1996年に大学のサークルで結成し、現在もなお、多くの人から愛されているロックバンドくるり。
作品ごとに世界観や曲調がガラリと変わる、幅広い音楽性が魅力のバンドで、演奏力や作曲センスなども抜群です。
また、メンバーチェンジを何度も行っていることでも有名です。
この記事のもくじ
くるりのメンバープロフィール
くるりのメンバーは現在、ギターボーカルの岸田繁と、ベースコーラスの佐藤征史の二人で活動しています。
このふたりは結成当初から在籍しているメンバーで、立命館大学の軽音サークル「ロックコミューン」にて結成しました。
そこから何度もメンバーチェンジをしていますが、岸田繁と佐藤征史は脱退することなく、活動を続けています。
ここでは、くるりのメンバープロフィールについて紹介します。
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岸田繁(きしだしげる)
生年月日 | 1976年4月27日 |
出身地 | 京都府 |
血液型 | O型 |
身長 | 166㎝ |
公式サイト | https://shigerukishida.com/ |
公式Twitter | https://twitter.com/Kishida_Qrl |
公式Instagram | https://www.instagram.com/kishidashigeru/ |
岸田繁はギターボーカルを担当しており、くるりのフロントマンとしてバンドを引っ張る存在です。
幼少期からクラシックを聴いていましたが、中学生になるとビートルズなどのロックバンドにも興味を持ち始め、クラブミュージックなど幅広い音楽ジャンルを聴いていました。
また、鉄道ファンであることでも有名で、楽曲の中に鉄道名を入れたり鉄道について歌った曲も多くあります。
佐藤征史(さとうまさし)
生年月日 | 1977年2月1日 |
出身地 | 京都府 |
血液型 | O型 |
身長 | 不明 |
公式Twitter | https://twitter.com/Sato_Qrl |
佐藤征史はベースコーラスを担当しています。
岸田繁とは、高校3年生のときに出会い、くるりの前身バンド時代からともに活動をしていたそうです。
独特なベースラインを生み出すのが得意で、テクニカルな演奏を披露することもあります。
また、曲によっては作曲やボーカル、コントラバスなどを担当しており、様々な楽器を演奏できるそうです。
くるりを脱退したメンバー
くるりはこれまでに何度もメンバーチェンジをしており、メンバーチェンジをするとともに音楽性も変わっていきました。
3ピースの時代もあれば、トランペットが加入して5人組になったときもあり、やりたい音楽に合わせてメンバーを入れ替えているのでしょう。
ここでは、くるりを脱退したメンバーについて紹介します。
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森信行
生年月日 | 1975年6月20日 |
出身地 | 兵庫県 |
血液型 | B型 |
森信行はドラムを担当しており、くるりのオリジナルメンバーでもあります。
幼少期から太鼓が好きだったそうで、高校で吹奏楽部のパーカッションを担当したころから、ドラムにも熱を入れ始めました。
立命館大学に入学後、岸田や佐藤と出会い、くるりの前身バンドに加入し、そのままくるりのメンバーとなりました。
しかし、2002年に脱退を発表。
その後は様々なアーティストのサポートドラマーとして活動を続けています。
大村達身
生年月日 | 1975年12月17日 |
出身地 | 兵庫県 |
血液型 | O型 |
大村達身は2001年から2007年までリードギターを担当していました。
大学生時代に岸田繁とユニットを組んでいた時期もあり、一度はくるりのメンバーに誘われましたが、そのときは断ったそうです。
2001年にくるりのメンバー内で亀裂が生じたことをきっかけに、岸田が大村を新メンバーとして迎えました。
たっさんの愛称で親しまれ、繊細でテクニカルなスタイルがくるりの世界観を演出していました。
クリストファー・マグワイア
生年月日 | 1975年11月28日 |
出身地 | ミネソタ州ミネアポリス |
クリストファーマグワイアは2003年から2004年までの一年間、ドラマーとして活動していました。
もともとは、サポートドラマーという立ち位置で、フジロックなどに出演していましたが、そのまま正規メンバーとして加入を発表。
