした「チェンソーマン」そのものを表しているのではないでしょうか。
「強いて甘えた」や「それは傲慢だった」という歌詞は、ポチタの力を利用して生き長らえたデンジの貪欲さを表しているのかもしれません。
そして最後のサビの歌詞です。
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大脳的なランデブー
だから強いて暴いたランブー
叫びだせ笑いだせ生きながら
大脳的なランデブー
君は傲慢だったランブー
叫びだせ笑いだせ生きながら
≪大脳的なランデブー 歌詞より抜粋≫
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「暴く」という言葉には、ずたずたに切るという意味があります。
ここでの切る手段は、もちろんチェンソーのことでしょう。
そしてチェンソーは「ポチタ」の要素です。
加えて「君は傲慢だった」というフレーズから、このサビが「ポチタ」目線である可能性が浮かんできます。
ただ、2つのサビで視点が違うとしても、「大脳的なランデブー」を果たした両者は文字通り一心同体です。
締めの「叫びだせ笑いだせ生きながら」は、「生に執着しながらチェンソーを鳴らし、ゲラゲラ笑っていこうぜ」というチェンソーマンの狂気を凝縮した1行なのかもしれません。
「ランブー」とは何か
今回は、Kanaria『大脳的なランデブー』の歌詞の意味を考察しました。
独特な言い回しのオンパレードで、さまざまな解釈ができそうな面白い歌詞でしたね。
『チェンソーマン』のストーリーや設定が見え隠れする部分は、特に原作ファンにとってワクワクと血が騒ぐものだったのではないでしょうか。
そんな『大脳的なランデブー』ですが、あえてスルーした言葉が1つだけあります。
それはズバリ、サビにある「ランブー」です。
ここでは最後に、この「ランブー」について考察したいと思います。
語感は「ランデブー」によく似ている「ランブー」ですが、辞書的に存在する外来語ではないようです。
それを逆手にとって解釈すると、存在しない単語を紛れ込ませることで「検索しては解釈に悩み、また検索しては悩み」という無限ループが現実に発生するよう仕組まれている可能性が考えられます。
「ランブー」という言葉が、無限ループのトリガーとして機能しているという考察です。
『大脳的なランデブー』がEDとなっている『チェンソーマン』第6話の内容(脱出不可能な領域を作り出す悪魔の登場)まで考慮すると、多少はこの解釈に説得力が生まれます。
そんな無限ループが仕掛けられているとすれば、「ランブー」については、さらっと聞き流すのが賢明かもしれません。