有名作詞作曲コンビが生んだ代表曲
童謡『手のひらを太陽に』は作詞・やなせたかし、作曲・いずみたくの手によって1961年に作られました。
やなせたかしはのちに『アンパンマン』を生み、いずみたくはドリフターズの『いい湯だな』を作曲したりしており、今では実力派といわれる二人がまだ先駆けの頃の1960年に永六輔作演出のミュージカル『見上げてごらん夜の星を』にて知り合い、翌年に『手のひらを太陽に』を作成しました。
----------------
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
≪手のひらを太陽に 歌詞より抜粋≫
----------------
この曲は3番までありますが、その全てが同じフレーズで始まります。
「生きているから」のあとにいろんな感情の表現が続きます。
この歌詞をみるかぎり、とても前向きな言葉で「生きる」からこそ生まれてくる行動、感情を綴っています。
そこにリズミカルな曲が相まってわくわくする曲となっています。
言葉選びの裏側
----------------
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
≪手のひらを太陽に 歌詞より抜粋≫
----------------
童謡では子どもを対象としていることが多いため、歌詞は基本的にシンプルな言葉を選んで書かれていることが多いのですが、この部分だけはなかなか聞きなれない「血潮」という言葉を使っています。
これは血管を意味しているとは思いますが、なぜこの言葉を用いたのか。
実は作詞のやなせたかしはクリスチャンなのではないかという説がありました。
これは『アンパンマン』の顔の一部を分け与える、自分のパンを分け与えるという行為がキリスト教の教えとされていたからです。
ただその説が発表された後にクリスチャンではなかったという説も出てきました。
なのでこの部分については定かではありませんが、ただ「血潮」という言葉は聖書にも何度も出てきます。
暗に「血が流れている」=「生きている」ということを言いたかったのかもしれませんが、選んだ言葉ひとつにその人の生き方が垣間見えるのはとても面白いですね!
実際に想像するとかなり怖い歌詞
----------------
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
≪手のひらを太陽に 歌詞より抜粋≫
----------------
この曲は歌詞の意味としてはホラー的な要素はないのですが、私が感じた怖いこととは「ここに出てくる生きものたちがみんな友達」という表現です。
これはとても良いことなのですが、私が子どもの頃にこの曲をイラスト付きでみた記憶があり、そのときは「素敵な曲だぁ!」と思っていましたが、大人になってから実際にあのイラストを現実で考えると、とてもゾッとしました。
記憶ではイラストは真ん中に少年がおり、その周りを歌詞に出てくる生きものたちが囲むというもの。
私は虫は嫌いではありませんが、それでもここに出てくる9種の生きものたちが実際に周りにいると考えると、鳥肌がとまりません。
現実で想像するとかなり怖いシチュエーションですね。
実際に怖いのは‥‥
この記事を書いているときにふと、実際に怖いのは人間かもしれないと感じました。上記のものは人間視点からの感想ですが、自分を周りの生きものたちに置き換えるとどうだろうかと考えました。
実際、地面を這う生きものは必死に人間に潰されないように歩き、空を飛ぶ生きものたちは捕まらないように飛ぶ。
でも人間側は彼らを「友だち」と呼ぶ。
なんて自分勝手な「生きもの」なんだろうと感じました。
周りにいるもの、あるものが当たり前だとは思わず、生きていきたいですね。