“抜錨”に込められた意味とは
ロック調の楽曲を得意とするボカロP・ナナホシ管弦楽団が2018年に発表したボカロ曲『抜錨(ばつびょう)』は、どこか懐かしいメロディと美しい歌詞表現に巡音ルカの優しく淡々と物語を読むような歌声が合わさり、力強くも切なさを感じさせる楽曲です。人気歌い手のウォルピスカーターをはじめ多くの歌ってみた動画が投稿されており、2022年9月に自身4曲目となるミリオンを達成しました。
タイトルの「抜錨」とは「船の錨を上げて出航すること」を意味する言葉。
この曲では愛する人との別れを表現するフレーズとして用いられています。
どのように別れを歌っているのか、歌詞の意味を考察していきましょう。
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忘れられぬものだけが 美しくはないのでしょう
忘れることばかりが 美しくはないでしょう
悲しいことばかりが 人生ではないのでしょう
さりとて喜びとは 比べ往くでしょう
≪抜錨 歌詞より抜粋≫
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忘れられないからと言って、その記憶が全て美しいとは限りません。
とはいえ忘れることが美徳とも言い切れないでしょう。
なぜなら「悲しいことばかりが人生ではない」からです。
愛する人との別れという悲しい出来事に直面すると、忘れられないけれど忘れてしまいたいと思うことがあるのではないでしょうか?
しかしその人を忘れてしまえば、楽しく幸せだった記憶さえ失ってしまうことになります。
「往く」とは戻ってくることを前提として目的地に向かうことを表します。
悲しみに襲われる時に喜びの多かった日々に帰りたいと思うのは、人として当然のことだということを示しているのではないでしょうか。
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船よ 船よ 荒波の中で 流されずいられたでしょう
水底に根差す あなたと穿った少女時代
さよならする頃 強いられるのは抜錨
≪抜錨 歌詞より抜粋≫
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ここで出てくる「船」は自分自身、「荒波」は問題が多い人生を表していると解釈できます。
主人公が厳しい人生の中でも自分を保っていられたのは「あなた」がいたから。
「穿つ」は通り抜けることや突き抜けて進むことを意味する言葉です。
つまり共に駆け抜けた少女時代は、同じ場所に留まっていた錨が水底に深く沈んでいくように主人公と「あなた」の繋がりを強めるものとなったということでしょう。
だから心の拠り所にしていたその人と別れる時には、深々と埋まった錨を上げる時のような気力と体力が必要です。
愛しさが人を強くする
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傷の数を数えて 痛みの数 指を折る
一つあまり 小指は 愛しさのぶんね
辛いこともありましょう あなたの所為もありましょう
それでも赤い糸 結わえているのでしょう
≪抜錨 歌詞より抜粋≫
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日々の中で身に受けた傷と痛みの数を指折り数えた時、余って立てられたままの小指は好きな人への「愛しさのぶん」として残されています。
人を愛しく思う気持ちはその人の心身を守ってくれるものなのかもしれません。
耐えられないほどつらいこともありますし、愛する人から傷つけられることさえあります。
それでも愛があれば痛みさえも乗り越えていけるから、愛することをやめられない主人公の一途な想いが伝わってきますね。
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底知れぬものだけに 怯えるのではないでしょう
届かぬものばかりが 妬ましくはないでしょう
優しいことばかりが 優しさではないのでしょう
さりとて赤裸々では こそばゆいでしょう
≪抜錨 歌詞より抜粋≫
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限度が分からないものは確かに怖いですが、全て分かっていても恐ろしく感じてしまうものもあります。
また、人は手が届かないから妬ましく思うだけでなく、すぐに手が届きそうなものやすでに持っているものでもほかの人が手にしているだけで妬ましく思うことすらあるものです。
そして時に誰かの厳しい振る舞いが自分への優しさだったことに後になって気づくこともあるでしょう。
そんな風に人の感情や想いはあまりにも複雑で、もっと単純であれば楽に生きられるようにも思えてきます。
しかし人の行動全ての意味が赤裸々であればきっとこそばゆくて何もできなくなってしまうから、人を愛し思いやりながら関わっていくために心は複雑にできているのではないでしょうか。
愛することは難しい
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羽よ 羽よ 人並みを望み 人波に拒まれては
皆そこを目指す まだ葛藤があった少女時代
無辜でいた頃を 遠ざけるのは熱病
≪抜錨 歌詞より抜粋≫
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誰もが不器用にも「人並み」であることを目指す中、周囲と同じ道を進むか自分らしくあることを選ぶか葛藤してふらふらと漂っていた少女時代。
「無辜」は何の罪もないことを表すため、今の自分は何か罪を負っていると感じているようです。
罪がなかった少女時代を「遠ざけるのは熱病」という表現からすると、「あなた」への恋が自分がかかった熱病であり背負った罪と考えていると解釈できそうです。
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髪の長さ揃えて 爪の先を塗り直す
あどけない唇も 色めき立つのね
叶うこともありましょう 叶わぬ人もおりましょう
それゆえ慰めずにはいられないのでしょう
羽よ 花よ 水面に散って
≪抜錨 歌詞より抜粋≫
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恋をすると好きな人のためにおしゃれをするもの。
そうして恋を叶える人もいますが、当然叶わない人もいます。
どの恋も結果は叶うか叶わないかの二択だから、失恋したら「慰めずにはいられない」と恋の切なさを言い表しています。
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傷の数を数えて 痛みの数 指を折る
一つあまり 小指は 愛しさのぶんね
悔やむこともありましょう わたしの所為もありましょう
いつかは赤い糸 断ち切るのでしょう
花びらにささやきを 哀れみから口づけを
懐かしんではじめて 過ぎ行くのでしょう
惑うこともありましょう 誰かの所為じゃないでしょう
難しいものですね 愛するということは
≪抜錨 歌詞より抜粋≫
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恋が終わりへと向かい始めたら、どんなに自分の言動や選択を後悔してもいつか別れはやってくるものです。
「花びらにささやきを 哀れみから口づけを」というフレーズは、楽しさと悲しさの両面を持つ恋を表現していると考察しました。
終わった恋のあれこれを懐かしむことができるようになって初めて、その恋は本当の終わりを迎え思い出になるのでしょう。
深く愛した人と別れ、どうすればいいか分からずに心が混乱するとしても誰のせいでもありません。
恋や愛とは一筋縄ではいかないものです。
この曲で言いたいことは、最後の「難しいものですね 愛するということは」の言葉に要約されています。
そして難しいと分かっているのに誰かを愛してしまうのもまた人の理なのでしょう。
きっと全ての人が“抜錨”を繰り返しながら、錨を下ろし続けられる誰かを探しているのです。
美しい歌詞表現が心に響く名曲!
ナナホシ管弦楽団の『抜錨』は恋や別れといった身近なテーマを繊細に表現した楽曲です。2023年3月5日からはファン待望のカラオケ配信も始まり、ますます人気が加速することでしょう。
ぜひフレーズ一つひとつの意味を考えながら『抜錨』の世界観をじっくり味わってくださいね!