言葉を束ねるで「花束」
『わたしに花束』はAdoがアンバサダーを務める「ジョージア」のCMソングです。
「ジョージア」は1975年に誕生したコーヒーブランドです。
スーパーやコンビニの缶コーヒーやボトルコーヒーのコーナーに行けば必ず置いてあるので、学校や会社へ行く前に買っているという人も多いのではないでしょうか。
「ジョージア」のアンバサダーに任命されたAdoは現在22歳(2025年4月現在)の歌い手です。
2020年に『うっせぇわ』でメジャーデビューして、社会現象的なヒットを飛ばし、一躍人気ボーカリストとしての知名度を高めました。
また、2022年には映画『ONE PIECE FILM RED』のヒロイン「ウタ」の歌唱キャストを担当し、主題歌と劇中歌を含む全7曲が収録されたたCDアルバム『ウタの歌 ONE PIECE FILM RED』がランキングを席巻しロングヒットになります。
2025年には自身2度目となるワールドツアー『Ado WORLD TOUR 2025 “Hibana” Powered by Crunchyroll』の開催も決まっています。
そんなAdoが今回のわたしに花束を書き下ろした『HoneyWorks』に対し「大好きで、学生時代に楽曲の歌詞や、前向きな言葉に背中を押されてきました」とコメントしています。
その上で、「今度は自分がとっても前向きで誰かの心の支えになれるような楽曲を」歌いたいとしています。
一見、前向きな楽曲に思える『わたしに花束』ですが、ジョージアのCMソングなだけあってコーヒーのような苦みを含んだ歌詞になっています。
一筋縄ではいかない本作の歌詞をさっそく考察してみましょう。
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ありがとうの言葉が
ごめんなさいの昨日が
今日と明日を繋いでいく
≪わたしに花束 歌詞より抜粋≫
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まず、タイトルの「花束」に注目しましょう。
誰もが知っている花束ですが、改めて調べると「切り花を束ねたもの」と出てきます。
一本の切り花では「花束」にはなりません。
「束ねる」ことに意味があります。
歌いだしの「ありがとうの言葉が」「ごめんないさいの昨日が」と「〜が」で同列に並べられます。
そして、その二つが束ねられて「今日と明日を繋いでいく」になります。
後の歌詞にも共通しますが、ポジティブな言葉「ありがとう」とネガティブな言葉「ごめんなさい」を束ねて花束にして今日と明日を生きていこう、というメッセージが『わたしに花束』という楽曲になっています。
「勇気ある一日を」祝福する

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きっと私って“その他大勢”
ため息ばかりして
幸せ逃げちゃう
スッと飲み込んで
糖分取って
ちょっとのご褒美も必要でしょう?
≪わたしに花束 歌詞より抜粋≫
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「私って“その他大勢”」は社会そのものを「花束」に例えているのでしょう。
そして、「私」は「その他大勢」にいることに「ため息ばかり」で、これでは「幸せ」が逃げてしまうと分かっています。
ため息を「スッと飲み込んで」「糖分取って」自分にご褒美を与えます。
「ちょっとのご褒美も必要でしょう?」の「?」は『わたしに花束』の歌詞の中で唯一です。
「必要でしょう?」という問いは自分に対してでしょう。
ため息ばかりの日常だからこその「ご褒美」です。
頑張った結果が出たからではない、ため息を飲み込むためのご褒美。
それを続く歌詞で肯定します。
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勇気ある一日を
祝福しよう 私に花束を
≪わたしに花束 歌詞より抜粋≫
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花束もまた頑張った証にもらえるものです。
しかし、『わたしに花束』は「勇気ある一日を」祝福するために自分へ花束を送ります。
この「勇気ある一日」はため息ばかりの日常を逃げることなく過ごすことでしょう。
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ありがとうの言葉が
ごめんなさいの昨日が
今日の私を作ってる
おめでとうって笑顔で
悔しいなって涙で
明日はどんな私を作ろう
≪わたしに花束 歌詞より抜粋≫
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歌いだしと同じフレーズを使いつつも、結論は異なっています。
「ありがとう」と「ごめんなさい」は最初「今日と明日を繋いでいく」でしたが、今回は「今日の私を作ってる」に変わっています。
そしてさらに、「おめでとうって笑顔で」「悔しいなって涙で」と「〜で」によって言葉を束ねて「明日はどんな私を作ろう」になっています。
ここでもポジティブな「おめでとうって笑顔」とネガティブな「悔しいなって涙」を束ねています。
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ポジティブな言葉が
嫌いな日もある
べーって舌を出す
フラストレーション
切り替えてスワイプ
