back number「ブルーアンバー」がドラマ主題歌に決定
back numberの『ブルーアンバー』は、2025年4月28日に配信リリースされた新曲です。ドラマ『あなたを奪ったその日から』の主題歌にも起用され、心の奥深くにある本音を掘り起こすような、痛みを伴う歌詞が印象的な楽曲。
愛する娘を食品事故によって失った中越紘海が、復讐のために、食品事故を引き起こした会社社長の娘・萌子を誘拐するところから始まるドラマです。
普通の親子に見える母子が、誘拐犯と誘拐された娘という二面性があります。
人の心も、表と裏ではまったく違う表情を見せるもの。
清水依与吏の人間味溢れるボーカルが、歌詞の切なさや痛々しさを際立たせています。
復讐心と母性の狭間で揺れ動く心を描くドラマの世界とリンクする歌詞に注目しながら、歌の世界を掘り下げていきましょう。
心の声を拾い上げるような歌詞の意味を徹底考察
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抱きしめられた記憶から
流れ出た赤い雫
人様に見せるものじゃないの
伝えなかった言霊が
もうひとつの私になって
身体の内側で何かを叫んでる
≪ブルーアンバー 歌詞より抜粋≫
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幼い頃の愛された記憶。
心が血を流すような数々の痛みを「人様に見せるものじゃないの」と、押し殺す。
本音をさらけ出すことはいけないこと。恥ずかしいこと。
そんな思いから、心の奥底にある思いに蓋をしてしまうのでしょう。
しかし、飲み込んだ言葉は、なかったことにはなりません。
自分の中にたまり続け、「もうひとつの私」として、心の中で叫び続けるのです。
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ああ
欲しかったのに
悔しかったのに
駄目だよ全部隠しておくの
ごめんね
≪ブルーアンバー 歌詞より抜粋≫
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誰かを羨むこと。飲み込んだ我慢。
”ああしたかった、こうしたかった”という心の声を「ごめんね」と言い聞かせて沈黙させるのは、どれほど苦しいことでしょうか。
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悲しいのは一人で充分だからと
これ以上醜くなりたくないのと
私の中で誰にも見付けられずに
こんな色になるまで泣いていたんだね
綺麗よ
≪ブルーアンバー 歌詞より抜粋≫
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心の叫びに一番気付いているはずの「私」が目を背けた心の声。
誰にも届くことなく、心の奥底で変色していく様が、とても痛々しい歌詞です。
「綺麗よ」
と言ったその心の色が何色をしているのか、本人以外知ることはありません。
醜く歪んだ心を抱きしめて、慰めているようにも聞こえます。
それとも、悲しみの深さに反して、本当に美しい色をしているのでしょうか。
誰にも掬い上げられることなく、誰にも救われることなく泣いていた心。
歪んでしまった心は、これからどこへ向かうのでしょうか。
ドラマの世界とリンクする「ブルーアンバー」の歌詞

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渡しそびれた心から
流れ出た青い雫
人様に浴びせるものじゃないの
余すとこなく飲み込んで
遠くの海の底に沈んで
そのまま宝石にでもなれるのを待つわ
≪ブルーアンバー 歌詞より抜粋≫
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人知れず流した涙を心の中にため込んで、青い宝石になる様は、まさに、タイトルにある通りブルーアンバー(青い琥珀)です。
青い宝石はとても美しいものですが、心の痛みから生み出された宝石はきっと、この世で一番悲しい輝きを放っているのでしょう。
本音を吐き出せない苦しみが滲み出した歌詞が、心に刺さります。
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本当を嘘で飾って
ごっこみたいな暮らしで慰めて
誰かの悲劇で自分の悲劇を癒して
恋しさに溺れた瞬間のままで
息も出来ずただ 愛してるの
≪ブルーアンバー 歌詞より抜粋≫
