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『LET FREEDOM RING』に尾崎裕哉の父と音楽観を見る (1/2)

尾崎裕哉は、2017年3月22日に自身初となるEP『LET FREEDOM RING』をリリースした。これまでは、配信限定という形で『始まりの街』を昨年に発表しているが、今回は初のフィジカル作品とのことである。本作は1『サムデイ・スマイル』2『27』3『始まりの街(Soul Feeling Mix)』4『Stay by my Side』の4曲で構成されている。
この記事の目次 []
タイトルにある『LET FREEDOM RING』(日本語で『自由の鐘を鳴らせ』)とは、彼が尊敬しているキング牧師のスピーチに対するオマージュになっている。様々な媒体で彼はキング牧師に対するリスペクトについて語っている。

その中で『サムデイ・スマイル』、『27』、『Stay by my Side』の3曲を紹介したい。『始まりの街』に関しては本作でリアレンジされているが、以前コラムを書いたのでそちらに譲ることとする。
尾崎裕哉から父・尾崎豊へのアンサーソング『始まりの街』


今年が父である尾崎豊没後25年目であり、彼の音楽性への影響、彼が音楽に出した答えがこの『LET FREEDOM RING』で表現されている。今回は、これら三曲を紹介しながら、父親との音楽性の違いとともに尾崎裕哉のシンガーソングライターとしての独自性を見ていきたい。



ため息ばかりついていたのは
僕が僕であるために背負うことが多すぎた
受け入れることも否定することも
全て僕が選ぶことだと知っているの


まずはEPの中でも疾走感のあるロックチューン『27』。
この27という数字は彼が本格的にデビューをした年齢を表している。デビュー時の年齢を曲のタイトルにするには大きな理由が存在している。これには父親である尾崎豊が関係していることは察しのいい人は気付いただろう。尾崎豊は26歳という若さで亡くなっていて、当時尾崎裕哉は2歳、父親のことはまったく覚えておらず知っているのは父親の音楽だけだという。彼は尊敬するミュージシャンとして父親を見ており、彼の楽曲には尾崎豊の代表曲『僕が僕であるために』というフレーズが入っている。

それが、このAメロにある「僕が僕であるために背負うことが多すぎた」である。
尾崎裕哉は20歳から5~6年の間中々歌詞を書くことが出来ない日々が続いていた。この裏にあるのは偉大なアーティストであり、父親でもある尾崎豊の存在である。彼はCINRAでのインタビューでその理由をこう答えている。
“たぶん、理想が高かったんだと思います。僕は尾崎豊の音楽を聴いて育ったので、ああいう物語を描写するような歌詞が正解で、「作品としての音楽」を求めていたんです。”
音楽に作品性を求めた結果、彼は壁に突き当たってしまった。尾崎豊の音楽は確かに作詞をしようと思ってすぐに書けるような詞ではない。尾崎豊の人生観があまりにも公明正大に表現されている。

歌詞にある「受け入れることも否定することも」という言葉にあるように彼が与えられた運命の享受を決定するのは自分自身だという。彼は常に自分自身と戦っていた。そう、尾崎豊が僕が僕であるために戦っていたのと同じように。

少し分かり始めた 僕は
遠い背中を追っかけていた
僕は僕らしく生きる
一人じゃないから
生まれた意味を 信じているよ


尾崎裕哉はこの『27』で、自問自答しながら“生まれた意味”を発見し、音楽の道へと進んでいくのだ。このように父親に対する葛藤や音楽への認識が表れた楽曲だと言える。尾崎裕哉による『僕が僕であるために』への答えがここにはある。彼の原点とも言える曲ではないだろうか。



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