≪わたしに花束 歌詞より抜粋≫
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「私」は頑張っています。
けれど、その頑張りはまだ報われていないのでしょう。
それでも自分にご褒美を与えたり、花束で祝福して日常を越えていこうとしますが、そんな日々は続かず、「ポジティブな言葉が」「嫌な日もある」と愚痴ります。
その上で、せめてもの抵抗のように「べーって舌を出」し、「フラストレーション」を「切り替えてスワイプ」します。
ポジティブな言葉が嫌になったからと言って、ネガティブな世界に浸かったりはしないところに「私」の強さが垣間見えます。
「ちっぽけ」でも何者かになった私

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雨は止み照らし出す
今を生きる あなたにもエールを
≪わたしに花束 歌詞より抜粋≫
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「あなた」が登場しました。
私の頑張っている日々によって「雨は止み」ます。
視界が広がり、「今を生きる」実感の中で、おそらく同じように頑張っている「あなた」を見つけたのでしょう。
「あなたにもエールを」と言っていますので、私はあなたにはポジティブな言葉を贈っています。
他人に前向きな言葉を伝えられるくらいに「私」は回復しています。
しかし、続く歌詞では次なる困難にぶつかっています。
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逃げ出したいって弱さと
叶えたいって鼓動が
絶えず心で戦う
≪わたしに花束 歌詞より抜粋≫
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ここの「私」は前半の「その他大勢」の中でため息をついている姿とは異なっています。
「逃げ出したい」と思いながら、「叶えたい」と願って戦っています。
私は「あなた」と出会ったからか分かりませんが、その他大勢を抜け出して、自らの「叶えたい」願いに向かっていることが分かります。
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もういいやって気持ちも
認めてよって願いも
誰もが触れて泣いては生きる
≪わたしに花束 歌詞より抜粋≫
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ここで「〜も」と束ねられている「もういいや」や「認めてよ」という気持ちは、その他大勢だった頃に持っていた感情なのでしょう。
私は戦うと決めたことで、その他大勢から抜け出し、その頃の気持ちを「誰もが触れて泣いては生きる」と振り返っています。
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ちっぽけな存在だけど
誰かを灯していたい
≪わたしに花束 歌詞より抜粋≫
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「私」は何者かになっています。
それは「ちっぽけな存在」かも知れませんが、誰かを灯すことができる何者かです。
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もう沢山って零して
限界だって壊れて
それでも愛は消せない
大丈夫って唱えて
ふざけんなって笑って
また一つだけ強くなる
≪わたしに花束 歌詞より抜粋≫
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ここからの歌詞は「ちっぽけ」でも何者かになった私の苦悩です。
しかし、「それでも愛は消せない」と最後の最後で踏みとどまります。
私の中にあるのは「誰かを灯していたい」ことであり、それが「愛」なのでしょう。
その灯火を強くするために、「大丈夫」と唱え、「ふざけんな」と笑います。
そして、最後のフレーズに入ります。
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ありがとうの言葉が
ごめんなさいの昨日が
今日の私を作ってる
おめでとうって笑顔で
悔しいなって涙で
明日はどんな私を作ろう
≪わたしに花束 歌詞より抜粋≫
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前半にも一度あった繰り返しです。
この時、私は何者でもありませんでした。
そんな「私」が、あの頃と同じ気持ちに戻ってポジティブな言葉とネガティブな言葉を束ねます。
その他大勢でも、ちっぽけでも誰かを灯せる何者かでも、今日の「私」を作っているものは一緒で、明日を繋いでいくものは「笑顔」と「涙」だと歌って『わたしに花束』は終わります。
今日を乗り越えるために
最後まで聞いたあとに振り返ると、ポジティブな言葉よりネガティブな言葉の方が多い歌詞だったように思います。けれど、どんな状況でも「私」は前を向くことだけはやめていませんでした。
Adoは「今度は自分がとっても前向きで誰かの心の支えになれるような楽曲」を歌いたいとコメントをしていましたが、まさに『わたしに花束』を聴いて乗り越えられる今日があるだろうと思わせてくれる楽曲でした。
ぜひ、明日を心配してしまうくらい頑張っている人に、今日を乗り越えるために聴いてみていただきたいと思います。