「ジョージア」新CMソングは毎日の苦悩を歌う
2024年5月27日にリリースされた米津玄師の新曲『毎日』は、日本コカ・コーラ「ジョージア」のCMソングとして書き下ろされました。
「毎日って、けっこうドラマだ」のメッセージと共に、人々がジョージアを飲んでひと息つき前向きな気持ちになっていく様子を捉えたCMにぴったりの、爽やかで温かみを感じる音楽と歌詞が魅力的です。
どのような“毎日”を切り取っているのか、さっそく歌詞の意味を考察していきましょう。
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毎日毎日毎日毎日 僕は僕なりに頑張ってきたのに
毎日毎日毎日毎日 何一つも変わらないものを
まだ愛せるだろうか
≪毎日 歌詞より抜粋≫
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冒頭部分の歌詞からは、主人公の苦悩やもどかしさが感じられます。
「毎日」と繰り返されていることから、主人公が長い間自分なりに頑張り続けてきた足跡が垣間見えます。
しかしこんなにも頑張っているのだから報われてほしいと願うのに、「何一つも変わらない」ことに歯がゆい思いを抱えているようです。
初めは結果が伴わなくても目の前の仕事や人、夢や自分自身を愛せたから頑張れました。
ところが、苦しい日々が続けば続くほど頑張る理由が薄らいでいってしまいます。
だから、これからも同じ毎日が続くのだとしたらそれらを「まだ愛せるだろうか」、自分はいつまで頑張り続けられるだろうかと自問している様子が伝わってきます。
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今日も雨模様 一人錆びたチャリで転んだ街道
目もくれずに早足で過ぎるアナーキスト
ガンくれた猫 いつもあちらこちらで愛の強要
シケた飯はいらないの 驕るリアリスト
≪毎日 歌詞より抜粋≫
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「今日も雨模様」のフレーズは、雨続きで憂鬱な日々を送っていることを感じさせますね。
しかも天候が悪い上に錆びた自転車で街道を走っている最中に転ぶという失敗も重なり、気が滅入っています。
周囲の人々がその様子に気づかないはずがありませんが、「目もくれずに早足で」通り過ぎていきます。
「アナーキスト」とは「無政府主義」と訳され、支配がないことを理想とする人々のことを指す言葉です。
支配による抑圧ではなく自由を求める人と言い換えられますが、ここでは利己的で他人に無関心な人物として描かれています。
間違った自由を主張する人が増え、人間関係が希薄になっている現代の状況が反映されているといえるでしょう。
傷つく主人公に「ガンくれた猫」は、「いつもあちらこちらで愛の強要」しては無条件に愛される存在です。
努力もせずに「シケた飯はいらないの」とそっぽ向いてもかわいがられる姿を見ていると、いくら努力しても報われない自分との違いに唖然とします。
つらい日々だからあなただけは消えないで
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鼻じろむ月曜 はみ出す火曜 熱出す水曜 絡まる木曜
あとの金土日言うまでもないほどに 以下同文
≪毎日 歌詞より抜粋≫
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「鼻じろむ」は気後れした顔をすることや興ざめする様子を表す言葉です。
一週間の始まりである月曜日に、憂鬱な気持ちで通勤・通学をしている様子が垣間見えるでしょう。
その後も周囲から「はみ出す火曜」、頑張りすぎて「熱出す水曜」、感情が混線し「絡まる木曜」を経て週末もリフレッシュできないままに、また新たな一週間が始まってしまいます。
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あなただけ消えないでダーリン 爆ぜるまで抱き合ってクレイジー
この日々を踊りきるにはただ一人じゃあまりに永いのに
逃げるだけ逃げ出してレイニー 捨てるだけ捨てようぜアイシー
光るだけが全てならばこの世界はあまりに暗いのに
≪毎日 歌詞より抜粋≫
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1番のサビの「あなただけ消えないでダーリン」のフレーズは、苦しい毎日の中で唯一信じられる「あなた」という存在だけは変わらずいてほしいとの願いを示していると解釈できます。
「この日々を踊りきるにはただ一人じゃあまりに永い」から、諦めずに進み続けるには支えになってくれる人が大切です。
続く部分では、逃げたければ逃げればいいし捨てた方がいいものがあるなら捨ててしまえばいいという考えを伝えてきます。
ここで出てくる「レイニー」は雨降りを表す「rainy」のことですが、気になるのは「アイシー」の意味です。
まずイメージしやすいのは、理解の意を示す「I see」でしょう。
しかしレイニーと関連する言葉であるとするなら、同じく天候を表すフレーズとして氷に覆われた状態を指す「icy」とも考えられます。
