「飾りじゃないのよ涙は」中森明菜の大ヒット曲
中森明菜の『飾りじゃないのよ涙は』は、1984年11月にリリースされた10枚目のシングル。オリコンチャートやランキング歌番組で1位を記録し、今も世代を超えて愛されている楽曲です。
作詞・作曲は、シンガーソングライターの井上陽水。
アイドルから、本格的なシンガーへと転換していく時代の明菜を象徴する1曲といえるでしょう。
歌詞には、強気な女性の本当の恋への憧れと期待が描かれています。
「いつか恋人に会える時 私泣いたりするんじゃないかと感じてる」と、まだ見ぬ恋への想いを素直に吐露。
そして、主人公にとっての「涙」の持つ意味が丁寧に描かれています。
クールでありながらも、内に秘めた純粋な気持ちが表現されており、当時の明菜が持つ、クールさと可憐さが共存したイメージとよくマッチしています。
ここからは、歌詞の意味を深く紐解いていきます。
強気な女性が期待するまだ見ぬ本当の恋

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私は泣いたことがない
灯の消えた街角で
速い車に
のっけられても急に
スピンかけられても
恐くなかった
赤いスカーフが
ゆれるのを
不思議な気持ちで
見てたけど
私泣いたりするのは
違うと感じてた
≪飾りじゃないのよ涙は 歌詞より抜粋≫
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華やかな夜の灯が消え、さらに闇が深まっていく時間。
主人公の女性は、少し危険な香りのする世界にいます。
スピードを出す車、急なスピン、普通の女性ならば怖いと感じてしまいそうです。
しかし、主人公は「怖くなかった」とはっきり言い、怖いもの知らずの強気な女性が浮かびます。
「不思議な気持ち」という言葉に、この情景を自分ごととして受け止めず、あくまで客観的に、どこか達観したような視線で見ている様子が感じられます。
「泣いたりするのは違うと感じてた」と言う歌詞が重要です。
主人公は泣くことを我慢しているのではなく、ここで泣くのは違う、と感じています。
自分の感情に意味付けをして、ここではその感情ではない、と思っているのでしょう。
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私は泣いたことがない
つめたい夜のまん中で
いろんな人と
すれ違ったり
投げ Kiss 受けとめたり
投げ返したり
そして友達が 変わるたび
想いでばかりがふえたけど
私泣いたりするのは
違うと感じてた
≪飾りじゃないのよ涙は 歌詞より抜粋≫
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主人公の遊び場は夜の街。
「つめたい夜」という言葉は、季節の冷たさというよりも、無機質な人間関係を表しているのではないでしょうか。
刹那な恋や、その場だけの知り合い、など本気の人間関係を構築できていないことが窺えます。
表面的なふれあいだから、必要以上に別れを惜しむことがなく、涙を流さなくてもよいのです。

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飾りじゃないのよ涙は
HA HAN
好きだと言ってる
じゃないの HO HO
真珠じゃないのよ涙は
HA HAN
きれいなだけなら
いいけど ちょっと
悲しすぎるのよ涙は
≪飾りじゃないのよ涙は 歌詞より抜粋≫
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主人公は泣いたことがない。
なぜなら涙は飾りじゃないと思っているからです。
楽曲がリリースされた1980年代は、「涙は女性の武器」と、言われることが多くありました。
女性の涙は、男性の中にある「女性を守りたい」という気持ちを自然に引き出します。
女性は涙を味方につけて、自分をアピールすることができたのです。
女性が流す涙は、美しい真珠のように例えられることも多いもの。
ですが主人公は、涙をファッションのように扱うことは違うのではないか、と感じています。
涙は自分を飾る真珠ではない、と強く思っているのです。
そして、流す涙には感情が込められているのだとも感じています。
「悲しすぎる」という言葉で、涙は悲しみが溢れた時に流すもの、と感情の爆発を想像させるのです。
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私は泣いたことがない
ほんとの恋を
していない
誰の前でもひとりきりでも
瞳の奥の
涙は隠していたから
いつか恋人に会える時
私の世界が変わる時
私泣いたりするんじゃ
ないかと感じてる
きっと泣いたり
するんじゃ
ないかと感じてる
≪飾りじゃないのよ涙は 歌詞より抜粋≫
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1番では夜の街で、簡単な恋愛模様を繰り返していた女性が描かれています。
それを決定づけるように、2番で「ほんとの恋をしていない」と言いきっています。
これまで女性は、心から愛する人と出会えていなかったのです。
女性が、涙を瞳の奥に隠していた理由はなんでしょうか。
それは、本当の恋に出会えた時に、涙は自然と溢れてくるものなのだと感じていたからではないでしょうか。
いつか恋人となる人と出会えた時に、私の世界が変わる。
その時にきっと、自分の中にさまざまな感情があふれ涙を流すのだろう、という予感です。
つまり女性は、これまで自分の感情を揺るがしてくれるような人と出会えていなかったし、そんな人を待ち望んでいるのです。
「好き」という気持ちがあふれた時に、言葉にならない感情と共に、涙がこぼれるのかもしれない。
女性は、そんなまだ見ぬ恋に、胸を躍らせているのではないでしょうか。
ダイヤ・真珠とは違う本当の涙の輝き

