2編構成のドラマMVが意味深と話題に
2022年7月デビューの韓国発の5人組ガールズグループであるNewJeansのニューシングル・アルバム『OMG』から先行配信された初のウィンターソング『Ditto(ディトー)』が話題となっています。どこか懐かしさや儚さを感じる楽曲で、音源公開から33日目にSpotifyでの再生回数が1億回を突破。
韓国内のほとんどの主要音楽チャートで首位を飾るのみならず、米・ビルボードの「HOT100」にグループ初、さらにK-POPアーティストとしてデビュー後最短期間でチャート入りするという快挙まで成し遂げました。
タイトルの「Ditto」は同上を意味する記号“〃”の英語の名称で、「me too(私も)」と言い換えることができるでしょう。
相手に対して自分も同じだと主張しているタイトルであることが分かりますね。
この楽曲で特に注目されているのが「両面再生できるビデオテープ」をコンセプトにしたside Aとside Bという2編構成のMVで、その意味深な内容にファンの間で様々な考察がされています。
ドラマ仕立てのMVがどのようなストーリーなのか、またそこにどのようなメッセージが込められているのか、さっそく考察していきましょう。
side Aではまず1人の女性が古いビデオテープの映像を見始めるところからストーリーが展開していきます。
その映像はビデオを見ている主人公の女性・ヒスが撮影したもので、NewJeansのメンバー扮する高校時代の友達との思い出が記録されているようです。
ヒスは5人の少女たちと仲が良い間柄ではあるものの、いつもカメラ越しに彼女たちを撮影するばかりで、一緒に踊ることもなく一定の距離を保っているように見えます。
このことからヒスという少女は、NewJeansのファン・Bunnies(バニーズ)を象徴していると解釈できます。
そしてその後も続く仲良しな6人の様々な日常の光景は、NewJeansとBunniesとの絆の深さを表現していると言えるでしょう。
なかでも印象的なのは、土砂降りの雨を前にヒス以外の誰も傘を持っていない時にヒスも一緒に濡れて帰ることを選んだシーンです。
メンバーたちがNewJeansやその他のアイドルを象徴しているとすれば、ファンとは彼女たちが大変な試練に遭っている時に同じように耐えてくれている心強い存在であることを示していると考えられます。
また反対にヒスが腕を怪我してしまった際に、5人がギブスにメッセージを書くシーンも登場します。
これはファンがつらい状況にある時には自分たちが力になって支えるというメッセージなのでしょう。
ここで書かれているヒスのフルネームは「バン・ヒス」で、Bunniesと似ていることからも彼女がファンの象徴であることが窺えます。
アイドルとファンの関係は苦楽を共にする友達のような密接なものだと思っていることが伝わってきますね。
夢から醒めると見えてくる現実
6人で寝ていたはずの部屋でヒスは1人目覚めます。
このことからその直前に雪原で鹿が出てくるシーンは、彼女の空想と解釈できます。
鹿が神話で死と再生のシンボルとして描かれることが多い獣である点を考慮すると、ヒスは“成長したい”、“新しい人格に生まれ変わりたい”という思いを持つようになったのかもしれません。
そんな気持ちに気がついた時、これまで見ていた光景が現実ではなかったことが明かされていきます。
ギブスは真っ新な状態で、ミンジに塗ってあげたはずのマニキュアは自身の小指に塗られています。
教室でカメラを向けるヒスの前には、怪訝そうに見つめるクラスメイトの姿しかありません。
長い時間撮影していた学校の屋上にはヒスしかおらず、廊下や購買でもメンバーの姿は見当たらない状態です。
とはいえ実際に少女たちを撮影した映像が残っていることから、全てがヒスの空想だったわけではなく過去に撮影した映像をそれぞれの場所で再生していると考えられます。
これらの点をアイドルファンを取り巻く環境に置き換えると、ファンはアイドルのことを友達のようなごく近しい存在として見ているものの、その姿は周囲から見れば奇異なものに感じられるということを示していると解釈できます。