この「icy」はラップでも使われ、ジュエリーの輝きを氷に例えて高価なジュエリーを身に着けていることを表現するスラングでもあります。
「光るだけが全てならば」ともあるため、このスラングとしての意味で用いていると考察できそうです。
無理に自分を飾ってよく見せる必要はないというメッセージが読み取れます。
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ぢっと手を見る あなや記憶よりも燻んだ様相
ちっとばかしおかしいと笑うセラピスト
意味がない?くだらない?それはもうダサい?無駄でしかたない?グダグダグダグダグダ
わかってんだクソボケナス これが僕の毎日
月曜火曜水曜木曜金曜土曜日曜 ハイホー
≪毎日 歌詞より抜粋≫
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「ぢっと手を見る」というフレーズは、石川啄木の第一歌集『一握の砂』に収められてい名歌「はたらけど はたらけど猶(なお) わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る」から取られているようです。
この短歌は、いくら働いても自分の生活は楽にならないのに汚れたり荒れたりしていく手を見つめて嘆く労働者の悲哀を歌っています。
「記憶よりも燻んだ様相」とあるため、ふと自分の手を見た時に思っているよりもずっと苦労を感じる手になっていることに気づいたのでしょう。
そんな主人公を、人の心身を癒すはずの「セラピスト」が「ちっとばかしおかしい」と笑っています。
明らかに主人公の頑張りを笑っているので、その後も続く否定的な言葉に主人公は「わかってんだクソボケナス これが僕の毎日」と感情を露わにします。
自分のつらさに誰も寄り添ってくれないこの状況に共感する人は少なくないでしょう。
次の「ハイホー」は、グリム童話『白雪姫』で小人たちが使う励ましのかけ声です。
このような厳しい毎日を頑張って乗り切ろうと、自分自身やリスナーを励ます気持ちが垣間見えます。
期待を捨てないでいるからもう少し頑張れる
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あなただけ側にいてレイディー 焦げるまで組み合ってグルービー
日々共に生き尽くすにはまた永遠も半ばを過ぎるのに
駆けるだけ駆け出してブリージング 少しだけ祈ろうぜベイビー
転がるほどに願うなら七色の魔法も使えるのに
≪毎日 歌詞より抜粋≫
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2番のサビは「あなただけ側にいてレイディー」というフレーズから始まります。
「レイディー」といえば、前作の「ジョージア」CMソング『LADY』を思い出させるでしょう。
『LADY』ではパートナーとの変わり映えしない日々の倦怠感を歌っていて、それでもこの人とずっと一緒にいたいという気持ちを言い表していました。
ストーリーが続いていると考えると、様々な日々を乗り越えて「あなただけ側にいて」という想いに到達したことが見て取れます。
小さな幸せがどうしようもない日々を生きる糧になっていることが分かりますね。
自分の人生を「永遠」と捉えるなら、愛する人と出会って「日々共に生き尽くすにはまた永遠も半ばを過ぎる」ほど残りは短いものです。
だから「駆けるだけ駆け出して」必要な時には行動したいと思います。
「ブリージング」は呼吸法を表す「Breathing」のことなので、一息に颯爽と駆け出していくようなイメージができます。
そして「少しだけ祈ろうぜ」と、いらないものは捨てても期待は捨てたくないという気持ちが表現されているのも印象的です。
また、白雪姫の七人の小人や雨の後に現れる虹とかけた「七色の魔法」というフレーズも出てきます。
人には無限の可能性があるはずだと希望を持っているのかもしれませんね。
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毎日毎日毎日毎日 僕は僕なりに頑張ってきたのに
毎日毎日毎日毎日 何一つも変わらないものを
頑張ったとしても変わらないものを この日々を
まだ愛せるだろうか
≪毎日 歌詞より抜粋≫
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楽曲の最後には冒頭の歌詞が再び繰り返されますが、「頑張ったとしても変わらないものを この日々を」というフレーズが加わっています。
「頑張ったとしても変わらない」と分かっていても頑張り続けるのには力が必要です。
それでも「まだ愛せるだろうか」と考えるのは、まだ愛していたいと思っているからでしょう。
報われなくても頑張る日々を愛し続けようとする主人公の健気さに見倣いたいですね。
毎日の頑張りを認めてくれる応援歌!
米津玄師の『毎日』はまさしく毎日を懸命に生きる全ての人に寄り添い、“あなたは頑張っている”と認めてくれるような歌詞に力づけられる楽曲です。苦労しても報われないように感じる場面は多いですが、多くの人が同じように頑張っていると思うと諦めずにいられるでしょう。
憂鬱になりがちな一日の始まりに、また頑張った一日の終わりに『毎日』を聴いて心をリフレッシュさせてみてはいかがでしょうか。