ぶどう畑ばたけの 葉はも枯かれて
秋風あきかぜそぞろ 身みに沁しみる
甲府こうふ盆地ぼんちの 昏くれに
たなびく霧きりは 戦国せんごくの
夢ゆめを包つつんで 四よん百年ひゃくねん
都みやこは遠とおく 海うみも無ない
この山国やまぐにの くにたみを
愛あいしつづけた 信玄しんげんは
山やまの姿すがたに 何なに想おもう
類たぐい稀まれなき 英雄えいゆうが
その横顔よこがおに ふと見みせた
悲かなしき影かげを 誰だれが知しろ
「何なんと、越後えちごの謙信けんしんが塩しおを送おくってくれたと申もうすのか!
うむうむ 勇将ゆうしょう・鬼小島おにこじま弥太郎やたろうを使つかいとして上杉うえすぎ殿どのがあの塩しおを…。
駿河するがの今川いまがわ、相模さがみの北条ほうじょうに塩しおを絶たたれ
甲斐かいと信濃しなのの領民りょうみんの苦くるしみ難儀なんぎを
見みるにつけても予よは、断腸だんちょうの思おもいであった」
思おもわずほろり ひとしずく
閉とじた瞼まぶたに 浮うかぶのは
永禄えいろく四年よねん 秋あき九月くがつ 川中島かわなかじまの戦場せんじょうで
朝霧あさぎりついて現あらわれた 馬上ばじょうの武者むしゃは矢やの如ごとく
我われをめがけて 真まっしぐら 「信玄しんげん覚悟かくご」と斬きりつけた
軍配ぐんばい持もって受うけ止とめて はじき返かえした太刀先たちさきに
眼光がんこう燃もゆる 凄すさまじさ
あれが越後えちごの謙信けんしんかと 身みの毛けがよだつ想おもいした
あの謙信けんしんが戦いくささを越こえて 塩しおを送おくってくれたとは
如何いかなる心こころの大おおきさか 武士ぶしの情なさけが
人ひとの情なさけが 身みに沁しみる
「勝頼かつよりよ、儂わしに若もしもの時ときあらば謙信けんしん殿どのに相談そうだんせい。これは遺言ゆいごんだぞ。
だが家老かろう共ども、越後えちごの塩しお商人しょうにんから一両いちりょうでも高たかく買かえ、上杉うえすぎの情なさけに報むくゆる
武田たけだの真心まごころだ。それは又また、甲斐かい源氏げんじの力ちからを示しめす。ハハハハ、戦いくさじゃわい」
勝頼かつより聞きけよ 者共ものどもよいか
年ねんが明あけたら 出陣しゅつじんぞ
風林火山ふうりんかざんの 旗はたなびかせて
汐しおの花はな咲さく 海うみを見みながら 東海道とうかいどうを
京きょうの都みやこへ 上のぼるのだ
京きょうの都みやこへ 上のぼるのだ
ぶどうbudou畑batakeのno 葉haもmo枯kaれてrete
秋風akikazeそぞろsozoro 身miにni沁shiみるmiru
甲府koufu盆地bonchiのno 昏kuれにreni
たなびくtanabiku霧kiriはha 戦国sengokuのno
夢yumeをwo包tsutsuんでnde 四yon百年hyakunen
都miyakoはha遠tooくku 海umiもmo無naいi
このkono山国yamaguniのno くにたみをkunitamiwo
愛aiしつづけたshitsuduketa 信玄shingenはha
山yamaのno姿sugataにni 何nani想omoうu
類tagui稀mareなきnaki 英雄eiyuuがga
そのsono横顔yokogaoにni ふとfuto見miせたseta
悲kanaしきshiki影kageをwo 誰dareがga知shiろro
「何naんとnto、越後echigoのno謙信kenshinがga塩shioをwo送okuってくれたとttekuretato申mouすのかsunoka!
うむうむumuumu 勇将yuusyou・鬼小島onikojima弥太郎yatarouをwo使tsukaいとしてitoshite上杉uesugi殿donoがあのgaano塩shioをwo…。
駿河surugaのno今川imagawa、相模sagamiのno北条houjouにni塩shioをwo絶taたれtare
甲斐kaiとto信濃shinanoのno領民ryouminのno苦kuruしみshimi難儀nangiをwo
見miるにつけてもrunitsuketemo予yoはha、断腸danchouのno思omoいであったideatta」
思omoわずほろりwazuhorori ひとしずくhitoshizuku
閉toじたjita瞼mabutaにni 浮uかぶのはkabunoha
永禄eiroku四年yonen 秋aki九月kugatsu 川中島kawanakajimaのno戦場senjouでde
朝霧asagiriついてtsuite現arawaれたreta 馬上bajouのno武者musyaはha矢yaのno如gotoくku
我wareをめがけてwomegakete 真maっしぐらsshigura 「信玄shingen覚悟kakugo」とto斬kiりつけたritsuketa
軍配gunbai持moってtte受uけke止toめてmete はじきhajiki返kaeしたshita太刀先tachisakiにni
眼光gankou燃moゆるyuru 凄susaまじさmajisa
あれがarega越後echigoのno謙信kenshinかとkato 身miのno毛keがよだつgayodatsu想omoいしたishita
あのano謙信kenshinがga戦ikusaさをsawo越koえてete 塩shioをwo送okuってくれたとはttekuretatoha
如何ikaなるnaru心kokoroのno大ooきさかkisaka 武士bushiのno情nasaけがkega
人hitoのno情nasaけがkega 身miにni沁shiみるmiru
「勝頼katsuyoriよyo、儂washiにni若moしものshimono時tokiあらばaraba謙信kenshin殿donoにni相談soudanせいsei。これはkoreha遺言yuigonだぞdazo。
だがdaga家老karou共domo、越後echigoのno塩shio商人syouninからkara一両ichiryouでもdemo高takaくku買kaえe、上杉uesugiのno情nasaけにkeni報mukuゆるyuru
武田takedaのno真心magokoroだda。それはsoreha又mata、甲斐kai源氏genjiのno力chikaraをwo示shimeすsu。ハハハハhahahaha、戦ikusaじゃわいjawai」
勝頼katsuyori聞kiけよkeyo 者共monodomoよいかyoika
年nenがga明aけたらketara 出陣syutsujinぞzo
風林火山fuurinkazanのno 旗hataなびかせてnabikasete
汐shioのno花hana咲saくku 海umiをwo見miながらnagara 東海道toukaidouをwo
京kyouのno都miyakoへhe 上noboるのだrunoda
京kyouのno都miyakoへhe 上noboるのだrunoda