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飾りじゃないのよ涙は
HA HAN
かがやくだけなら
いいけど HO HO
ダイヤと違うの涙は
HA HAN
さみしいだけなら
いいけど ちょっと
悲しすぎるのよ涙は
≪飾りじゃないのよ涙は 歌詞より抜粋≫
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宝石の最高峰であるダイヤモンド。
身につければ、自分自身の価値も上がりそう。
けれど、涙はダイヤのように輝くものではない。
もっと複雑な感情が涙にはあるのだと実感しているのでしょう。
さみしい時に流す涙は悲しすぎる・・・と涙の意味を主人公は考えます。
けれど、なぜ涙が流れるのかという核心には辿り着いていません。
なぜなら、まだ本当の恋に出会えていないからです。
本当の恋をした時に、自分でも思ってもいなかった感情があふれると想像しています。
その時に、悲しい、さみしい以外の感情に気づくのかもしれません。
主人公は、少し危険な香りのする強気な女性です。
しかし、心の中では本物の恋を待ち望んでいる、純粋な女性だとも感じられます。
「速い車に乗っけられても 急にスピンかけられても怖くなかった」「泣いたりるのは違うと感じてた」という歌詞が描くように、女性は今まで感情をあまり表に出すことがありませんでした。
涙は、感情があふれた時に自然と現われるものであり、偽りの涙なんて流したくない。
自分の想いがあふれた時に流す涙にこそ、真珠やダイヤとは違う、無垢な輝きがあるのだと女性は感じています。
いつか本当の恋に出会う時、女性はその人だけに、きっと飾りではない美しい涙を見せるのでしょう。
「飾りじゃないのよ涙は」井上陽水が提供し話題に

中森明菜の大ヒット曲『飾りじゃないのよ涙は』の作詞作曲は、音楽界のレジェンドとして知られる井上陽水です。
リリース当時は、陽水がアイドルの明菜に楽曲提供、ということで大きな話題となりました。
明菜は歌唱力はもちろん、衣装や振り付けなど自己プロデュース力に長けており、アイドルという枠を超えて多くの人に愛されている存在。
陽水はそんな彼女の魅力に気づいていたのでしょう。
自らがプレゼンし『飾りじゃないのよ涙は』を提供。
あまりの出来栄えにアルバム曲としての予定が、シングル曲としてリリースされた、というエピソードがあります。
陽水本人もとても気に入っているのでしょう。
1984年12月にリリースされたセルフカバーアルバム『9.5カラット』に収録されています。
明菜のシングルリリースから1か月後という早さでのアルバムリリースは大きな話題となり、同アルバムはミリオンセラーを記録しました。
当時の陽水は、1984年10月リリースのシングル『いっそセレナーデ』が大ヒット。
さらに、当時の大人気バンド、安全地帯への楽曲提供もありました。
安全地帯はブレイク前に、井上陽水のバックバンドを務めており、その後、陽水が作詞提供した『ワインレッドの心』が大ヒット。
同じく陽水が作詞した『真夜中すぎの恋』、『恋の予感』とヒットを連発します。
明菜の『飾りじゃないのよ涙は』がリリースされた1984年は、井上陽水の存在が大きくクローズアップされた年と言ってもいいでしょう。
井上陽水の『飾りじゃないのよ涙は』も、ぜひ聴いてみてください。
中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」世代を超えて愛される色あせない大ヒット曲
『飾りじゃないのよ涙は』は、完全復活を遂げた中森明菜の1984年の大ヒット曲です。シンガーソングライターの井上陽水が、作詞作曲を手がけ、大きな話題となりました。
まだ、本当の恋に出会っていない強気な女性が主人公。
いつか本当の恋に出会った時に、私はきっと泣くのではないか、という予感と期待が描かれています。
本当の恋に出会い、心からの感情があふれた時に、涙はきっと自然とこぼれてくるものなのだろう。
だから、それまでは飾りとしての涙はいらない。
美しい真珠や輝くダイヤのように、涙は私をファッションとして飾るものじゃない。
心からの涙がこぼれた時、初めて美しく輝くのだ、と伝えたいのではないでしょうか。
中森明菜の『飾りじゃないのよ涙は』は、今も色あせず、多くの世代から愛される名曲です。
