インディーズ時代に誕生した楽曲が再録で甦る

クリープハイプの『手と手』は、2012年4月18日にリリースされたメジャー1stアルバム『死ぬまで一生愛されてると思ってたよ』に収録されている楽曲です。
楽曲自体は古く、インディーズ時代に自主制作した『東京とライブ』に収録されたものを再録したもの。
古くから彼らを応援してきたファンにとっては、インディーズ時代の楽曲に触れられる貴重なアルバムといえるでしょう。
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本当の事を言えば毎日は 君が居ないという事の繰り返しで
もっと本当の事を言えば毎日は 君が居るという事 以外の全て
≪手と手 歌詞より抜粋≫
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『手と手』の歌詞は非常にシンプルで、同じフレーズが何度も登場します。
男女の別れを連想させる「君」という存在の喪失から始まる歌の世界。
大切な人を失った後も、日常は続いていくものです。
繰り返される退屈な日常に欠けているのは「君」の存在ただ1つ。
「君」以外の存在は何1つ欠けていないのに、目の前には色あせた虚しい日々しかありません。
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大切な物を無くしたよ 今になって気づいたのが遅かった
大切な物を無くしたよ 今になって気づいたのが遅かった
≪手と手 歌詞より抜粋≫
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たった1人の「君」という存在を失くしたことが、自分にとって重大な喪失であったことに気付いたところで、時は戻せません。
「夜中の3時」が意味するもの

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夜中の3時が朝になった時 君はきっと仕事を休むだろう
≪手と手 歌詞より抜粋≫
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「3時」というフレーズは、クリープハイプの『手』という楽曲にも登場します。
この曲は『手と手』の続編として作られた楽曲ということもあり、『手と手』の「君」目線で歌われた曲といえるでしょう。
真夜中の3時に「君」を想い、失った存在の大きさを思い知る『手と手』。
真夜中の3時に、己の愚かさに気付き嫌気が差す『手』。
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大切な物を無くしました 大切な物を無くしましたって 気づいたのが遅かった
≪手と手 歌詞より抜粋≫
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2つの楽曲は、大切な人との別れを後悔しているという点で非常によく似通っており、男女の別れという「よくある話」でありながら、互いにその選択を後悔しているという共通点があります。
「夜中の3時」は、別れた男女が互いを想い合う、共通の時間軸といえるでしょう。
また、「夜中の3時が朝になった時」というフレーズは、あり得ないことの象徴とも考えられます。
夜中が朝になるというのはあり得ないことですから、ありもしない可能性を考えて、「君」が戻って来ることを願っているのかもしれません。
また、夜中から朝になるという時間軸の移動が、遠い未来を象徴していると考えるならば、遠い未来で、再び「君」と一緒に生きられる可能性を願っているようにも思えます。
「君」というかけがえのない存在を失い、人生のどん底を生きている今を「夜中」とするなら、希望という光が差した「朝」になれば、今よりもマシな人生が待っているかもしれないと、願ってしまうのも理解できます。
言えなかった言葉

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もう要らない もう要らないよ 君の他にはなんにも要らないよ
そんな事言えないけど
≪手と手 歌詞より抜粋≫
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ずっと手をつないでいたくて指を絡める。
ここだけ見れば、恋人同士の甘い時間のように思えます。
「君の他にはなんにも要らない」なんて言えていたら、2人の未来は違っていたのでしょうか。
指を絡めて歩く時間。
隣に愛しい人を感じながら歩く時間。
永遠に続けばいいと願いながらも、その願いが叶うことはありません。
失ってから初めて、失くしたものの大きさに気付き愕然とする。
生きていれば誰もが経験することだからこそ、同じフレーズが繰り返される、シンプルな歌詞が胸に刺さります。
ハイトーンボイスで歌い上げる切なくも心地よい楽曲の世界観
クリープハイプのボーカルを務める尾崎世界観は、透明感のあるハイトーンボイスが特徴的です。男性ファンを苦しめるほどのクリアな高音は耳に優しく、聞いた人の心に優しく残るよう。
男女の別れと、その後の激しい後悔、喪失感の漂うこの楽曲が暗すぎないのは、彼の包み込むような声質にあるのかもしれません。
シンプルな言葉と繰り返されるフレーズは、聞けば聞くほどくせになります。
ノスタルジックな雰囲気が魅力的なクリープハイプ。
大切な人の喪失を歌いながらも重すぎない『手と手』だからこそ、心が疲れた時や、リフレッシュしたい時、自分の気持ちと向き合いたい時に聞いてみてはいかがでしょうか?