「奏」ってどんな曲?
スキマスイッチの『奏(かなで)』は、老若男女問わず、幅広い世代に愛されている名曲で、MVはなんと1.7億回再生を超えています。MVのコメント欄を見ると、ラブソングとして聴いている方がいる一方、子を見送る親視点の楽曲として聴いている方も多く、解釈の分かれる楽曲だと言えそうです。
2017年には、リリースから10年以上経っているにも関わらず、映画『一週間フレンズ。』の主題歌に抜擢されました。
前述した恋人や親子といった関係に限らず、主人公らの友情関係にもぴったりの楽曲です。
今回は、歌詞に登場する「僕」と「君」の関係性に注目し、様々な解釈の可能性を探りながら、歌詞を考察していきます。
早速、冒頭の歌詞から見ていきましょう。
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改札の前つなぐ手と手 いつものざわめき、新しい風
明るく見送るはずだったのに うまく笑えずに君を見ていた
≪奏(かなで) 歌詞より抜粋≫
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「僕」が改札の前で「君」を見送るシーンから始まっていますね。
二人は手をつなぐほど親密な関係性にあり、「いつもの」という言葉からは、「僕」が日常的に使用していた駅が舞台となっていることが分かります。
また、「新しい風」という言葉は、新しい環境へ向かう卒業の季節を表現しているように思います。
おそらく、日常を共にしてきた親密な二人が、卒業などの理由をきっかけに、離れ離れになる様子を描いた楽曲なのでしょう。
「うまく笑えずに」という歌詞からは、「君」との別れを寂しく思いながらも、明るく振舞おうとする「僕」の愛情が感じられます。
親子の曲として考察できる歌詞
続いて、サビの歌詞を見てみましょう。
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君が大人になってくその季節が
悲しい歌で溢れないように
最後に何か君に伝えたくて
「さよなら」に代わる言葉を僕は探してた
≪奏(かなで) 歌詞より抜粋≫
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「君が大人になってく」という歌詞からは、「君」がまだ子どもであることが分かります。
“大人”の定義は様々なため、「大人=成人する」と捉えるのであれば、「君」は高校生だと考えられますが、「大人=経済的自立」と捉えるのであれば、「君」は大学生や専門学生かもしれませんね。
いずれにしても、卒業や就職に伴う友人、恋人、親との別れを描いた楽曲なのだと考察できそうです。
哀愁の漂うメロディからは、「君」が大人になっていくことを喜ばしく思いながらも、「僕」が知っている子どもの「君」ではなくなっていく寂しさもまた感じ取れるように思います。
そんな中で、自分の悲しみをぶつけるのではなく、「悲しい歌で溢れないように」と願い、「さよなら」という別れの言葉ではなく、他の言葉を探そうとする「僕」の姿は、とても愛情深いですね。
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君の手を引くその役目が僕の使命だなんて そう思ってた
だけど今わかったんだ 僕らならもう 重ねた日々がほら、
導いてくれる
≪奏(かなで) 歌詞より抜粋≫
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続きの歌詞では、「君の手を引くその役目が僕の使命」という言葉が印象的です。
「僕」が「君」をリードしようとしています。
友人や恋人といった対等な関係ではなく、先輩・上司・親など、「僕」は「君」よりも上の立場なのかもしれません。
もちろん、友人や恋人として「君」を幸せな方向へ引っ張っていきたいという意味としても捉えられます。
しかし、「君」が大人になっていくことを意識したり、手を引く役目があると考えているあたりは、親目線の歌詞として捉えた方が自然なように思います。
ラブソングとして考察できる歌詞
後半の歌詞を見てみましょう。
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突然ふいに鳴り響くベルの音
焦る僕 解ける手 離れてく君
夢中で呼び止めて 抱き締めたんだ
君がどこに行ったって僕の声で守るよ
≪奏(かなで) 歌詞より抜粋≫
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「解ける手」「夢中で呼び止めて 抱き締めたんだ」など、身体的表現が目立つ歌詞となっています。
手を繋いだり、抱き締めたりするのは、友人や家族でも発生しうるスキンシップですが、どちらかというと恋人同士の行為だというイメージが強いでしょう。
「私」と「あなた」ではなく、「僕」と「君」で描いている点も、親子というよりは恋人同士として聴こえるような言い回しだと感じます。
つまり、この楽曲は、恋人を連想させる歌詞と、友人や親子を連想させる歌詞が混在しており、どちらとも解釈できるように作られているのではないでしょうか。
聴き手が思い浮かべる、遠くへ行ってしまう人、会えなくなってしまう人、もう会えない人に合わせて、ラブソングにも卒業ソングにも聴こえる楽曲なのかもしれません。
そのように考えれば、MVのコメント欄で解釈が分かれていることも、幅広い世代の人々が共感を寄せていることも納得です。
スキマスイッチが歌に託した思い
最後は以下の歌詞で締めくくられます。
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抑えきれない思いをこの声に乗せて
遠く君の街へ届けよう
たとえばそれがこんな歌だったら
ぼくらは何処にいたとしてもつながっていける
≪奏(かなで) 歌詞より抜粋≫
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「声」や「歌」という言葉が印象的に使われていますね。
離れ離れになる寂しさや不安、相手を想う気持ち、離れても繋がっていたいという願い。
そういった感情に、声や音で形を与えてくれるのが、まさに『奏(かなで)』という楽曲なのかもしれません。
「たとえば」と祈るように作られたこの楽曲が、これまでの約20年間、実際に多くの人々の胸の中で鳴り続け、これからも誰かの心の支えになっていくのだと考えると、とてもグッときます。
遠く離れていても、繋がっているような気持ちにさせてくれるのは、音楽が持つ力の一つ。
「こんな歌」があって良かった”と心の底から思います。