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「ごっこみたいな暮らし」とは、誘拐した娘と母子のように暮らす日々と重なります。
周りから見れば、幸せそうに見える普通の家族。
けれど、心の奥底に抱えているのは、癒えることのない悲しみと復讐心です。
「誰かの悲劇で自分の悲劇を癒して」という歌詞はまさに、萌子を誘拐することで、実の娘を失った悲しみを癒やそうとする紘海そのもの。
自分に絶望を与えた相手が、同じ苦しみを味わえばいいと願うのは、醜い感情だとしても、人として当然の感情でもあります。
萌子の命を奪うつもりだったのに殺せなかったところから、きっと紘海の人生は歪になっていったのでしょう。
憎い相手の愛娘であるという事実と、萌子を愛しているという事実。
失われてしまった娘との人生を、萌子を使って取り戻そうとしているようにも見えます。
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悲しいのは一人で充分だからと
これ以上醜くなりたくないのと
私の中で誰にも見付けられずに
こんな色になるまで泣いていたんだね
綺麗よ
ごめんね
ねぇ綺麗よ
≪ブルーアンバー 歌詞より抜粋≫
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食品事故は、楽しい時間を悲劇に変えてしまう惨事です。
どれほど気を付けていても、起こるときには起こってしまうもの。
悲しみを乗り越えることは、並大抵のことではないでしょう。
まして、原因が自分以外にあると分かったのなら、その相手を責めずにはいられないのが人情です。
自分の身に起こったことを受け入れ、悲しみを飲み込み、波風立てずに人生を過ごしていくことは、想像を絶する苦しみではないでしょうか。
受け入れがたい悲しみに襲われた時、心の中に渦巻く感情は、人に見せられるものばかりではないはずです。
汚い、醜い感情を、自分の本心として受け入れることもできず、なかったものとしてしまうこと。
それこそが本当の悲劇なのかもしれません。
今さら「ごめんね」「綺麗よ」と言われても、一人泣いていた心は救われるのでしょうか。
深海よりも深い心の奥底で、日の目を浴びることなく、誰にもその声を聞いてもらうことなく育った心は、一体どんな色をしているのでしょうか。
「ねぇ綺麗よ」という歌詞が、泣いている心への慰めのようでもあり、懺悔のようにも聞こえます。
この心が、どうか救われて欲しい。そう願わずにはいられません。
心の奥底に眠る「ブルーアンバー」という宝石
歌詞を掘り下げて見えてくるのは、自分の本音を殺して気付かないふりをした先にある、胸の痛みです。悲しみや憎しみなど、醜い感情に蓋をしたところで、それは消えてなくなるものではありません。
心の奥底で少しずつ成長し、宝石が長い年月を経て生まれるように、心の中で生成されるのでしょう。
とても悲しく、醜く、けれど何よりも美しい宝石。心の原石。
それが「ブルーアンバー」なのではないでしょうか。
自分の心の痛みから目を背けたことで、自分の心とは思えないほどに醜い色に変色してしまった感情。
「ごめんね」という言葉は、長年見ないふりをし続けた心の叫びへの謝罪なのでしょう。
自分から切り離してしまった、自分の心。
そこにあるのに、ないものとして扱うことは、存在を否定するのと同じです。
自分の心なのに、自らその叫びに蓋をしてしまう。
きれいな人間でありたい、醜さを認めたくないという心の葛藤が生み出した悲劇といえるでしょう。
MVでは、華やかに着飾り、人々の前で笑顔を振りまく男性の姿と、メイクを落としたあとの日常の対比が印象的に描かれています。
メイクをしている時は笑顔で、まるで悲しいことなど一つもないような顔をして笑っている。
けれど、一人で向かう食卓はどこか侘しく、遠い日の愛された記憶が温かくも切なさを漂わせます。
華やかな表舞台が取り繕った心。陰で涙する姿が押し殺した本音でしょうか。
人の心の中なんて、誰にも分からない。
それでもせめて自分くらいは、心の声に耳を傾けてあげて欲しいと願わずにはいられません。
人に優しくすることはできても、自分に優しくすることはおろそかにしがち。
たまには自分の心の声に耳を澄まし、思い切り抱きしめてあげたくなるような楽曲です。
Vocal & Guitar : 清水依与吏(シミズイヨリ) Bass : 小島和也(コジマカズヤ) Drums : 栗原寿(クリハラヒサシ) 2004年、群馬にて清水依与吏を中心に結成。 幾度かのメンバーチェンジを経て、2007年現在のメンバーとなる。 デビュー直前にiTunesが選ぶ2011年最もブレイクが期待でき···
