入れ替えによってヒットした曲
『もしもピアノが弾けたなら』は作詞・阿久悠、作曲・坂田晃一によって手掛けられました。
1981年に放映された西田敏行主演のドラマ『池中玄太80キロ』の挿入歌として作られたものでした。
作曲の坂田自身はこのオファーを受けた時に歌詞を先行で考えており、阿久に話を持ち込み、歌詞ができました。
このとき『もしもピアノが弾けたなら』と『いい夢みろよ』の2曲ができましたが、タイトルからして『もしもピアノが弾けたなら』が主題歌A面として、『いい夢見ろよ』を挿入歌B面として作っていたはずが、なぜか逆で販売されたそうです。
ですが、視聴者からの反響が大きく、『もしもピアノが弾けたなら』を主題歌に変更されるとシングルの販売はどんどんヒットしていったそうです!
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もしもピアノが
弾けたなら
思いのすべてを
歌にして
きみに伝える
ことだろう
雨が降る日は
雨のよに
風吹く夜には
風のよに
晴れた朝には
晴れやかに
≪もしもピアノが弾けたなら 歌詞より抜粋≫
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この曲は不器用な男性の心情を綴った曲で、「もしもピアノが弾けたなら、君にこうしただろう」という仮定の形を用いて相手に話しかけています。
けれど実際には自分はピアノが弾けない。
なんとも切ない想いが歌われています。
1番では「思いのすべてを歌にして君に伝えることだろう」と綴っていますが、これは逆に言えば「歌にのせないと、思いのすべては伝えることができない。」となるのではないでしょうか。
男性の不器用さがひしひしと伝わってきて、せつない歌なのですがなんだか可愛く思えてきますね。
愛する人との願いを込めて
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もしもピアノが
弾けたなら
小さな灯りを
一つつけ
きみに 聴かせる
ことだろう
人を愛した
よろこびや
心が通わぬ
悲しみや
おさえきれない
情熱や
≪もしもピアノが弾けたなら 歌詞より抜粋≫
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2番の歌詞の中で「小さな灯りを一つつけ きみに 聴かせることだろう」と綴っています。
これは「愛する人との灯り=家庭の灯り」を表しているのではないでしょうか。
そのあとに続く、喜びや悲しみ、情熱を聞かせたいというのは一方的な押し付けではなく「共有」という意味でとれます。
それはこの曲をドラマの主人公・池中玄太という’不器用な男’が歌っているとすることで焦ったさや切なさが感じられるからだと思います。
サビにのせた自分らしさ
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だけど
ぼくにはピアノがない
きみに
聴かせる腕もない
心はいつでも
半開き
伝える言葉が
残される
アア アー
アア アー アー…
残される
≪もしもピアノが弾けたなら 歌詞より抜粋≫
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サビではその前の部分で仮定で綴っている言葉に対して「だけど ぼくにはピアノがない」と否定で歌っています。
伝えたいことはたくさんあるのに、聴かせたいことはたくさんあるのに「それができない」と嘆く歌。
でもそれが真実であり、自分自身であるとわかっているからこそ現実には起きないと受け止めている部分もあります。
途中の「あゝ」と歌っている部分はこの不器用な男性の嘆き、泣き声のように聞こえます。
そしてそのあとの「残される/遠ざかる」という呟きにすべての想いが詰まっていますね。
相手が誰であろうと成り立つ歌
この歌は恋の歌だけではなく、家族相手にも歌える歌なのではないでしょうか。そう感じたのはこの曲が主題歌となった『池中玄太80キロ』の内容が家族愛がテーマのドラマだったからです。
この物語は1期で3人の連れ子をもつ女性と結婚した主人公が妻を亡くし血の繋がっていない娘たちを育てていくことになる物語。
この曲は2期の曲として作られましたが、ドラマ1期の主人公の背景をこの歌に全面的に乗せたのではないでしょうか。
恋愛として愛する相手にも、家族愛として愛する相手にも歌える、ちょっぴり切ない男の歌。
西田敏行さんの声や歌がよりこの歌に深みを与えたのは言うまでもありません。