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尾崎裕哉から父・尾崎豊へのアンサーソング『始まりの街』

1992年4月25日に26歳という若さでこの世を去ったミュージシャン、尾崎豊。彼のDNAを受け継いでいる人物がいることを知っているだろうか?


1992年4月25日に26歳という若さでこの世を去ったミュージシャン、尾崎豊。彼のDNAを受け継いでいる人物がいることを知っているだろうか?

尾崎裕哉は1989年生まれのシンガーソングライター。元ラジオパーソナリティであり、音楽ユニットCrouching Boysの元メンバーでもある。Crouching Boysは尾崎豊のプロデューサーであった須藤晃の息子によって結成されたユニット。2004年には、トリビュートアルバム「"BLUE" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI」「THE JAPAN GOLD DISC AWARD 2005」にて"HIRO"という名前で、Crouching Boysのメンバーとして参加し、「15の夜」を歌っている。

今回紹介する『始まりの街』という曲は、尾崎豊と母に向けて書かれた曲になっている。父と母へ歌った曲ということもあり、歌詞の所々には両親を連想させるような表現がされている。


――――
この街に住み始めたころ
きっとどこかで泣いていたんだ
僕には見せなかった
――――

尾崎裕哉と母は5歳から15歳までをアメリカ合衆国、ボストンで過ごしている。「この街」とは帰国後に住んでいる東京を表している。「きっとどこかで泣いていたんだ」の主語は尾崎裕哉の母だ。母にとって東京という街で暮らすということは、尾崎豊と過ごした記憶を思い出すことにつながる。アメリカに移住した10年間は、尾崎豊との思い出を整理するためでもあった。尾崎裕哉はそんな母の気持ちに気付いていたのだ。

――――
でも季節が過ぎていくほど
忘れてしまうものさ
どこか寂しくて
遠い面影を抱きしめたくなるけど
――――

対照的にここでは、父・尾崎豊に向けて書かれている。尾崎豊と過ごした日々は時間の経過とともに変化していくことに触れながらも、「遠い面影」という表現を用いて父という存在は尾崎裕哉にとって遠い存在であることを示している。父の記憶はない、あるとしたら歌っている父を映像や音声を通して見ることだけだ。そして、「遠い面影」という表現はふたつの解釈が可能である。一つ目は、父としての尾崎豊。2つ目は、アーティストとしての尾崎豊という存在だ。一つ目の解釈に当てはめると父親に対する甘えのようなものと捉えられるし、2つ目はアーティスト・尾崎豊の残してきた功績にしがみつき超えることのできない存在として父親を見ていることが読み取れる。


実は、この尾崎豊『誕生』という曲は息子である尾崎裕哉に向けて書かれた曲である。この曲が尾崎裕哉に向けて書かれた曲ならばこれまで述べてきた『始まりの街』はアンサーソングと捉えることも可能だ。

『誕生』にはこんな歌詞がある。

――――
新しく生まれてくるものよおまえは間違ってはいない
誰も一人にはなりたくないんだそれが人生だ分かるか
――――

曲のラストに台詞で語られている。「新しく生まれてくるもの」が尾崎裕哉だとするならば、26歳で父親と同じ音楽活動をする決意をした尾崎裕哉の行動は正しいことだという父親からのメッセージを感じ取ることができる。そして、「誰も一人にはなりたくないんだそれが人生だ分かるか」は尾崎豊が経験してきた孤独や不安そして苦しみを通じて息子へ人生のアドバイスをしているかのようである。尾崎豊は音楽を通して息子・尾崎裕哉に父親としての役割を果たしていた。

そんな気持ちに応えるかのように尾崎裕哉は、父親が亡くなった26歳に『始まりの街』でデビューをする。父親の背中を追いながらも彼独自の世界観を作り上げていってほしい。

TEXT:川崎龍也

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