メンバーとのアイコンタクトが取りやすいなどの理由からシンバルを頭より高い位置でセットする独特なセッティングが特徴です。
バンド活動に支障をきたすほど破天荒な性格だそうで、それが理由でバンドを解雇になりました。
田中佑司
生年月日 | 1980年10月28日 |
出身地 | 山梨県 |
田中佑司は2011年から2012年までの1年間ドラマーとして活動していました。
武蔵野音楽大学の打楽器科を卒業しており、腕前はかなりのものでしたが、約半年間で脱退を発表してしまいました。
その後は、キーボードに転身し、bonobosのサポートメンバーとして活動を開始し、現在は正規メンバーとして活動をしています。
吉田省念
生年月日 | 1980年3月14日 |
出身地 | 京都府 |
血液型 | A型 |
吉田省念は2011年から2013年まで在籍していたメンバーです。
ギターやチェロ、ボーカルなど様々な楽器を担当しており、くるりの世界観をより広げてくれました。
在籍時は温かみのある歌声で、くるりらしさを感じられるボーカリストとしても活躍。
現在は、出身地である京都に拠点を戻して、アルバム制作に携わったり舞台音楽を手掛けたり、さまざまな活動をしているそうです。
ファンファン
生年月日 | 1985年2月13日 |
出身地 | 京都府 |
血液型 | O型 |
ファンファンは2015年から2021年まで在席していたメンバーです。
キーボードやトランペット、ボーカルなどを担当していました。
様々な楽器を器用に演奏していることから、天才ミュージシャンとも言われていました。
2017年に産休で活動を休止していましたが、2021年に正式に脱退を発表。
脱退後も音楽活動を続けているそうです。
くるりメンバーの魅力
くるりのメンバーの魅力は、常に自分たちのやりたい音楽を追求し続けているところではないでしょうか。
ジャンルにとらわれずに、多様な音楽性を追求し続ける姿は、多くのアーティストからも尊敬されています。
また、自分たちのやりたい音楽をするためなら、メンバーチェンジもためらわないという、常に進化し続ける姿勢が人気の秘密なのではないでしょうか。
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くるりメンバーの歴史
くるりはこれまでに何度もメンバーチェンジを行っており、オリジナルメンバーの岸田と佐藤だけが現在も活動を続けています。
また、岸田は幼少期の頃から様々な音楽ジャンルを聴いていたため、アルバムごとに曲調や世界観がガラリと変わるのもメンバーチェンジが多い原因とも言われているようです。
ここでは、くるりのメンバーの歴史を紹介します。
結成とインディーズ時代
くるりは1996年に立命館大学の音楽サークル「ロックコミューン」にて結成されました。
もともとは、アマチュアバンドのコンテストで優勝して賞金を獲得するのが目的だったそうです。
そして、コンテストで優勝を果たしたくるりは、そのままバンド活動を続けることを決意しました。
インディーズ時代には、2枚のアルバムをリリースし、結成わずか2年でメジャーデビューを果たします。
メンバーの変遷
メジャーデビュー後も順調に人気を集めていたくるりでしたが、6枚目のシングル「ワンダーフォーゲル」をリリースしたあたりから、メンバー内での価値観の違いが現れ始めます。
それを察した岸田は、新しく大村をギタリストに迎えますが、メンバーの溝が埋まることなく森は脱退。
その後も、メンバーチェンジが繰り返され、岸田と佐藤のみとなりました。
音楽性の変化
くるりは新曲をリリースするたびに音楽性も変化していきます。
メジャーデビューを果たしたときは、ゆるい3ピースロックバンドでしたが、9枚目のシングル「ワールズエンドスーパーノヴァ」時代はダンスミュージックの要素が強くなりました。
時代ごとに聴き比べることで、クラシックから激しいロックチューンまで高クオリティで作り出す、くるりのセンスの高さが感じられるのではないでしょうか。
結成25周年
くるりは2021年に結成25周年を迎えました。
25周年を記念したライブ「くるりの25回転」が大阪と東京で行われ、魂込めた熱いパフォーマンスで会場は大盛り上がりだったそうです。
セットリストにもこだわり、過去の曲からの時系列で組まれた、くるりのこれまでの活動と音楽性の変化を楽しめる演出となっています。
くるりはブラック企業?