そしてこれまではアイドルに熱中していたものの、熱が冷めると現実世界での孤独さに気づくようになり今の自分から変わりたいと思うようになったのではないでしょうか。
ふとクラスメイトの男の子に目を奪われる瞬間があるのも、アイドルではなく現実の異性に心を寄せるようになったことを表していると考察しました。
ファンも心変わりしてしまうことや、誰でも成長と共に心の拠り所にする対象が変化することを表現しているのでしょう。
またside Aの最後のシーンでは、ミンジが黒板に描いた女の子の絵の下半身を消す様子が映し出されます。
その絵の女の子をアイドルたちが思い描くファン像だとすると、下半身を消すことは自分たちのところにいつまでもいてくれるとは限らないことを象徴していると読み取れそうです。
それでもビデオを再生すれば昔の友達に会えるように、かつてのファンが戻りたいと思うならアイドルたちはいつでも迎え入れるつもりでいると言ってくれているような気もします。
誰にでも関係の終わりは訪れる
side Bではヒスを目で追う男の子の姿が何度も登場し、ヒスは5人と距離を置くようになっています。
街灯の下で楽しそうに踊る5人を見ているようなシーンがありますが、ギブスに何も書かれていないので彼女たちの姿はヒスの目に映ってはいないのでしょう。
画面越しでしか見られないアイドルが虚構であることに気づいたため、カメラを壊しファンを完全にやめてしまいます。
雨の日には傘のない5人を置き去りにして1人で帰ってしまい、ミンジからかかってきた電話にも出ずに暗い部屋でうずくまっています。
ファンでいることをやめたのでアイドルが試練に遭っても見向きもせず、アイドルがネットを通して発信する情報にも一切触れません。
しかしその憂鬱そうな雰囲気に、ファンをやめたことからくる寂しさを感じているようでもあります。
続くシーンで学校の廊下の先に鹿が現れてヒスと目を合わせますが、男の子とヒスが2人で帰る後ろ姿が映った後に鹿はその場を離れていきます。
おそらく男の子の存在は現実で触れ合う他者とのコミュニケーションそのものを意味しているのでしょう。
それまではアイドルに夢中になるあまり周囲には目もくれませんでしたが、他者を受け入れ現実を生きることを選んだために成長したいという願いが実現して消えたことを表していると解釈しました。
次のシーンではside Aの冒頭に戻り、ビデオの映像とそれを見ている大人になったヒスの姿が交互に映し出されます。
すると映像の風景が今目の前で実際に起こっていることのように鮮明になります。
これはかつて推していたアイドルの映像を見つけて再生したことにより、ファンだった頃の気持ちを思い出したことを意味しているのでしょう。
あの頃感じていた幸福感を振り返り、その時間は決して無駄ではなかったと思えたはずです。
MV全体を振り返ると、アイドルとファンだけでなく全ての関係にはやがて終わりが訪れるという事実を示していることが分かります。
誰もが同じ宿命を背負っているという意味で「Ditto(同上)」なのでしょう。
それは寂しいことですが、いつか終わってしまうからと言って人と関わらない選択をする人はいません。
たとえ離れる時が来ようとも誰かを大切に思う時間を経験することの意味について考えさせられます。
NewJeansからのメッセージに心を打たれる!
NewJeansの『Ditto』のMVはアイドルとファンとの関係を青春時代の思い出にたとえた独特な世界観に引き込まれます。楽曲自体はラブソングのような内容ですが、MVの主人公が男の子との関係よりも友達との関係を大切にしている様子から、ただのラブソングとは思えません。
さらにメンバーのミンジが作詞に参加していることもふまえると、やはりこの楽曲はNewJeansからBunniesへのメッセージソングと受け取れるのではないでしょうか?
それは今この時に自分たちと過ごす時間を楽しんでほしいというメッセージだと解釈しました。
ぜひ映像の細かい点や歌詞に注目しながら、自分なりの考察をして『Ditto』の世界を楽しんでくださいね!