くるりはメンバーチェンジを何度も行っているため、ファンからは「ブラック企業なのではないか」と心配されることもあるようです。
しかし、実際はメンバーのモチベーションの低下や、音楽性の違いなどがほとんどの原因だとくるり自身もコメントをしています。
また「メンバーに合わせた音楽作り」よりも「音楽に合わせたメンバー選びを」重視しているため、メンバーチェンジが多くなるそうです。
くるりのメンバーが歌うおすすめ曲
くるりはクラシックからダンスミュージックなど、様々な音楽ジャンルを取り入れており、聞いていて飽きないのも魅力の一つです。
また、メンバーによっても楽器のニュアンスの違いなどが感じられるので、細かい部分にも聴いてみるとより楽しめるでしょう。
最後にくるりのおすすめ曲を紹介します。
赤い電車
赤い電車は2005年にリリースされたくるりの16枚目のシングル曲です。
鉄道ファンである岸田が敬愛する、京浜急行電鉄から依頼されて制作したタイアップシングルでもあります。
ゆるいメロディーと中毒性のあるシンセサイザーの音色が印象的です。
また、京急本線品川駅の接近メロディとしても使用されており、多くの人に馴染みのある楽曲となっています。
言葉はさんかく こころは四角
言葉はさんかく こころは四角は、2007年にリリースされた19枚目のシングル曲です。
映画「天然コケッコー」の主題歌に起用され、ファンの間で話題になりました。
温かみのあるメロディーとギターのフレーズが、岸田の歌声とマッチしています。
「心の半分にしか言葉にできない」といった誰もが感じることをくるりらしい言葉選びで、表現している楽曲です。
琥珀色の街、上海蟹の朝
琥珀色の街、上海蟹の朝は2016年にリリースされた楽曲です。
Tik tokなどで人気を集め、2020年のSpotifyからInstagramのストーリーズで使用された楽曲の5位に選出されました。
くるりがはじめてラップに挑戦した楽曲でもあり、キャッチーなフレーズが中毒性を生み出しています。
YouTubeのMVではくるりの楽曲の中で、最も再生された作品となっています。
ばらの花
ばらの花は2001年にリリースされた7枚目のシングル曲です。
TVドラマ「オレンジデイズ」の挿入歌に使用されており、聴いたことのある人も多いのではないでしょうか。
2007年の京都音楽博覧会では、小田和正や佐橋佳幸とコラボしたことでも話題になりました。
「安心な僕らは旅に出ようぜ」という歌詞が温かさを感じさせてくれます。
東京
東京は1998年にリリースされたくるりのメジャーデビュー曲です。
ノスタルジックな曲調や叙情的な歌詞が心に刺さる、くるりの代表曲といえるでしょう。
コード進行はありきたりですが、ギターの歪ませかたやベースラインがオリジナリティを生み出しています。
多くのアーティストにカバーされている色褪せない日本の名曲です。
くるりのメンバーは2人になっても活動中!魅力的な音楽とこれまでの歴史にも注目してみよう
結成25周年を迎えたくるりは、何度もメンバーチェンジを行い、現在は2人で活動しています。
長い経験を生かした音楽性の広さや言葉選びは、くるりにしかない唯一無二の武器となっています。
また、常に進化を恐れず、新しいことにも挑戦する姿は、これからも日本の音楽界を引っ張ってくれるのではないでしょうか。
くるりのこれからの活動にも目が離せません。
この記事のまとめ!
- くるりは1996年に結成されたロックバンド
- 何度もメンバーチェンジを行い、現在は2人で活動中
- 幅広い音楽性と叙情的な歌詞が魅力的
- 常にやりたい音楽を追求している